「嫌いと好き・・・自分を好きと気付くまで」 | カラオケBAR壱 むげの徒然日記

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廣島の歓楽街で小さなカラオケBARをやってます

「どうしても自分が好きになれない、自分が大嫌い。
どうしたら好きになれるのですか?」
と、私に聞かれたことがあります。

実を申しますと、私は自分が嫌いでした、それも、本当に大っ嫌いでした。

自分が居なければいいと思っていましたし、家族にも必要とされていないと、ずっと思っていました。。


けれど、ある時、嫌いなのは自分自身ではなくて、人に言われたとおりに出来ないとか、自分の思い通り出来ないと言う事が自分に辛くて、その状態が嫌いなのだと気が付いたのです。

もし、自分が何でも思い通り出来て、人から言われたとおりに完璧にこなせて、人に責められたり比べられたりすることがなかったら、自分のことを絶対に嫌いと思わなかったと気が付いたのです。

自分が可愛いからこそ、出来ない事を責められるのが辛いのです。

自分が好きだからこそ、何でも出来る自分を自分に求めて、もっともっと素晴らしい人間と認められる自分で居させたいと思うのです。

自分のことが嫌いなのではなく、辛い状態が嫌いなのです。

自分が上手く出来なくて、劣っていることが嫌いなのです。
責められたり、蔑まれたり、惨めな想いをすることが嫌いなのです。

自分が好きだからこそ、自分を責められるのが辛いのです。
自分が大切だからこそ、蔑まれることが嫌なのです。
自分を愛しているからこそ、惨めな想いをすることが耐えられないのです。

私はそのことに、なかなか気が付きませんでした。
だから、自分のことが好きなのだと、分りませんでした。

出来ないことはいけないこと。
怠けることも、休むのも、いけないこと。
努力をし続けなくては、いけない。
間違うことも、いけないこと。
正しくなくては、いけない。
とにかく上を目指さなくてはならない。

向上心という欲と、人に認められたいと言う欲に、いつも駆られていました。

それは、親が心に植え付けられたのも有ると思いますが、自分自身も考えを変えず、その欲の選択をしたのです。
(もちろん、向上心や、人に認められたいと言う欲は、必ずしも悪いものではないのですが、欲が強すぎたり無理は自分を苦しめるだけだと思っています。)

けれど、その欲を満たせるように、何でも思い通りには行きはしないのです。
全て完璧に出来る人ならともかく…・・

出来ない自分を、家族や他人が責めているように感じて、
自分は駄目な奴だと劣等感を持ち、自分を責めるようになり

「出来ない私は、駄目な人間。
こんな駄目な人間は嫌だ。
私は自分が嫌いだ」
と、いつも思うようになりました。

また、そう思う自分が、自分を責める人間に対して嫌悪の気持ちを持つようになり、その嫌悪感を持つ自分がまた汚く感じられて、自分を更に責めるのでした。


ある時、気が付いたのです。

どんなに頑張っても、人間は限界があるのです。

例えば速く走るように、ひたすら努力をし続けても、私がオリンピックに出るくらい速くはなれません。
どんなに頑張っても、ノーベル賞を取れるくらい数学が出来るわけではありません。

人には個性があるのですから、みんな違うし、出来ることもそれぞれ違って当たり前なんです。

そして、嫌なことがあると嫌悪感を持つと言う感情も、誰もが持つ自然なものだと納得すると消えていき、自分のことが嫌いではなくなりました。


出来無くっても良いんだ。
間違えても、良いんだ、ワザとじゃない。
私は神様じゃないもん。
でも、その出来ない不器用な自分が、一生懸命生きているんだ。
恵まれた才能や環境があるわけではないのに、頑張っているんだ。

それで良いじゃない。。


出来ないことで、自分を責めたりしなくなりました。
自分を許すことが出来るようになりました。
人に責められても、自分を分ってあげれられるようなりました。

それから、駄目な自分でも、自分を信じてあげられるようになりました。

嫌いだった時期は色々と自分に無理難題を突きつけて責めていただけで、私は生まれた時から自分のことが大好きだったのだと、気が付きました。

今、当然、自分のこと大好きですよ。
こんな変竹林でどこにも居ない、ダメだけど可愛い、自分のことを、ずっとこれからも大好きで居ます。

ありがとうございます。
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