この前、「最終的に人を助けることがすべて」という記事を書きました。
そして、いつもコメントを頂いている方から下記のコメントを頂きました。
東北関東大震災の被災地へ鍼灸ボランティアしている、
朱鷺さん(shuro-san)という方です。
被災地に行って、鍼灸ボランティアをしているのですが
ふと感じたことがありました。
「ありがとう」と支援に感謝してらっしゃる被災者の皆様。
ありがとう、を言えるのはイイコトですが、
感謝されることに飢えているかな、ということ。
朱鷺は図々しいので
相手が被災者であろうと現地では頼みごとをします。
「すみません、シャッター押していただけますか?」的なことですが。
ボランティアは自己完結!と言われて、
被災者さんに負担を掛けてはいけない!と言われているせいか、
皆さん、頼みごとをすら躊躇するのですが、
シャッター…くらいは、良いだろう、と朱鷺は気にせず頼みます。
すると、どれだけ不機嫌そうだった人も、途端に笑顔になって
「良いですよ!」と喜んで押してくださる。
そして、ありがとうございました! とスタッフ一同でお礼を述べると
「いいえ、いつでも!」とにこにこ去っていかれる。
そのときは思わなかったけど、今、思う。
感謝されることに飢えていたんではないか?と。
頼ってあげることも、必要としてあげることと同義であれば、
それも人を助けることかもしれない、と。
どんな過酷な状況でも、人は誰かの役に立ちたいのではないでしょうか。
被災していない私達は、被災者の方が目の前にいたら、
一方通行のボランティアをしてしまうかもしれません。
でも朱鷺さんが言うように、被災者の方は一方通行ではなく
お互いの助け、助けられの震災前の人間関係に飢えている。
感謝される事に飢えているのかもしれませんね。
これは私達の身近な人間関係にも当てはまる事がたくさんあると思います。
本当に考えさせられる、気づきのあるコメントありがとうございました。
↓↓ 朱鷺さん(shuro-san)のブログ ↓↓
http://ameblo.jp/alice1009/ 『朱鷺's world on the earth』
http://blog.livedoor.jp/alice1009/ 『朱鷺’s world』
今日も最後までありがとうございました。
最高のハロウィンが皆さんに訪れますように。