
伊井哲朗 54 コモンズ投信社長
<山一証券に入社、経営破綻を経験した>
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会社の経営が急速に悪化していくのを実感したのは、債券営業部に異動した1997年初めでした。
顧客に取引を停止されたり、社内で担保を取りに来た銀行員の姿を目の当たりにしたりするようになりました。ただ、ほかの金融機関からの買収提案もあり、正直、合併で社名は変わっても破綻するとは思っていませんでした。
ところが11月21日の夕方、米国の大手格付け機関が山一の社債格付けを「投機的」に引き下げたというニュースが流れます。多少の格下げは覚悟していましたが、一気に資金調達が難しい水準になったのです。格付け機関への怒りがこみ上げる一方で、それまで緊張状態が長く続いていたので「終わった」との脱力感でいっぱいでした。
その夜は当時の上司と同僚の4人で飲みに行き、完全に吹っ切れました。24日に会社が自主廃業を決め、当時の野沢正平社長が涙を流して記者会見をしましたが、もう感傷にひたることはありませんでした。
<米メリルリンチ日本証券に移る>
メリルは顧客の資産全体を把握したうえで、最適な運用方法をアドバイスする営業をしており、山一時代から理想と考えていました。メリルのために山一の業務継承の資料作りを手伝い、そのまま入社しました。ところが、メリルは2001年頃から世界的に富裕層に力を入れる戦略を打ち出します。少しずつ違和感を覚えるようになりました。
投資コンサルタントをしていた現コモンズ会長の渋沢健と出会ったのはその頃です。個人の長期的な資産形成を応援し、そのお金を市場を通して企業に供給し長期的な発展を後押しする。そんな投資信託の会社を作ろうと意気投合しました。
<コモンズ投信を創業する>
約3年の準備期間を経て、メリルを退社しました。48歳の時です。しかし、10日後にリーマン・ショックが起きました。営業を始めることはできましたが、知名度が低いうえ、景気は急激に悪化しています。運用開始時に10億円は集めたかったのが、1億1800万円にとどまりました。
その後もお金はなかなか集まりません。セミナーの参加者が数人だけということもありました。社員の給料は前の職場より大幅にダウンしています。展望が開けない中、「理念には共感しているけど、これ以上無理です」と辞める社員も出てきました。
でも、手応えはありました。若い世代を中心に毎月コツコツと積み立てる方法で投資する顧客が7割近くで、解約による資金流出もほとんどなかった。軌道に乗り始めたのは、2012年末頃からです。
高校生の時、父親が事業に失敗して以来、「起業はするな」と言われてきました。両親は亡くなりましたが、「社会のためになったからいいよ」と言ってもらいたい。だからこそ成功するまで、とにかく諦めずに続けていこうと思っています。(聞き手 二階堂祥生)
◇《メモ》 コモンズ投信は、日本株を対象にした二つの投資信託をインターネットなどで販売している。主力商品の「コモンズ30」の投資対象約30社は、業績だけでなく企業文化なども加味し、30年後の成長を見据えて選んでいる。顧客数は約4500人で、総運用資産額は約111億円(9月末)。社員数は18人。伊井社長は名古屋市出身で、関西学院大法卒。最高運用責任者も務める。