偏頭痛と脳腫瘍『安田章大と色つき眼鏡』@朝日新聞 | 大倉忠義&重岡大毅を中心に関ジャニ∞とジャニーズWESTを応援するちよブログ

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朝日新聞で、
関ジャニ∞安田章大くんの5回連続の
特集が組まれました。


月曜から金曜日まで、毎日コンビニに通ったのは、初めてかもしれません。


しかし、掲載されたページは、
アイドルやエンタメのページではなく、

生活面患者を生きるというページでした。



生と死。
生きているということは、
体温がある。温かいこと。

脳腫瘍の手術を経験したことで、
命の神秘について伝えたい気持ちと、

闘病中の方ご家族の気持ちに寄り添い、少しでも楽になってもらいたいという思いから、自分の体験談を語ってくれました。


そして、なぜ安田章大は
色つき眼鏡をかけなければならないのか?


ファンの方々は、知っていることではありますが、知らない方々にもその理由を知って頂き、同じような境遇の方々に理解を示し、
温かく見守って頂きたいという内容です。


安くんがたくさんの方に知って欲しいという思いを汲んだと言うと偉そうかもしれませんが、
自分の回りにも偏頭痛をお持ちの方が多いので、ただの偏頭痛だと思い込まずに、
思い切って専門医を受診することも大切だよってことを知ってもらいたいし、
色つき眼鏡を掛けないと命にかかわる人もいるんだよってことを知ってもらいたいと思い、
微力ながらここで紹介させて頂きたいと思います。

偏頭痛がすべて脳腫瘍に繋がる訳ではありませんので、あくまでも脳腫瘍の前兆や手術、手術後の目安にして頂きたいと思います。

その辺りは誤解のないように、ご了承下さい。


健康に過ごすことは、有難いことですが、
その健康は当たり前ではないってこと。

いつどこで、病気やケガに襲われるか、
分かりません。

コロナのこともありますし。



あっ、これは余談ですが、
知り合いに、舌が痺れるって方がいまして、
耳鼻科や歯科で診てもらったが異常がなく、
脳を診てもらったら、脳腫瘍が見つかって手術で摘出した方もいらっしゃいます。

しゃべり方が普段と違うとか、
ろれつが回らない方は、脳梗塞だったという話も聞きます。


ご参考までに。




この先、ネタバレしています。







要約やニュアンスが多いですが、
ご了承下さいませ。




2017/2/1、
安田くんが平衡感覚を失い、
頭に圧迫感が襲った。

もともと、偏頭痛があり、
頭痛や、頭が重くなることは日常的だった。

市販薬で痛みを抑えていた。

だが、この日の圧迫感は、
いつもと違った。

しばらくして収まったが、
マネージャーさんに「一度きちんと検査を受けたい」と伝え、
翌日に頭痛専門のクリニックを受診した。


医師にこれまでの症状を説明した。

◆目の前にギザギザと光があらわれ、
ボーンと白くなる。
その後、ズキンズキンと脈打つように頭が痛くなる。

これは、
【閃輝暗点(せんきあんてん)】と呼ばれ、
偏頭痛によくみられる前兆の症状だそうです。

ただ、月に4〜5回の頭痛の頻度は、医師も気になったそうです。

女性には、珍しくないが、男性には珍しい。
(男性は月に1〜2回くらいが多い)


◆頭の左を下にして寝ると少し楽になり、
右を下にして寝ると頭痛が強くなる。

↑医師は、この症状を見逃さなかった!

