人を許すことってむずかしいです。

自分自身が完璧な人間ではないのだから

他人もまた完璧ではないことは
わかりきっているのですが

また、
同じことをされるのではないか
という不信感は

なかなかぬぐえません。

ひどい発言をしたり
ひどい行動をとった人は
相手にしたことをわすれ

何事もないような顔をして
笑っています。

いまだにかくれて
平気で人の心を踏みにじることをして
知らん顔をして
笑っている人もいます。

嫌いになれたら
あいつなんか大キライだから
もう会わない、と
逆に徹底的にしかえしすることも
出来るのかもしれないです。

でも、
そういう、
道に外れることが出来るほど
相手を嫌いにはなれない。

自分が繊細なのがいけないと

やられたほうはずっと
自分を責め続けたりしているのに

ひどいことをした人は
その痛みを見ようともしないし
気づこうともしません。

いつか、神様がすべてを
なんとかしてくれると
おもいながら

悪い鬼はふみつけて
きびしく、
わるいものなのだと伝え、

見た目のこわいかおの奥に
深い慈愛を秘めた
人々を救う不動明王のように
なりたいと

つらくなるたびに思っています。

お不動さまは
私の守り本尊ですから。

かわいいふりをして
実は計算ずくで
人をあやつろうとする
したたかな人よりは

人間として
ずっと純粋で、よいのではないかなと
おもっています。

人はすぐ見た目で判断し
いかにも本当のように話す人の
言葉ばかり信じて
事実を確かめようとしません。

それはたとえば
大げさにかかれた
週刊誌の記事をそのまま
信じるのと同じことです。

そういう人たちの言葉を信じるのか
自分のリサーチを信じるのか

それによって
その人のレベルが
決まってくるのかなって
おもっています。

わたしは自分自身の
本質レベルをどんどん
あげていけるようになりたい。

今まで通り、
思い通りにならないやつは
わるいやつだと
勝手にきめつけたりしません。

あなたはどうですか?