「大学生は遊べ」
「大学は人生の夏休み」
とは、色んな場所で聞くフレーズだ。
実際、それは事実なんだろう。SNSや周りの大人も、この主張は大体一貫している。
でも、具体的に「遊ぶ」って何なんだろう。このアドバイスだけ知っていても、具体的にどうすることが「遊ぶ」ということなのかしっかりこない。
「遊ぶ」ことに専念すべきとは分かっていても、どうすればいいか分からないから足踏みして、焦燥が募るばかり。これが「遊ぶ」ということなのかな?って試行錯誤しながら何か取り組んだとしても、「自分は今きちんと遊べているのか?」という、ある意味冷めた客観的な審判が常に鵜の目鷹の目のように存在して、心から楽しめない。
何か、「これが遊ぶということなんだ」っていう自信を持っておかないと、楽しむものも楽しめないのかもしれない。
この場所で、「遊ぶ」とはどういうことなのかを考えたいと思う。
遊ぶって何?
おそらくだが、これは広義に「経験する」と言い換えられるだろう。
「若いうちに遊んでおけ」は、
「若いうちに経験しておけ」だ。
快楽を享受することも大事だろうけど、広くは何かをして自分のものにするということが大事なのではないか。
大人の言う「若いうちに遊んでおけ」とはその人の後悔に基づいたアドバイスだとするなら、遊ばないことによって何かの不利益が生じてしまっているということだ。
よって、「若いうちに経験しておけ」は「若いうちに(しかできないことは大人になると無意義になる•できなくなるから)経験しておけ」ということ。
具体的に
①大人になってからしても無意義なこと
→精神的なこと
→若いうちの感性を磨くこと
→今まで触れたことのないことに触れること
という様に言い換えられるかな。
じゃあ具体的には何をすべき?
•映画を観る
•読書をする
•旅行をする
•色んな人に会う(恋愛を含む)
•創作をする
とかだろうか。
お金の制約はあるにしても、あるだけ使っちゃった方が良さそうだ。今使わないでいつ使うんだって話だし。
感情を揺さぶること自体が大切だから、そこに「自分は遊べているか?」を判定する審判は必要ない。やること自体が正解なんだ。
ただこの文脈での「若さ」とは、②の時間の自由さを度外視するなら大学生である必要もない気がする。だってその人にとっての今が一番若い時なんだから。今が未来を作るのだから、今何かをすることに専念しさえすればいい。
②大人になってできなくなること
→身体的なこと、時間的なこと
脂っこいものを食べるとか、ありったけの時間を使って何かするとか。
でも、これは目先の快楽を得る試みでしかなくて、別に必要不可欠ではないのかもしれない。
昔、脂っこい牛肉をたらふく食べなかったからといって後悔するだろうか。
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ふと「遊び」の焦燥に駆られて筆を取ったはいいが、それっぽいことしか書けなかった。もう少し寝かしてみたいと思う。もっとブログってものに慣れ親しんでいきたい。
とりあえず今が一番若いのだから、今日は積読してある本でも読んでみようか。