整心療法研究所(埼玉県上尾市・大阪市・和歌山市)のブログへようこそ。

従来型の精神分析(無意識を意識化する)を凌駕し、新しい観点から人間の精神にアプローチする方法を研究・実践中です。


今日は《 身体からのメッセージを聴く》について書きます。


幾度となく書いていることではあるが、身体は無意識からのメッセージをよく反映している。

子どもからお年寄りまで年齢に関係ない。

ただ、大人はその声を何かで紛らし、置き換えて生きている。

時にはそれも適応するためには必要。

ただそれに気づいてコントロールできるかどうか。


少なくとも体調を崩してしまった時には、少し立ち止まり自らに問いかけてみるといい。

そこには何らかの疾病利得があるのではないかと。

そして、このままでまだやっていけるか、他に対処の得策がないかどうか。


身体からのメッセージを無視し続けるとやがて無意識からのしっぺ返しにあう。


最近では長野県の阿智村の星空ツアーが話題になっているとか。

自然は瞬時に非日常の世界へと誘う。

そこに身を置くだけで癒されるという人が多い。

身体が喜んでいるといえないだろうか。

日々いかに身体からのメッセージを聴かずに生きているかを実感するひと時でもある。


自然は偉大な精神分析家として機能する。

497) 不安を減らす

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今日は《 不安を減らす》について書きます。


不安は人間であるがゆえに湧き上がってくるもの。言葉を使うから想像してしまうもの。

言葉を覚えてしまった私たちには、今さら言葉の世界から抜け出すことは不可能。


では、想像を止める方法は何か?

それは行動すること。


人は考えている時には行動が止まる。

考えることと行動することを交互にしているもの。

時には考えながら行動しているという人がいるかもしれない。

それは考えることと行動することが瞬時に交代しているから、そのように感じているのではないだろうか。


とまれ、不安は行動せずあれこれ想像している時にどこからともなく湧き上がってくる。

ならば、まずは行動してみる。

行動すれば何らかの結果が出る。

その結果に対して考え、次の行動に繋げる。

この繰り返しの中に、いつしか不安は姿を消す。


もちろん、不安は尽きることはない。

だがこの繰り返しを重ねて人は生きていくのではないかと思う。

思いついたら即行動。

そうすれば、今の不安はきっと軽減するだろう。



496) 追い詰めないために

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今日は《 追い詰めないために》について書きます。


自分も他者も追い詰めないために、まず自分を許すこと。『今はこれでいい』と自分に言ってあげること。


真面目と言われる人ほど自分に厳しく、自らが描く理想の姿から今の自分を見て判断する。

理想から見れば、どんな自分もいつも駄目な自分となる。どこまで努力しても永遠に理想の自分には辿り着けやしない。

そこから自分を責めるエネルギーが生まれてくる。それが許容範囲を超えた時、外に向かえば広義の意味で暴力となり、内に向かえば自傷となる。


ゆえに、自分に厳しい人は人にも厳しくなる。

ただ、それを出すか出さないかの差は人それぞれ。


理想の自分はどこにも居ない、未熟で未完成な自分を「今はこれでいい」と許してあげましょう。


ゆるす→ゆるやか→ゆとり→ゆったり→ゆたか→ゆめ→ゆうき→よゆう

全部「ゆ」が入っている。


湯に入れば温まり、硬く閉ざされた身体も心も次第にほぐれてくる。

そうすれば、自らが描く世界はきっともっと広がることだろう。


495) 褒めること叱ること

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今日は《 褒めること叱ること》について書きます。


「悪いところを叱るより良いところを見つけて褒めて育てましょう」

これはよく耳にする言葉。

特に小学校低学年までの子どもには効果的なようだ。


ある場所で、ある子どもに活用している。

詳細は省略し、共通項を箇条書きにしてみる。


*やんちゃで注意しても聞かない(集団生活に支障が出る)

*叱られることに慣れている

*環境的に眼差しを向けてもらえない状況があった、もしくは今もある


これらに大抵当てはまるようだ。

何を求めているかは皆、察しがつく。

もっと構って欲しい。

もっと関心を持って欲しい。


ではどう褒めるのか。

試した方法はこれ。


「◯◯ちゃん、いつも花マルあげようと思って見てるよ」と言葉にして伝える。

側にいても、離れていても、これを基準に花マル💮から◯△❌まで指を使って子どもに見せる。

特に花マル💮の時は背中に大きく描いてみる。


これを続けていくと、「花マル💮描いて」と求めてくるようになった。

時には「これは花マル💮描けるかな?」と問いかけるとキチンとして見せるようになった。


これは花マル💮を描くことよりも、《わたしはいつもあなたに眼差しを向けているよ》というメッセージを送ることに主眼を置いている。

何があってもいつもあの人は自分を見てくれている。

これをしっかり感じ取る、根付かせること。

これらの視点から褒めること、叱ることを実践している。


これはあくまでも一つの方法。

方法は多種多様、それぞれの子どもに応じた対応が求められることは言うまでもない。







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今日は《 子どもの指数関数的な成長 》について書きます。


久しぶりの投稿です。

レイ・カーツワイルの「ポスト・ヒューマン誕生」を読んでいて、それが子どもの成長にもある部分で当てはまるのではと考えてみた。


指数関数的とは、数学用語で「累乗の指数が変数となる指数関数のように、値が大きくなるにつれて程度や量が飛躍的に増すような状態。」とある。

これを整心療法的視点に当てはめることの是非はさておき、私個人の独断と偏見で子育てに当てはめてみたい。


日々子どもに対しオールOKの対応をしていても、表面的には大きな変化が見られないことが多い。特に初期には何の変化も見られず焦ったり、本当にこれでいいのだろうかと不安になる。

数ヶ月、否、場合によっては年単位での対応も少なくない。


ところがある日、突然の変化がやってくることがある。

対応し続けていた親はもちろん、子ども本人でさえ驚く。

本人に「どうして?」と聞いても「いや何となく」としか返ってこない。

こんな状況をこれまで幾度となくみてきた。


これは、「指数関数的変化」あるいは「指数関数的な成長」と呼んでもいいのではないだろうか。


子育ての中で、昨日まで出来なかったことがある日突然できるようになったなどは誰もが経験していると思う。


こんなに頑張っているのに何も変わらないと感じる時、指数関数的な成長の過程なんだと考えられたなら、少しは楽になるのではと考えている。