1880年の「国際聾教育会議」ミラノ会議では、口話法教育が手話法教育より優位とされ、                  聾学校の手話使用を禁止して、効率よく音声言語を生徒に習得させようとした。

 

これは聾児が人間として自然に身に着ける母語を習得する権利を奪い、完璧な人間として扱われるべき個人の尊厳を奪うものであったと考えられる。

 

聴覚障がい者として口話法教育で音声言語を身に着けようとしても、ほとんどの聾児は聴者に近づくことは難しい。

母語を持てないと、多くの聾者が自分に自信を持てない、人間が生まれながらにして持つ価値や尊重されるべき存在としての地位を示す「尊厳」が持てない状況になったであろう。

 

しかし、聾学校の寄宿舎で手話が使われ続け、手話を母語として身に着けたDeaf(手話者)は音声言語(文字)とのバイリンガルになり、聴者社会にも参加するようになっていった。

 

現在は、手話を母語とする手話者のアイデンティティをもつ、完璧な人間としての尊厳を取り戻しつつある。

さらには2010年、「第21回世界ろう教育者会議」において、「ミラノ会議での手話禁止決議」の誤りを認め、撤回する宣言を出した。

 

言語は人間の尊厳と深く結びついている。

You must have dignity.(人は皆、尊厳を持たなければならない)。

書物の中の聞こえない人  「19世紀文学作品では聾者はどのように描かれているか」

はじめに

聞こえない人とは、ここでは全く聞こえない人、聾者を取り扱う

文学作品、書物の中では聾者はどのように描かれ、どのように扱われているのか。それを知ることで社会での聾者の立場がわかる。

聾者というマイノリティについて知ることが多文化共生につながる。

まずは、19世紀の文学作品から聴者作家が聾者をどうみているかを2つの書物から説明する。

1.2つの書物

1つ目:編者(Trent Batson, Eugene Bergman)によるAngels and Outcasts(1985)

•          文学作品の中に聾者の登場人物が出てくる作品を集めた作品集

•          19世紀の聴者作家は文学作品に登場する聾者を「天使」や「追放者」の存在として見ていると編者は述べている。

•          聾者は耳が聞こえないために聴者社会に受け入れられず、聴者社会の外にいるので、聴者社会からの「追放者」という哀れむべき人であるということと、聴者社会の中にいないので社会に染まっていない純粋な「天使」のような人として描かれていることを意味する

2つ目:Christopher Krentz  Writing Deafness(2007)

•          Krentzは、人種間にcolor lineがあるように、聾者と聴者の間にはhearing lineと名付ける境界線があることを聴者作家は文学作品の中で示していると述べる

 

2つの書物にとりあげられている作品

Writing Deafness(2007)の中の作品
Angels and Outcasts (1985)の中の作品

(1720年) Daniel DefoeThe history of the life and adventures of Mr. Duncan Campbell

(1839年) Herman Melville Fragments from a Writing Desk

(1843年) William Fletcher The Deaf and Dumb boy

(1844年) Alfred de Musset Pierre and Camille

(1852年) Ivan Turgenev  Mumu

(1865年) Charles Dickens  Doctor Marigold

(1885年) Mark Twain  Adventures of Huckleberry Finn

(1893年) Lewis Wallace The prince of India

 

1つ目:Angels and Outcasts(1985)について

•          巻末の文献リストによると、最古の作品は1720年のDaniel Defoeの小説で、実在した聾者の男性をモデルにしている。

•          次に1843年にはWilliam Fletcherは、主人公が外科手術で聴力を取り戻す物語を描いた。

•          1893年にはLewis Wallaceが聾者の奴隷を従えた主人公のロマンスを描いた。

 

Angels and Outcastsの4人の聴者作家作品

•          19世紀の著名な4人の聴者作家(ミュッセ、ディケンズ、ツルゲーネフ、モーパッサン)の作品を扱った。

•          ミュッセとモーパッサンは二人ともフランス人作家であるので、モーパッサンを除き、残りの3人の作品を検討する。

•          まず作品の①あらすじをまとめ、次に②聴者作家が聾者をどのように描き、扱ったかを考察する。

 

(1)ミュッセ, Pierre and Camille (フランス)

①あらすじ

物語は1760年に始まり、聴覚障害のある貴族の娘カミールの不幸を描く。母は治療をあきらめ、父は家を去る。近所の子どもはカミールを避けるが、叔父は聾者は不幸ではないと考える。

カミールは聾のピエールと結婚し、耳の聞こえる子どもを授かる。

 

