「成功者」が仕掛けるラスベガス旧中心街活性化の行方 | 国際そのほか速

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「成功者」が仕掛けるラスベガス旧中心街活性化の行方 
  • コンテナパークの中の「ラマ注意」の標識
  •   起業報告fromシリコンバレー、本日はちょっと出張してラスベガスのお話です。

     

      ラスベガスといえば、ネオンキラキラで高級ホテルが立ち並ぶ「ストリップ」が有名ですが、その2キロほど北にはストリップ以前に開発された「ラスベガス・ダウンタウン」という場所があります。華やかなストリップとは違い、ダウンタウンは古いホテルやひなびたバーが多く、うらぶれた感じが否めません。そんなダウンタウンを起業の聖地にしようと私財約350億円を投じて意欲的に取り組んでいるのが、ZapposのCEO、トニー・シェイです。

    靴のオンラインショップで成功したトニー・シェイ

     

      Zapposは靴のオンラインショップ。1999年起業で、2008年には10億ドル、約1000億円の売り上げにまで成長し、2009年にAmazonに12億ドルで買収されました。しかし、今でもAmazonとは独立した事業として運営されています。Zapposはもともとサンフランシスコで起業されましたが、2004年にラスベガス郊外のヘンダーソンに移転。カスタマサポートのためのコールセンター人材が大量に必要で、そうした人たちを適正価格で必要なだけ確保するのはサンフランシスコでは難しかったことが大きいようです。さらに2013年にヘンダーソンからラスベガス・ダウンタウンに移転。CEOのトニー・シェイもダウンタウンに住んでいます。

    寂れたダウンタウンを活性化するプロジェクト

     

    • ラスベガス・ダウンタウンにあるZappos本社

        さて、この大成功したZappos経営のかたわらでトニー・シェイが始めたのが、ラスベガス・ダウンタウン・プロジェクトです。寂れたダウンタウンを活性化し、クリエイティビティに満ちた場所にするのがプロジェクトの目的とのこと。2012年1月にプロジェクトが始まってから、ダウンタウンの中でも特にうらぶれたフリーモント・イーストと呼ばれるブロックを中心に24万平方メートルの不動産を買い集め、300以上の事業に投資してきました。投資先はテクノロジーベンチャーのみならずレストランやスーパーマーケット、病院、学校など、「ダウンタウンを活性化する事業」を幅広く育成中。そしてプロジェクトの隠れたマスコットキャラは動物のラマ。元々ラマ好きのトニー・シェイが地図にラマの形の線を引き、その中の土地で買えるものを次々と買い上げたそうです。

      レイオフ、関係者の自殺…

       

        しかし、この華々しいプロジェクトに一抹の不安が走る今日この頃。9月末に30人が運営オフィスからレイオフされ、トニー・シェイがプロジェクトのリーダー的役割から退いたというニュースが流れました。トニー・シェイ側は「代わりに30人、別の事業で雇ったし、元々トニーは日々のオペレーションには関与していないから大きな影響はない」と反論しています。しかし反論しきれないのが、プロジェクトの関係者3人が自殺したという事実です。その一人、24歳のプロジェクトスタッフはプロジェクトの問題点をトニーに訴えるメールを出しており、投資先のEcomomというオンラインショップのファウンダーとBolt Barbersという理髪店のオーナーは事業がうまくいっていないことを苦にしていたとされています。ちなみに投資先で雇用されている人も含めたプロジェクトの規模は800人。800人に3人という比率は10万人あたりだと375人となりますが、アメリカの自殺率は10万人に12.3人。日本の10万人に21.4人と比べても10倍以上の数字です。

      出会いの深さを記録する?

       

      • ダウンタウン・プロジェクトの一つでフリーモント・イーストにあるコンテナパーク。貨物コンテナで作られた、小さな子供のいる家族に優しいショッピングセンターです

          このプロジェクトにはトニー・シェイの信念がいろいろと反映されているのですが、その一つがROCというコンセプト。ROCはReturn on Collisionの略で直訳すれば衝突利益率。プロジェクトでの「衝突」は人と人が出会うことと定義されています。

          計画では、投資を受けたアントレプレナーの携帯でその動きをフォローして「出会い頻度」を計測し、さらにレンジャーと称するパトロール部隊が、出会った人たちのボディランゲージを観察して、挨拶、握手、ハグといった出会いの深さを記録するとか。

          トニー・シェイはパーティー好きでも知られ、日常生活でも常に取り巻きに囲まれて行動、ダウンタウンの紹介ツアーでは自宅の中までツアー客に見せるという尋常ではないオープンさで知られています。その彼の「社交性が人間をクリエイティブにし幸運を呼び込む」という思いを数値化したのがROCなわけですが、「すばらしい新世界」や「1984年」的なディストピア感がなきにしもあらず。というか、私だったらそんなもので計測されるくらいだったらクリエイティビティも幸運もなくていいです。

        ハワード・ヒューズという“先達”

         

        • コンテナパークのすぐ隣はこのような寂れた町並み。これで日曜午後です。がんばれ、ダウンタウン・プロジェクト!

            とはいえ、ラスベガスで不動産を買い占め、さらに変わった行動を取ったのはトニー・シェイが初めてではありません。例えばハワード・ヒューズ。1960年代にラスベガスのホテルに泊まり「部屋から出たくない」という理由でホテル全体を買い上げた大富豪のヒューズは、その部屋から9年間全く出ないまま次々にホテルやカジノ、周辺の更地を買い上げ、マフィア支配下にあるダーティなイメージの高かったラスベガスのイメージアップに貢献したとされています。

            ヒューズは成功した実業家の一人息子として生まれ、両親ともに若くして亡くなったのち19歳で事業を受け継ぎ、それをもとにさまざまなビジネスに手を染めます。彼が手がけた事業は次々に成功、映画ビジネスに入ればアカデミー賞受賞、航空機ビジネスでは防衛のトップレベル・サプライヤとなり、航空機事故で入院した病院で彼が自分のために設計したベッドはその後の病院ベッドの基礎となりました。プライベートでも、飛行機での世界一周最短記録を打ち立て、ゴルフはシングルプレーヤー、その上、映画俳優もびっくりのハンサムで身長は193センチという非の打ち所のなさ(彼の半生はディカプリオ主演で映画化されていますが、個人的にはディカプリオよりハワード・ヒューズの方が美形だと思います)。

          1960年代に3億ドルを投資

           

            しかし、元々抱えていた強迫性障害が年とともに悪化、さらに数回の航空機事故の後遺症で常に激痛にさらされるようになり、だんだんと引きこもりと奇行で知られるようになっていきます。ラスベガスに滞在する頃には、裸で陰部にホテルのピンクのナプキンをかけた状態で椅子に座り、片足ずつ別のティッシュペーパーの箱の中に入れて映画を見続け、髪や爪を切るのは1年に1回という浮浪者さながらな状態に。それでも1960年代のお金で3億ドルをラスベガスの投資にかけチームを動かして事業を推進したという、もはや何がなんだかわからない人です。ちなみに、当時の彼の腹心の部下とされる人は一度もヒューズ本人に会うことなく指示を実行していたそうで、チャーリーズエンジェルもびっくりです。

            そんなハワード・ヒューズに比べれば、ラスベガスへの投資規模で見ても本人の行動から見てもトニー・シェイはまだ全然普通です。ぜひ、もっととんでもない改革を目指してがんがん突き進んで欲しいものです。