同じ努力をしているのに、その努力を楽しんでいる者と、苦しんでいる者がいます。
両者の違いは何なんでしょう?
その訳とは?
人生とは極めて単純で、努力した分だけ報われます。
100の成果を得たいのであれば、100の努力が必要です。
たまたま、100の成果を得たとしても、後に100の苦労が待っています。
同じ100の努力と100の苦労
両者には大きな違いがあります。
【努力】には未来への【希望】があります。
しかし【苦労】には未来への希望がありません。
同じ100を積み上げるにしても、両者の感情は異なるのです。
未来へ向かう思考を【貯蓄型思考】
過去を補う思考を【返済型思考】と呼びます。
この様に身の丈に合わない成果は、その成果が大きければ大きい程、その人を苦しめる結果になるのです。
同じ神社に参拝するにしても、自ら進んで行く者と、いやいや手を引っ張られながら行く者がいます。
そんなことやっても何の得もない。
むしろ時間の無駄だと合理的ではないと言う者もいます。
しかし『神なんかいない』と言っている者でも、自分や身内が命の危険にさらされると、気づけば神に祈ると言います。
表面的には損得で動く人でも、最後は徳に触れずにはいられなくなるのです。
成果の後に成長が付いてくる合理的な考え方と
成長の後に成果が付いてくる道徳的な考え方
私達日本人がこれまで歩んできた道は、成長に成果が付いて来た道徳的なやり方ではなかったのでしょうか?
損得も大事です。
しかし、その根底に徳がなければ人は必ず苦労します。
同じ苦労をするなら未来へ希望がある努力を心がけましょう。