ヨガの講義で
バクティのことをお勉強。
愛とは三角形であり、
どの角が欠けても
それは真の愛ではない。
と、あるヨガの導師が
述べています。
その三角とは
1.愛は取引しない
2.愛は恐れない
3.愛は比べない
という三つです。
1.の
取引しない、というのは
言葉の通りです。
愛してもらえなくても
愛し続けることが本当の愛です。
これだけ愛しているんだから
振り向いてよっていったり
クレームを入れて
自分のほうに
振り向いてもらえるように
してみたり、
脅かしてみたり、
プレゼントをあげたんだから
お返しをちょうだいよ、なんて
思っているうちは
本当の愛ではないです。
2.の、
愛は恐れないというのは
その人を愛することで
まわりからいろんなことを言われたとしても
恐れずに、まっすぐ愛し続けること
愛している人に何かがあったら
命を投げ出してでも守ろうとする心
かつて、マザーテレサも
インドの貧しい人たちを愛し
施しをしているときに
かなりの批判をうけたそうですが
そういう批判をおそれずに
その愛を貫きました。
3.の
愛は比べない
人は、嫉妬します。
それは他人と比べるからです。
なぜ他人と比べるのか、
比べるべきは、今までの自分と
今の自分であるべきなのに
比べる相手を間違えてしまったがために
嫉妬にくるって
自分や周りの人や、
好きな人を傷つけてしまいます。
こうやってみていくと、
バクティヨガって
母親の愛に近いなって思います。
見返りをもとめて
こどもを愛する人はいないし
子供に何かがあれば
カラダを張ってでも守ろうと思うし
ただひたすらに
こどものための愛を貫く。
こういう愛を
異性や他の人たちにも
広げていくことこそが
本当の愛ですよね。
自分も、母親になってから
変わったような気がします。
それは
自分をなくして
相手に隷属するのではなく
神様や師匠に仕えるような
そんな愛し方に近いのかな。
まだ、偉そうなことを
言えるほどまではいかないけれど
少なくとも、
世の中の母親をやっている人たちは
こういう気持ちのいくつかをもって
こどもだけでなく、
周りの人にも接しているとおもいます。
私はまだ、
バクティの入り口に過ぎないですけどね。
バクティのことをお勉強。
愛とは三角形であり、
どの角が欠けても
それは真の愛ではない。
と、あるヨガの導師が
述べています。
その三角とは
1.愛は取引しない
2.愛は恐れない
3.愛は比べない
という三つです。
1.の
取引しない、というのは
言葉の通りです。
愛してもらえなくても
愛し続けることが本当の愛です。
これだけ愛しているんだから
振り向いてよっていったり
クレームを入れて
自分のほうに
振り向いてもらえるように
してみたり、
脅かしてみたり、
プレゼントをあげたんだから
お返しをちょうだいよ、なんて
思っているうちは
本当の愛ではないです。
2.の、
愛は恐れないというのは
その人を愛することで
まわりからいろんなことを言われたとしても
恐れずに、まっすぐ愛し続けること
愛している人に何かがあったら
命を投げ出してでも守ろうとする心
かつて、マザーテレサも
インドの貧しい人たちを愛し
施しをしているときに
かなりの批判をうけたそうですが
そういう批判をおそれずに
その愛を貫きました。
3.の
愛は比べない
人は、嫉妬します。
それは他人と比べるからです。
なぜ他人と比べるのか、
比べるべきは、今までの自分と
今の自分であるべきなのに
比べる相手を間違えてしまったがために
嫉妬にくるって
自分や周りの人や、
好きな人を傷つけてしまいます。
こうやってみていくと、
バクティヨガって
母親の愛に近いなって思います。
見返りをもとめて
こどもを愛する人はいないし
子供に何かがあれば
カラダを張ってでも守ろうと思うし
ただひたすらに
こどものための愛を貫く。
こういう愛を
異性や他の人たちにも
広げていくことこそが
本当の愛ですよね。
自分も、母親になってから
変わったような気がします。
それは
自分をなくして
相手に隷属するのではなく
神様や師匠に仕えるような
そんな愛し方に近いのかな。
まだ、偉そうなことを
言えるほどまではいかないけれど
少なくとも、
世の中の母親をやっている人たちは
こういう気持ちのいくつかをもって
こどもだけでなく、
周りの人にも接しているとおもいます。
私はまだ、
バクティの入り口に過ぎないですけどね。
