狩勝峠を降りたところで1泊し、帯広を通って、今回の旅の終着点、襟裳岬を目指します。いざ出発。空が青い!清水町、芽室町を過ぎ帯広に入ると、それまでの風景が一変します。帯広はご存知のとおり大きな町ですし、何しろ暑い!ジャケットを脱いでTシャツで走っていてもまだ暑い!いやー、内陸と海沿いではこんなにも違うのですね。ここ帯広には、ツーリング雑誌には必ず載っているという豚丼の有名店があります。本に出ているその写真を見ると、また美味そうなんですなあ。帯広ではこの豚丼が名物なのです。したがって、豚丼を出しているお店は割とたくさんあります。でも、やはりライダーびいきなそのお店を訪れてみたいではありませんか。しばらく帯広駅前を探すと、あ、ありました。看板が出ています。さっきから僕と同様うろうろしているライダーがいますな。おそらく彼もその店を探しているんでしょう。さてさて、店の前まで行ってみると、
「本日休業」
瞬間、僕は肩から崩れ落ちました。ちょうど、ビルの解体をするときのような、あんな感じです。へなへなと。なぜだ!なぜだ!せっかく仙台から(くどいようですが、仙台の隣にある小さな町です)来たのに。さっきのライダーもやってきました。2人でボーゼン。あははは、とうとう笑いが出てきました。仕方ないから、写真でも撮っておくか、ぱちり。このライダーは、鹿児島から来たというつわものです。XJR1200に荷物をこぼれんばかり満載に積んでおりますな。僕たちは、通りかかったおばちゃんに聞いてみました。
「あのー、この辺で豚丼の美味いお店はありませんか?」
「ああ、それなら○○ってとこが美味しいよ。」
あ、ありがとうございます。しかし、今度は場所がわかりません。再び、通りかかったおばちゃんに聞いてみました。
「あのー、○○ってどの辺にありますか?」
「ああ、それならね、私がいまから行く方向と同じだから、連れて行ってあげる。」
おお、なんて親切な人だ。僕たちはそのおばちゃんについて行きました。うーん、北海道の人たちはライダーに親切だなあ。そして、連れて行かれたところは、○○とは似ても似つかない天ぷらのお店でした。
「ここだよね。」
「・・・は、はい・・・。ありがとうございました。」
とりあえず豚丼は出しているようなので、入ってみることにしました。席に座ってから僕とXJRさんはやっと口を開きました。
「あのおばさんは、いい人だけど人の話をあんまり聞かないみたいですね。」
「そうだねえ。どうやったら聞き間違えるのかね。」
「だって、一文字もあってないですよ。」
いやあ、僕は笑ってしまいました。本当に一文字もあってないんです。ははは。さあ、いよいよ豚丼を貪り食いますよ。ん、うまい!へえ、豚丼ってこんなに美味いんだ。以来、僕は友達にも、北海道に行ったら豚丼を食べるように勧めています。
「豚丼ってな、想像してたよりずっと美味いぜ(語尾にはぜをつける)。あれはね、油断してたらやられるよ。」
いつも、やられるってどういうことだ?と聞かれますが、そんなことは自分で考えろ、子供じゃないんだから、と言ってやります。どんぶりをものの3分で平らげた僕はXJRさんと別れ、いよいよ襟裳へと突っ走ります。十勝平野を走ると、美瑛の丘と並んで最も北海道らしい景色に出会うことができます。どこまでも続く野菜畑、真っ青な空、澄んだ空気、そしてどこまでも、信号もなく続く道路!本当にどこまでも、見えなくなるまでまっすぐです。すげーすげー。国道336に乗り、広尾町を過ぎると襟裳は間もなくです。ここからは、黄金道路と呼ばれる険しい海沿いの道を走ります。なにもここで黄金が取れるとか、そういうことはありませんよ。黄金道路の由来は、黄金を敷き詰めるほどの巨額の資金を使って作られた道路、というところにあるのです。何でも、調査が始まったのは江戸時代、着工は昭和2年、開通したのは7年後の昭和9年だったと言います。北海道を東西に分ける日高山脈がそのまま海に落ちている険しい地形で、崖を削り、海を埋め立て、トンネルを掘り完成した道路なのです。それでも、いまなおどこかが工事中。高波のときは道路が波を被ってしまうという、笑えない状況なのです。なるほど、走っていると片方は切り立った崖。もう片方はいまにも道路が冠水してしまいそうな海と、非常に険しいところです。ここに道路を作るのは大変な作業だ。黄金を敷き詰めるくらい、と言うのもうなづけます。黄金道路を抜け、襟裳公園線という道路に入ります。おお、これはまた、荒涼とした風景ですな。なんだか、サロベツ原野を突っ切るオロロンラインよりも荒涼としていて、少々寂しい感じがするところです。