人間は何のために生まれて何のために生きるのか。弐 | 千年王国のブログ

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釈迦の出生の本懐は法華経を説く事だった、日蓮は本門戒壇の本尊を認め残す事が出生の本懐だった。
そして自分は何だろうと思考するが思い浮かばない、考えるというより肌で感じるというか、キラリと閃く物が無い。
釈迦や日蓮のように歴史上に名を残すほどの偉業を成せるかは解らないし今のところ考えてもいないが、人が生きて行く上で必ず誰かの影響を受けたり、与えたりしている。
それは主に、自分や相手が意識してない時である、人は日々意識はしていないがお互いに影響を与えながら生きている。
今は亡き母の言葉に「出逢った人が皆仕合せになります様に」が有ります。
当時はあまり氣にしませんでしたが、今思えば自分が相手に何らかの影響を与えている事を意識していたからだと思います。
自分ももうすぐ、母が亡くなった年齢になろうとしてます。
まだ自分が何を成すのか明確にはなってませんが、今生においては、私と出逢って良かったと仕合せを感じて頂ける様に生きたいと思います。