偏頭痛は、後頭部の「視覚野」が過敏な状態になり、限度を越えると痛みが出る。
光や音による刺激、気圧や気温の変化、
睡眠不足や睡眠過多などが引き金となるが、
頭の向きによって痛みに差が出ることはない。


一方、脳を圧迫する腫瘍などがある場合は、
差が出ることがある。


MRI画像を確認すると、
左の前頭葉と呼ばれる部分に、
野球ボールくらいの腫瘍が、くっきりと映し出された。
直径8センチ。



診断名は、髄膜腫。

良性の腫瘍である。


すぐに、マネージャーさんに来てもらい、
話を聞いてもらった。

(この時点では、まだメンバーには知らせていない)

髄膜腫は良性だが、何かの弾みで力んだ場合などに、脳出血になってもおかしくない状態だという。

医師は「できるだけ早く手術をしたほうがいい」と言って、一週間後に極秘に手術をすることが決まった。


手術までは、いつもと変わらずに仕事をこなした。

手術はこれまでにも、
ヘルニアを2度経験したことがあったので、
手術へのこわさはなかった。


手術の前日に入院。
手術に備え絶食のため、病室のベッドの上でiPadなどで映画を見たり、音楽を聴いたりして過ごした。

事務所のジャニー喜多川さんと、メリー喜多川さんには、手書きで手紙を書いた。
事務所に入って、初めてのことだった。

兵庫県尼崎市で育った自分を拾い上げ、
さまざまな経験をさせてくれたことへの感謝。
元気に戻ってくるので心配しないでほしい、、、。

便箋2枚につづり、マネージャーに託した。


病室で軽めの麻酔をされ、ふわふわした感じになった。
担架で手術室へ向かった。
付き添いの母親によると「行ってくる」というように手を振ったらしい。

担架の上では、天井だけが見えて、
「光がまぶしい」と感じた。

手術室に入り全身麻酔。
「ちょっと重たく、痛くなりますよ」と告げられたところまでは記憶があった。

重たくなって、痛いと思ったら、
気を失っていた。

頭蓋骨の両側を切って外して手術をした。
腫瘍は、細かな血管が集まり、メスが当たるだけで血がにじみやすい状態だった。

手術用顕微鏡で少しずつ腫瘍を取り除く。

再発を防ぐために、取りきれてない腫瘍の根っこ部分の腫瘍細胞も電気メスで焼き殺した。

手術は、約12時間にも及んだ。

手術後、集中治療室でいったん目が覚めた。
母親、マネージャー、医師らがいることを確認したことは覚えているが、その後再び記憶は消えた。

後に母親から当時の写真を見せられた。

変顔したように、白目をむくなど、
ふだんはすることがない表情をしていた。

しかし母親によると、普通にしゃべっていたらしい。
だが、まったくその記憶がなかった。

集中治療室の機械がピーピーうるさくて、
「寝られへんな」と思った記憶はある。

手術をした頭の皮膚の感覚がなくなった。
熱が出てしんどかった。
点滴の針がさされている腕が痛かった。


1日後、集中治療室から一般病室へ戻る。

最短で動けるようになろうと思った。

頭を切った部分は、ネット包帯をつけていたが、手で触ると血が固まってギトギトして気持ち悪かった。
早くシャワーで洗い流したかった。
着替えをするにも母親などに手伝ってもらわなけれはならず、情けなかった。

3日間は、39度台の熱が続いた。

立ち上がろうとすると、立ちくらみがして座ってしまう。
それでも、時間をおいて立ち上がろうと、
繰り返した。

舌も腫れてて痛かった。
食欲はあるのに、食べ物を噛むのがつらく、
なかなか食事をする気になれなかった。


そんなとき、メリー喜多川さんが、
すき焼きを差し入れしてくれた。

「病院食だけでは回復しにくいでしょう。
体力をつけなさい」そんな手紙が添えられていた。

少し口に入れてみた。
「おいしい」
メリーさんの心遣いが嬉しかった。


早く自力で動けるようになりたくて、
可能な限り、ほかの人の手を借りずに自分で動くように努力した。

ただ、顔がどんどん腫れていくことが気になった。

それは、頭の中にたまった血液が顔の方へ下がってくるのが原因で、術後の健全な経過だと説明された。

「これも生きてる証拠だな」

日に日に顔が変わっていく様子を写真に撮った。


(こうゆうところが、安田章大のすごいところ。
考え方が全く悲観することもなく、
前向きです。病気を楽しんでいるっていったら、語弊があるかもしれませんが、
病気に打ち勝つんだ!っていう強い意思が伺えます。
病は気から)


