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家電でアジア豊かに 

伊藤嘉明 44 ハイアールアジアインターナショナル社長

 

 <交通事故で大けが>

  •   父がタイで自動車関係の仕事をしていたため、タイで生まれ育ちました。父の影響もあり、車が大好きで、大学卒業後、スウェーデンの自動車メーカーのタイの販売会社に就職しました。

      いずれはビッグスリー(クライスラーなど米国の自動車大手3社)で働きたいと思い、MBA(経営学修士号)を取得するため、26歳の時、米国の大学に留学しました。

      一生懸命勉強し、クライスラーで就業体験ができることになりました。「夢がかなうぞ」とワクワクしてクライスラー本社のあるミシガン州に行き、妻を車に乗せてアパートを探していた時のことです。信号が壊れていて、大型車が真横から衝突してきたのです。妻は足を骨折し、気を失いました。私も筋肉裂傷の大けがを負いました。

      それからは車が怖くなり、恐怖心で運転ができなくなってしまいました。夢にまで見た自動車の仕事でしたが、あきらめました。

     <スピードで勝負>

      日本に行き、コンサルティング会社や日本コカ・コーラを経て、34歳の時に米国のパソコンメーカー、デルの日本法人に入りました。官公庁にパソコンを売る部署の本部長です。

      要求されるスピードが速く、決算は3か月単位で、2期連続赤字になると本部長は更迭されかねない。私の着任前、部署は8期連続の赤字で、2年間で本部長が5人入れ替わっていました。毎日、会社のビルを見るとプレッシャーで胃が痛くなり、潰瘍が四つできました。

      2006年に防衛庁(現防衛省)で私有パソコン使用による機密情報漏えいが起き、防衛庁の全てのパソコンを入れ替えるため、公示からわずか2週間後に入札が行われることになりました。

      社員に「契約を取りに行く」と言うと、皆、あぜんとして「無理に決まってる」という反応です。日本の大手メーカーは省庁担当が何百人もいるのに、うちは1人。でも、日本企業は稟議(りんぎ)書や社内の根回しで時間がかかる。スピードなら勝てると思いました。

      すぐにアジア各国に連絡をとり、在庫を確保しました。価格や機能なども一気に調整し、デルが落札しました。国内メーカーの牙城だったので、「国に製品を納められた」と皆で泣いて喜びました。

     <業界の常識にとらわれずに>

      タイで育ち、いつかアジアに貢献できる仕事をしたいと思ってきました。ハイアールに来て念願がかないます。

      今までいろいろな会社を経験してきましたが、家電メーカーは門外漢です。業界の常識にとらわれていないので、「何で?」と気付くことがたくさんある。「そんな前例はない」とか「10年やっても駄目だった。分かってない」と言われると、逆に「やるべきだ」と思うのです。まずは家電を通して、アジアの人々の生活をより豊かにしていきたいと思います。(聞き手 小沼聖実)

     

      《メモ》 1993年米コンコーディア大卒。2000年日本コカ・コーラ環境経営部長。04年にデルに転じて以降、レノボ米国本社、アディダスジャパン、ソニー・ピクチャーズエンタテインメントで役員を歴任。14年2月から現職。ハイアールアジアインターナショナルは白物家電の世界最大手、中国・ハイアールの地域統括会社。三洋電機の白物家電事業を継承して発足し、日本と東南アジアで事業を展開する。