こどものころ、
「ムー」という雑誌で、
カジュラホの寺院だったか、
壁一面のレリーフが
男女の営みが彫られているのをみて、
不思議な気持ちになったことがあります。
それが
タントラだというのを知ったのは
そのすぐ後です。
そして、つい最近、
タントラの講義を聞いてきました。
最近は、日本の最高学府でも
研究がはじまったそうです。
タントラというと、
性的な堕落したものを
想像する人たちが多いのだけれど、
実はそうではないことが
もっと広まるとよいと思います。
タントラの本当のおしえは、
受け取る準備が出来ている人、
道徳的なものなどの人格が
きちんと出来上がった人にしか
教えることはしなかったそうです。
なぜなら、間違った道に
走る危険性があったからです。
あるタントラの流派でも
その危険性について述べているそうです。
お酒をだらしなく
飲んで幸せになった人はいるか?
性行為におぼれて
幸せになった人はいるか?
それで幸せになるなら、
とっくの昔に
みんなが幸せになっているだろう、って。
受け取る準備が出来た人にしか
本当のことを伝えない、というのは、
タントラだけではなく、
キリスト教やイスラム教、仏教などの
よく知られている宗教も同じです。
聖書、聖典、経典とよばれる、
万人向けのものには、
教えへのきっかけは書いてあっても、
その奥の本当の教えまでは
書いてありません。
その教えは、
エゴをコントロールできるくらい、
修練を積んだ人だけに伝えられます。
悲しいことに、
ここにこう書いてあったから、
神の名のもとに人の命を奪っていい、
異教徒は排除してもいい、
自分たちのほうが優れているんだ、
というような行動を
とっている人たちがいますが
もしそれが正しいなら、
とっくの昔に、
優れている人たちだけの世界になって、
平和になっているはず。
表向きの部分だけ読んで、
わかったような気持ちになっては
いけないものだと、
あらためて、思っています。
ちなみに、
私が今理解している段階までで
お話すれば、
タントラは、
日常生活すべてを
良い悪いでわけるのではなく、
自分自身が、
どういう態度や気持ちで臨むのかが
大切ですよ、ということを
伝えているものだということと
受け取っています。
