アメリカで、
二つの生死を考える問題が
ありましたね。
かたや安楽死、
かたや生き続けて医学の進歩をまつ。
どちらがよいのか
今の自分には判断がつきかねます。
治る見込みがないといわれたら
自分はどうするのでしょう。
まだ意識がしっかりとしているうちに
周りの人たちにさようならをするのか
周りのひととともに生きるために
その方法をあきらめずに探し続けるのか。
日本では、「尊厳死」と「安楽死」と
わけて考えようというふうに
おっしゃっている方々もいます。
ヨガには
シャヴァアーサナというポーズがあります。
「しかばねのポーズ」という意味です。
しかばね、というと
あまりよいイメージがないのですが
からだを動かなくすることで
自分の内面の動きと向き合うことになります。
内面を動かなくすることで
やすらかなリラックスの時間を
得ることを経験していきます。
また、
死を疑似体験することで
死について考えていくことにもつながります。
昔から、ヨガだけでなく
西洋の哲学者も
生きるということは
死について学ぶことであると
言っています。
自分がこの命をどのように終えるかは
その人その人の選択ですが
平常心で
その時を迎えられたらいいなと思っています。