②聴者作家が聾者をどのように描き、扱ったか

カミールの両親は、耳が聞こえないことが両親を不幸にしている悪であるとみなしている。ところが叔父はカミールが周囲の人に心地良い静寂を与えるという点から、聾者カミールの存在を「天使」とみなしている

作者ミュッセは、聾者を聴者社会から排除されている「追放者」でありながら、「天使」のような弱者として描いていると編者は述べる。

(2)ディケンズ, Doctor Marigold (イギリス)

①あらすじ

たたき売りのマリーゴールドは、結婚して、娘が生まれたが、病気で死んでしまった。妻も川に飛び込んで自殺した。孤独な彼は聾のソフィーを養女にした。

ソフィーは聾学校卒業後、聾者のピエールと結婚した。

そして、ソフィーは女の子を産み、マリゴールドにその孫が「Grandfather!」と声を掛けた。

 

②聴者作家が聾者をどのように描き、扱ったか

言葉で妻子と心を通わせられなかったマリゴールドに対し、ソフィーは手話で心を通わせた純粋な存在として描いている。

マリゴールドはソフィーを聾学校に行かせ、その結果、神が聴者の孫を授けたという展開になった。

 

(3)ツルゲーネフ, Mumu (ロシア)

①あらすじ

小さな小屋でひとり暮らしていた屋敷番の大男ゲラーシムは、聾唖者であるが、几帳面で仕事熱心だ。ある日、川に落ちた子犬を助けて「ムムー」と名付けて飼い始めるが、女主人がムムーを処分するよう命じたので、ゲラーシムは苦悩の末、ムムーを川へ沈めた。その後、彼は以前と同じ生活に戻った。

②聴者作家が聾者をどのように描き、扱ったか

作者ツルゲーネフは聾者をまじめな従順な使用人として、さらには聴者とは分離されて小屋に住む「追放者」として描いている。

そして、女主人に従わなければならない「追放者」であると編者は述べる。

ゲラーシムは大男なので「天使」とは言えないが、純真で従順な善人として描かれている。

2つ目:Writing Deafness(2007)について

次にKrentzがhearing lineが描かれている作品として取り上げたメルヴィルとマーク・トウェインの作品を次に紹介する。

Herman Melville(1839) Fragments from a Writing Desk

Mark Twain(1885) Adventures of Huckleberry Finn

Krentzは、聾者と聴者の間にはhearing lineと名付ける境界線があることを聴者作家は文学作品の中で示していると述べる。

(1)メルヴィル Fragments from a Writing Desk (アメリカ)

①あらすじ

ある若い聴者は神に仕える人であるが、彼は恋愛を体験したいと思っていたところ、神秘的な女性が彼の足元にメモを落とした。メモには彼女の使用人の後についてくるように指示されていた。従って行くと森の中の屋敷に入り、そこにはその女性がいて、彼は女性に話しかけたが、彼女は何も答えなかった。彼は何か恐ろしい気持ちになった。彼は「彼女はdumb! 彼女はdumb and deaf(聾啞者)だ」と言いながら気も狂わんばかりになって逃げた。

 

②聴者作家が聾者をどのように描き、扱ったか

聴者がhearing lineを越えて聾者の世界に入ると恐怖を感じ、戻ろうとする。

森の中の女性の設定は、聾者と聴者が異なる世界に住むことを示す。

聴者の作家は聾者を通じて聴者の内面を映し出している。

 

(2)マーク・トウェイン  Adventures of Huckleberry Finn(アメリカ)

①あらすじ

第23章では、ジムがハックに娘の聴力を失った経緯を語る。猩紅熱の後、娘はジムの指示が聞こえず反応しなかった。最初ジムは怒って娘を叩いてしまうが、娘が大きな音や声にも反応しないことで聴力を失っていると気づく。ジムは自分の行動を悔い、生涯償うと誓う。

②聴者作家が聾者をどのように描き、扱ったか

聞こえることが優位なことと思うことは、ジムの娘に対する感情のように、聾者に対して聴者を慈悲深くさせるジムはハックとは人種が異なるにもかかわらず、娘に対しては共に聴者という同じ立場になった。黒人と白人の間の境界線は聴者と聾者の間の境界線hearing lineに変わった。

 

ところで、聾者の現実の姿とは?

