観劇を生活の一部に
フランソワーズ・モレシャン
パリの冬は、雪こそめったに降りませんが、暗くて寒い北陸の空とよく似ています。雪にならずとも、どんよりとした空に冷たい小雨。それでも夜のパリはにぎやか。レストランやスペクタクルはどこも満員。一年の半分ずつを金沢とパリで暮らす私は、冬の滞在では、昼間は美術館巡りとエコール・ド・ルーブル(ルーブル美術学校)の授業、夜は友人との食事会やスペクタクルを楽しみます。
ルーブル美術学校では、壁画から現代までの美術史を3年間かけて学ぶのですが、日本にいる間、授業に出られない私は勉強についていくのが大変です。先日はギリシャ美術の授業の中で、衣服のドレープの鑑賞の「コツ」のようなものを学びました。いろいろ勉強すると、今までの鑑賞とまた違う目で、美術を楽しむことが出来るので、いくつになっても勉強は楽しいものです。
50年近く日本で暮らした私にとって、パリ生活は今までの人生で「フランス人」として、やり残したことをする機会です。もちろん、日本生活を通じて普通のフランス人では経験できない多くのことを学びました。でも、どんなに外国暮らしが長くなっても、成人するまで過ごした自分の「根っこ」を失うことはできません。逆にパリで暮らす日本人の方々は、日本に暮らす一般の人たちよりも、日本の文化伝統に興味を持っています。
というわけで、夜はフランスの「歌舞伎」とも言える伝統の国立劇場、コメディ・フランセーズに通います。モリエールの演目を中心とするこの劇場は、ルイ14世による王立劇場としてスタートしていますから、300年以上もの歴史があります。歌舞伎と同様に、劇場の人気俳優は、映画などに出て有名なスターとなるケースも多くあります。
もう一つの喜びは、映画です。自宅の近くに三つも四つも映画館があります。そのうちの一つはエスキュリアルと言う名画館で、金沢市香林坊の「シネモンド」のような存在。この映画館で上映される映画は、間違いありません。
チケットを取るのに苦労しますが、来年はクラシック音楽かバレエ通いをしようかと考えています。こうした観劇、日本では圧倒的に女性とシニアが多いのですが、フランスでは老若男女が同じ数ほどいます。
日本の男性も、もう少しこうした時間を奥様と過ごされたらいかが?
市民の関心あってこそ
永瀧達治
パリに来るたび感心することがある。市民も行政も「文化」に対する情熱が半端ではないことだ。昔は世界の宮廷や外交の世界でフランス語を話すのは当たり前の共通語だったが、今のフランスは、政治経済における国力と共に衰えるばかり。しかし、それでもパリは世界でトップの文化都市、だから人が集まる観光都市でもある。
パリ観光は世界遺産の風景だけではない。美術館、劇場、映画館が人口200万人ほどの都市にひしめき合っている。パリに住む人たちは「押し寄せる観光客のせいで、私たち自身が美術館などに行けなくなった」と嘆くありさまだ。だが、都市の住人たちの文化への情熱なくしては観光客も集まらない。しかも、この街の住人たちは、今も昔も多くの芸術家を育ててきた。
北陸の中でも金沢は文化都市として、日本の地方都市の中でも特に注目されている。それは文化人でもあった山出保・元市長の功績が大きいが、彼が都市作りの範としたのはヨーロッパ、特にフランスの伝統を守りながら、革新的なアートを生み出す市民社会である。都市計画とは政治家の仕事だと思いがちだが、政治家とは市民の関心ごとに奉仕する(時にはこびる)存在である。つまり、市民が望まなければ、文化都市などは成立しないと言ってもよい。
私も金沢市民の一人なので、少し厳しいことを言わせてもらえば、せっかく美術館や劇場が多くあるのに市民の文化への関心が高いとは言えない。海外アーティストらと出演契約する際、東京の興行界において、金沢は観客の動員能力なしとされ、金沢公演はごくまれにしか行われない。東京の友人は「金沢は映画や音楽など外国文化不毛の地」とさえ言い切る。もちろん、伝統文化への知識は環境のせいか、他の地方と比べるときわめて高い。だが、伝統以外の分野では東京のみならず、大阪、名古屋、京都に比べても低いと言わざるを得ないだろう。そうなると、伝統の継承さえも疑わしくなる。金沢市の名画館のシネモンドは、上映する映画のセンスの良さは、東京に負けぬほどなのに空席が目立ち、存続をさえ心配させる。
こういう文化が育たなくては、地元の若者たちは新幹線に乗って、東京へ流れてしまうかも。小さくてもよいので、バランスの取れた文化都市を願う。