100人の村は楽園だった | カラオケBAR壱 むげの徒然日記

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廣島の歓楽街で小さなカラオケBARをやってます

ある日、大変なお金持ちが、息子を連れて田舎へ行きました。


息子に、世の中の人々が実際にどれほど貧しいのかを見せようと思ったのです。


そしてその父親と息子は、田舎の大変に貧しい農家で数日を過ごしました。


田舎での滞在を終えて帰る道中、父親は息子に「どうだ?」と尋ねました。


「とってもよかったよ、お父さん」


「どんなに貧しいか、わかったかい?」と父親が聞きました。


「そうだね。よくわかったよ」と息子は答えました。


「おまえはこの旅で何がわかったんだい?」


 息子はこう答えました。


「僕たちの家には犬が1匹しかいないけど、あの農家には4匹いたよ」


「僕たちの家には、庭の真ん中までのプールがあるけど、
あの人たちのところには、どこまでも続く川があるんだね」


「僕たちは輸入したランタンを庭に下げているけど、
あの人たちのところには夜、満天の星空があるんだね」


「僕たちは、小さな地面に住んでるけど、あの人たちの住んでいるところは、見えないぐらい遠くまで広がっているんだね」


「僕たちには、僕たちに奉仕する召使いがいるけど、あの人たちは、他の人たちに奉仕しているんだね」


「僕たちは自分たちの食べ物を買うけど、あの人たちは自分たちの食べ物を育てているんだね」


「僕たちの家の周りには、僕たちを守るための壁があるけど、あの人たちには守ってくれる友だちがいるんだね」


 息子の返事に、父親は言葉を失いました。


 そして、息子はこう言いました。


「お父さん、僕たちがどんなに貧しいかを見せてくれてありがとう」

  古川千勝 著



“貧しく見える=不幸”ととらえる その心が、貧しいのかもしれません

話は少しそれますが

絵画を書く時、先生は生徒にこう教えます


『視点を物に固定して 描いてはならない、
物と物のあいだの空間を描くようにしなさい』と...


人生も同じで、
あらゆる障害物やネガティブなものだけに、
視点を固定させたら、人生は辛いものとなりますが、


「物と物のあいだの空間」を見るようにしていけば、
ネガティブなものも小さく見えてきて、あらゆるものがありがたく感じられてきます

いつも考え事ばかりしながら 歩いている人には、
空の色や風の音、咲く花の匂いや人々の笑顔に気づけないからです

ちょっとした見方の違いによって、差が生じるのかもしれませんね



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