きっと地球の果ての、パタゴニアなんかに行ったらこんな感じなんだろうな、なんて考えてしまいます。途中百人浜というところを通ったんですが、ここにキャンプ場があるんですね。でもね、百人浜の名前の由来を聞くと、ここにキャンプはできなくなりますよ。何でも、昔どこかの船が難破し、百人の死体が打ち上げられたのが百人浜の由来だとか。ひええ、この霧といい、この強風といい、まさに幽霊が出るにはうってつけではありませんか。そんなところは無視です。さあいよいよ、今回の旅の最後の見所、終着点といってもよいでしょう。襟裳岬に到着です。岬の駐輪場にバイクを止めたのはいいんですが、風が強くてバイクが倒れてしまう!うそ~ん、と思ってますね、あなた。本当なんですよ、本当にバイクが倒れてしまうほど風が強いのです。岬には『風の館』という建物があるくらいです。こ、こりゃあかん、とりあえず宿に行こう。襟裳で宿に選んだのは、知っている人も多いあの宿です。もう襟裳岬といえば、知床岩尾別、礼文島桃岩荘とならんで、3大・・・・として有名ですよね。バイクを止め、受付を済ませて部屋に案内されます。木のぬくもりがあって、なかなか味わい深い、居心地がいい部屋です。お風呂に入り、夕食を済ませるとこの宿名物のミーティングが始まります。最初はそれぞれ硬かった旅人達も、お酒が入り徐々に和んだ雰囲気になってきました。いやあ、ここにはつわもの達が集まりますなあ。ここでヘルパーをしている人たちはみんな、旅の途中で襟裳に立ち寄り、そのままここに居ついてしまったという人たちばかりです。ヘルパーさん達はみんな名札をつけています。もちろん芸名?ですがね。ぼくはすっかりみんなと仲良くなってしまいました。みんないい感じで酔いがまわってきた頃、この宿のオーナーである≪お母さん≫があるビデオを見せてくれました。それはNHKのプロジェクトX。お、僕の大好きな番組ですな。毎回毎回この番組を見ては半べそをかいてしまうのです。おお、人生はなんて有意義なんだ、と。おれは今こんなことをしていていいのか、何か大きなムーブメントを起こさねばならないのではないか?と、また勘違いをおこしてしまうのであります。それにまた、あのテーマソングがいい。かっぜっのっなっかっのっすーばる~っていうあの歌ね。普通に聞くと、ちょっと気合入りすぎなんじゃねえのか?とも思えるこの歌が、プロジェクトXにこんなにぴったりはまってしまうのだから、選曲がうまいとしか言いようがありませんなあ。あるいは最初からこの番組のために作った歌なのか?テーマは、『襟裳岬に春を呼べ! 北の家族の半世紀』です。見た人も多いのではないでしょうか?襟裳岬が今の形になるまでの、苦労と努力をドキュメントにした番組です。それを見て、驚いてしまいました。僕は森進一の歌から、なんとなくこう、襟裳というところは何もないけれど穏やかな、あたたかい雰囲気のところなのではないかと思っていたのです。とんでもない思い違いでした。襟裳岬は昔、強風が吹きすさび、植物は育たず、流れ込む砂のせいで養殖する昆布もひどく貧弱な、海の生物もうまく育たないような不毛の土地だったのです。とても人が住むのには適さないような厳しい土地だったのです。それでも人々はあきらめずに防風林の植林を続けたのです。そして、まさに半世紀を経て、いまのように人々が問題なく暮らせるような土地に変わったのです。なんというのか、感動しましたね、真実を知ったときは。そうかあ、ここはそんなところだったんだなあ。僕がなんとなく、穏やかで考え事をするにはいい土地だろうなあ、と思っていたその期待とは違っていましたが、なにかこう、勇気を与えられたというか、ここに来てよかったなあ、と思えたのです。僕はこの宿に連箔することにしました。
ここ襟裳岬は、大きな岩礁群が遠くまで連なっていて、晴れた日には野生のゴマフアザラシを肉眼で見ることができるそうです。でも天気に恵まれる人はそう多くはないでしょうね。何しろいつも霧がかかっているそうですから。翌朝、アザラシ見学ツアーに参加しました。朝4時30分に起きて出発!いやはやすごい霧であります。5m先が見えません。この悪天候のため残念ながらアザラシは見ることができませんでした。しかし、野生のエゾシカを見ることができました。皆さん、エゾシカって見たことありますか?僕は驚いてしまいましたよ。何がって、シカのくせにでかい!体重は何キロくらいあるんでしょうかね、とにかく小さい馬くらいはあります。何でも、北海道では毎年シカと車の激突事故が頻繁にあるそうで、大きなシカにぶつかってしまった車は廃車になるそうですよ。ひええ、もしバイクでシカと激突したら・・・おそろしい!宿に戻り、朝食をたらふく食べた僕はギターなんぞを弾きながらしばしゆったりとした時間を過ごし、その後昼寝をしていたらヘルパーさんからお声がかかりました。
