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バイク好き白血病患者の爆笑闘病記

笑える闘病記を書いたつもりです。病気を持つ人々が、少しでもこの記事を見て心の支えとしてくれたなら幸いです。記事は物語形式になっていますので、どうぞはじめから読んでやってください。

20005月、ついに、僕の骨髄移植の日程が決定しました。運命の日は618日。入院は約1ヶ月前の521日です。え、なぜそんなに早く入院するのかって?え~それはですね、まず体の各部に異常が無いかを検査するわけです。そして、もし異常が見つかったらそれをずびびびっと治療してしまうためなんですね。まあ、ここでいう異常とは例えば虫歯ですとか、副鼻腔炎ですとか痔ですとか、要するに何らかの菌を伴うものです。骨髄移植をする際は骨髄の中が空っぽになるほど強い治療をしますから、免疫力が無くなってしまうんですね。ですから、体の中に悪い菌があるとそこから体中に菌が広まってしまって死に至ってしまうのです。どうです、恐ろしいでしょう?ですから体の中に菌を残さないために治療を行う時間が必要なんですね。

僕はいつもと変わらない日常を送っていたのです。そうですね、そのときは確かガンダムのビデオを見ていましたね。

「うおお~、シャアかっけ~(かっこいい)!」

そこに1本の電話がかかってきたのです。電話の主は僕の主治医の先生でした。

「移植の日程が決まりました。入院はそれより1ヶ月くらい早くなると思います。後ほど入院掛かりから電話が行きますので。」

電話を受け取った僕はいよいよ来たか、とその時は冷静でした。しかし、受話器を置いてしばらくすると、なんちゅうかこう怖いような、行きたくないような、まるで夏休みが今日であけて明日からまた学校だ!っちゅうようなね、感じがしてきたんです。なんかこう、物事を深く考えられません。何十分かは放心状態でしたね。一点を見つめて身じろぎ一つ出来ない、という状態です。はっ、いかん、冷静に、落ち着いてこれからのことを考えねば。しかし、落ち着けません。何をすればいいのかわからないけれど、じっとしていられない、じっとしていられないんだけれど何も手につかない。心の中にぽっかり穴があいたという表現がぴったりです。長い時間をかけその状態を何とか脱した僕は、しなければならないことを整理しました。まず、家族を含め心配してくれている人みんなに知らせなければいけません。それから、バイクのバッテリーを外します。こんな状態でもこれだけは忘れないんですな。きれいに磨いて、カバーをかけて、と。そして、僕にとって一番辛い作業が、彼女に入院と移植の日程が決まったことを伝えなければいけないということでした。彼女は悲しむでしょうね。そりゃそうだよなあ。おそらく、病気になった僕本人よりも、辛いでしょうね。もし逆の立場だったら、きっと僕も辛いと思います。病気と闘っているのは病人だけではないのです。心配してくれる全ての人の応援と助力によって病気は克服できるのです。そりゃあ本人は治療によって辛い思いをするし、怖くてびびるし死ぬかも知れないし大変ですよ。けどね、僕はそれを見ている家族や恋人のほうが辛いのではないか、と思うのですよ。本人が苦痛に顔を歪めているとき、それを見守っている人の胸中はいかばかりでしょうか。代わってあげたくても代わってあげることは出来ないし、何か助けてあげたいと思ってもどうすることも出来ないのです。そんな状況に置かれたら・・・きっと神に祈る・・だろうなあ。そうです、僕にとって神様が必要になるときというのはきっとこんな時なんですね。

 数日後、彼女に会って入院と移植の日程が決まったことを告げました。普段はけなげに努めて明るく振舞ってくれている彼女ですが、さすがにこのときばかりはショックを受けたようでした。ついに来てしまったか、と。彼女の目から涙が止め処も無く流れ出してきます。そりゃあそうですよね。彼女は移植の成績や経過を知っているのですから。そして、もう2度と戻ってこれないかもしれないということも、知っているのですから。どれだけ時間が経ったでしょうか、彼女が顔を上げました。

「大丈夫、きっちりけりをつけて必ず戻ってくるから。」

彼女はうなづいています。本当は言うつもりではなかったのです。僕の将来には何の保証もありませんから。でも、治して帰ってくればいいだけのことじゃないか、と自分に言い聞かせて彼女に言ったのです。

「ちゃんと病気を治して、働けるようになって人並みに稼げるようになったら、結婚しような。」

彼女は黙ってうなづくと僕の肩に顔をうずめてしまいました。これは彼女との約束であり、僕のいまの夢であり、そして僕自身との約束でもありました。よし、これで生きるための大きな目標が出来た。目標があれば、自分は頑張れる。この時点で、僕の中で移植は決定しました。

 数日後の外来通院のとき、驚くべき事実が判明しました。入院前にマルクをしようね❤といわれて抜き取った僕の骨髄が、劇的な変化を起こしていたのです。この日、僕は母を病院へ連れて行っていました。

「次回、ご家族に説明したいことがあるのでつれてきてください。」

と言われていたためです。放送で呼ばれ、診察室へと入っていくと、僕の主治医の先生のほかにおそらく学生かと思うのですが若い医師がいました。ここは大学の医学部付属病院なので勉強のために学生がよく来るんですね。早速主治医の先生が説明をはじめました。多分これからの辛い時期についての説明をされるのだろうと思っていたのです。ところが、先生が最初に説明をはじめたのは数週間前に行ったマルクの結果についてでした。

「この前のマルクの結果なんですが、異常な染色体(フィラデルフィア染色体)が殆ど確認できないほどに減っています。グリベックが非常によく効いているということです。」

???僕は初め何がおきたのかわかりませんでした。少し時間を置いて、先生に聞き返したのです。

「それは、つまりグリベックで治るかも知れないということですか?」

「いや、それは何とも言えません。治るという保証はどこにもありません。ただ、桜井君の場合は私の予想以上によく効いています。現に、マルクで確認できる範囲の異常染色体はほぼ消えていますから。いずれにしても、もしこれで治ってしまったらグリベックという薬はすごい薬ですね。」

な、なに~、また考えないといけないのか。すると、僕の母が

「移植したほうが良いよ。」

とぽつりと言うのです。そう言うけどな、移植は本当の最終手段だからできれば避けたほうがいいんだぞっ!すると先生が

「じっくり考えて決めてください。ただ、少なくとも来週の頭には答えをバンクのほうに伝えなければいけません。」

帰り道、僕は複雑な心境でした。う~ん、どうするべきか。母は移植したほうがいいのではないかと言います。しかし、グリベックで治ると知れば本当に避けるべきリスキーな治療だ。しかも、グリベックならばいままでと同じ生活を続けられる。ただ、いつまで飲みつづければいいのかわからない。決して安い薬ではないからなあ。短い期間で完全に治すとすれば、移植ってことになるな。でも、移植をしてもみんなが元気に社会復帰をしているわけではないし、再発ってことも無いではないしなあ。どうです、難しい選択ですよね。あなたならどうしますか?危険を覚悟で移植をするか、それともどうなるかわからない薬を続けるか。かかっているのは自分の命です。決して簡単に答えを見出せるものではありません。僕は悩みました。普通ならこんなとき誰かに相談しますかね?でもこんな重いこと相談されても困っちゃいますよね。それに、これはあくまで自分の判断で決めるべきです。そうすれば後悔もしないでしょう。そして、僕は何か重大な判断をしなければならないときは、岬に行きたくなるのでした。