聾者が書いた作品が出版されることはなかった19世紀に唯一、1848年に出版された聾者John Kittoが書いた自伝には、手話を聴者の音声言語と同様に使う彼自身には孤立感はないと述べている。

現実は、聾者は自分自身を「追放者」であるので可哀想な助けられるべき人間と思わなければならない状況ではなかったからである。

 

『みんなが手話で話した島』があった。マサチューセッツ州南東部の島、マーサーズ・ヴィンヤード島では、 20世紀初頭まで300年以上にわたり、聾者の住人が多かった。島では聴者が島の手話を覚え、実生活の場で手話を用いた。島の子供たちの多くは、英語と手話という二言語を併用しながら大人になっていった。

 

Writing Deafnessによれば、1817年にアメリカ初の聾唖学校が創立されたことを感謝の意を表す会を1850年、聾者と聴者が共に開催した。その会には400人以上の聾者が集まり、ほとんどの聾者が英語で事前に文章を書いておき、聴者がそれを読み上げた。英語の文字が読み(黙読)書きでき、手話でコミュニケーションできる聾者が存在した。

 

まとめ

聾者が登場する19世紀の文学作品では、聴者の読者を物語に引き込むための手段として、想像の聾者像を描いて聴者から見た理想的な聾者として描いている。

そのため、「追放者」である「天使」としての聾者、あるいはhearing lineを乗り越えられない聾者が登場している。

 

聾者は聴者が助けるべき対象者となり、聾者を支援する聴者自身が善人となる物語の展開になった。そして、その可哀想な聾者たちに教育を与えようとする聴者たちの行いをたたえた。

聴者作家は現実の聾者の姿を描こうとするわけではなかった。

手話による聾者間の結びつきは強く、聾者には聴者社会からの「追放者」という感情はなかったとみられる。

しかし、 1880年にミラノで開かれた「国際聾教育会議」では聾者を聴者社会に仲間入りさせるために、手話を禁じて口話法教育を効率よく与えることが決定された。

 

下記の論文を基に書きました。

伊藤泰子(2011)「19世紀文学作品におけるdeafの一考察」名古屋市立大学大学院人間文化研究科『人間文化研究』14号  pp 227-242

 

 

聞こえない親はどうするか

Ø  手話を見せて子どもを手話の環境に置く。

Ø  会話の手段が手話であること以外普通の子どもと見なす。

 

子どもはどうなるか

•       手話から日本語の文字を覚える。

•       聞こえない人たちと手話で会話して仲間入りする。

•       劣等感、孤独を感じることはない。手話通訳を利用して、聞こえる人の世界でも自立できる。

           ⇓

常識的な見方を変えよう

 

²  聞こえない子どもが無意識に自由自在に使える言葉は日本語ではなく、手話

²  聞こえないことが問題ではなく、コミュニケーションできないことが問題

²  聞こえる親は子どもとともに聞こえない人の世界に飛び込む覚悟をしよう。

 

提言: まず、最初に、聞こえない子どもと一緒に手話を覚えて

   子どもと会話して、親子関係を築こう。

①    誤った常識的考えに親は動かされていることに気付く。

 

②    先のことを考えないで足元を見る。

 

③    聞こえないことはマイナスと考えないで聞こえないことは当たり前のことと見る。

 

④    聞こえない子供にとって、手話が無意識のうちに自由自在に使える言葉であると気づく。

 

現状 聞こえる親はどうするか

Ø  聞こえないことを改善しようとする。 補聴器、人工内耳を装用して

 

Ø  聞こえないから障害児とみなす。特別扱い  サポートが必要

 

Ø  聞こえないから日本語を文字で覚えることに努力させる。

 

Ø  将来を考えて、子どもを多数派の聞こえる人の世界に引き入れようとする

 

子どもはどうなるか

•       どんなに頑張っても聞こえる人と充分な会話ができないという劣等感

 

•       サポートがないと聞こえる人の会話に簡単に入っていけないので、

   友達ができにくい  孤独

 

•       いつもサポートが必要で自立できない。障害者であるという意識を

   もたされる。  自立できない

 

 

カナダの場合は

 

  •  手話は聞こえない子どもの母語である。
  •   母語とは、自然に身に着けて無意識に自由自在に使えるようになる言語である。
  •   母語とは誰もが持っている言語の本能である。
  •   聞こえない子どもは聞こえない音声言語を母語とすることはできない。
  •  音声言語や音声言語対応手話は、学習する第二言語であって、母語にはならない。
  •   聞こえない子どもは母語である手話で自由自在にコミュニケーションすることで、手話者の仲間とつながる。
  •   母語の手話が基盤となって、第二言語の音声言語の文字が習得できる。