「櫻井さ~ん、昼飯ですよ~。」
おやおや、昼飯出るんですか?おお、どうやら特別待遇らしいですな。なんかこう、昔っからの仲間のようにいやに意気投合してしまったからねえ。ただ飯にありついた僕は、霧雨があがるのを待って岬へ行ってみました。歩いてね。う~ん、とっても霧が濃い!でも風は、幾分弱くなったようですな。とりあえず灯台の前で記念撮影です。パシャ。誰も歩いていない遊歩道を襟裳岬を歌いながら歩いてみます。「日々の暮らしはいやでもやってくるけど、静かに笑ってしまおう」
僕の場合は普通の日々の暮らしが欲しくてたまらないのです。ああ、でもこんな気持ちは健康な人にはわからないのだろうなあ。人は同じ場所にとどまってはいられないものなのですね。より多くを求め、より高いものを求める。やっぱり無いものねだりをしてしまう。そして失った時にはじめて、自分がいかに恵まれていて、いかに幸せであったかを知る。愚かといえば愚かだが、おそらくはそれが人間の性であり、生きているうちはきっとそれを繰り返すのでしょう。僕がこの病気を克服して、結婚して家庭を持つことができたとして、いつかはその幸せが見えなくなってしまうときがくるのだろうか。健康で愛する人と一緒にいて、今の僕にとっては最高の幸せに思えるその状況に満足できなくなる日がくるのだろうか。いや、これから少なくとも通常の人より限りなく死に近づく僕にとって、生きている喜びがそう簡単に消え去ってしまう、というか麻痺してしまうとは考えられないな。そうだ、それは僕が今後どのように人生を捉えるかにかかってくる。もし病気が完治して通常の生活に戻れるとしたら、生きている喜びと幸せをわすれないようになにか証を残そう。日常が嫌になったり、仕事が嫌になったり、家族とうまくいかなくなったりしたときには、その証によって頑張れるように。僕は考えました。絶対に忘れない何かを。そして一つ、思いついたのです。そうだ、骨髄移植の日を、第2の誕生日にしよう。僕は9月17日にこの世に生まれ、そして骨髄移植をした日に第2の人生がスタートしたのだ、と思い出せるように。毎年その日がきたら、生きている自分の幸せを実感できるように。仕事ができて、大切な人がそばにいて、休日にはバイクに乗れて、年に数回はサンデーレースなんかにも出ちゃって、お笑い番組を見て爆笑できて、名作と呼ばれる映画を見て号泣できて、冬には白銀のゲレンデでスノーボード三昧で、帰りにうまいラーメンなんかが食えて、こんなに幸せなことは無い、自分は恵まれている。そう実感できるように。命は本当に尊いものだ。病気を克服したならば、どんな困難にも立ち向かえるだろう。素晴らしい人生を手に入れるための、本当に命をかけた闘いだ。僕は岬の階段を息を切らして上りながら、ずっとそんなことを考えていたのです。旅は終わりに近づいています。この旅で覚悟が決まったのかはなんともいえません。正直、まだイメージが湧かないのです。それだけにどんなイメージトレーニングをすればいいのかわからないのです。けれども、僕は北海道に来てよかったなあ、と心から思えるのです。
その日の夜、恒例のミーティングが始まりました。みんなで歌を歌うのですが、何故か僕はギターを持たされ、
「失敗したらヘルパーやれよ!」
と脅されてしまいました。この宿では昔から歌いながら踊るという伝統があるらしいのですな。え~、何でも空前の国内旅行ブームだった数十年前には、多いときで300人の若者がこの宿に宿泊したらしく、もちろん全部屋あわせてもそんなに入りきらないわけですから、溢れた客はなんと浴室に寝たそうな。この宿をはじめた1代目(お母さんは2代目)の通称お父さんは、客を長く宿泊させるために漫画本をどっさり置き、夜にはミーティングを開いて酒をどんどん飲ませ、次の日は二日酔いで連箔、というゴールデンコースをつくったそうなんです。いや~、なんと正直な商売根性!好感さえ持てますな。お酒を飲みながらヘルパーさんたちに口説かれました。
「ヘルパーやれよ~。どうせ戻っても仕事無いんだろ?」
「いや、あの僕会社員なんですけど。仕事あるんですけど。」
そうなんです。僕はこの時点では休職をしているだけでまだ会社員なんです。したがって、体調に支障が無ければ職場復帰はできるわけです。まっ、インターフェロンを打っているので疲れやすく若干のだるさがあるんですけどね。だから僕はまだプーじゃないっての!でもこの宿を離れるのはさびしいなあ。まだ二泊しただけなんですけどね。