手術が成功した後、関ジャニ∞のメンバーには、初めて髄膜腫と診断され手術を受けたことを伝えた。
ベッドの上から、腫れた顔の写真を送った。

いつもと変わらない雰囲気で「変な顔やな」と笑い飛ばす内容の返信をくれた。

(メンバーからも変顔が送られきたと、
他の雑誌でも答えてました。
彼らなりの優しさなのでしょう)


頭は、自分でコンコンと叩いても痛みを感じなくなっていたが、
抜糸をするときは、神経に電気が走るような痛みがあった。


医師から「手術後は、光に弱くなるので注意するように。できれば自然光も制御したほうがいい」と説明があった。


安田くんの場合は
髄膜腫は、視覚野とは別の部分にあったが、
手術で大脳の表面に触れたことで、一時的に光に過敏な状態が強まるという。
抑えるために抗てんかん薬を使うことになった。

手術から10日後、退院時には自力で歩けるようになっていた。

それでも体力は完全には回復していなかった。
歩くと息切れがし、
ふわふわしている感じがあった。


退院して2日後、重要な記者会見が入っていた。
「穴をあけたくない」
会見場へと向かった。

強いライトの下、カメラのフラッシュが絶え間なかった。
メンバーが寄り添い、見えないように後ろで背中をさすりながら、ふらつく自分を支えてくれた。

「仲間っていいな」
改めてそう強く思った。


(舞台『俺節』の会見かと思いましたが、
プレミアムフライデーの会見でしたね。
勘違いしてました。すみません。

その後、安田くんは、
★『俺節』の会見や
★『ジャニ勉』リニューアル会見、
★『スパイダーマン』のジャパンアンバサダーに就任し、日本語版主題歌を担当。その主題歌は安田章大くんが作詞作曲。
★関ジャニ∞アルバム発売発表、
★そのアルバムを引っ提げての夏ドームツアーの発表があったりと、すごく忙しかったんですよね。
たぶん、随分前から決まってたとは思うけど。
だから、尚更安田くんは無理をしたのかな?

私達ファンは、たくさんの発表に嬉しくて、
まさか安くんが脳腫瘍の手術を受けてたなんて、これっぽっちも思っていませんでした)



日常生活では、ブルーライトの眼鏡をかけ始めたが、病気と手術のことはオープンにしておらず、仕事では眼鏡をはずしていた。


記者会見や舞台の稽古、
強いライトやフラッシュで、
目の前に砂嵐のようなものが現れたり、
ものが歪んで見えたりした。
頭痛がして、吐きそうになることもあった。

手術から1年ほど過ぎた18年の4月。
意識がふわっと飛んでいきそうになり、
立ちくらみが起きて転倒。
背中と腰に全治3ヶ月の骨折を負った。


(渋谷すばるくんの会見の直前のことでしたね)


ライトなどの光の影響で、
脳が極度に興奮状態になったことが原因とみられた。

同年7月に、骨折とあわせて髄膜腫の手術を受けたことも公表した。

これまで以上に、光への過敏性を抑えるため、近赤外線もカットする特殊な色つき眼鏡を作った。
仕事の場でもこの眼鏡をかけるようになった。

自宅では、蛍光灯はつけない。
明るさが必要なときは、ろうそくや小さなダウンライトを使う。

そのときも光がパッと目に入らないように、
最初は目を閉じる。
その後、少しずつ目を開ける。
そんな習慣がついた。
眼鏡を掛けたまま入浴したり♨️
眠ってしまったりすることもしばしば。


アイドルは、常にスポットライトを浴びる仕事だ。
光に過敏なことで、ドラマや映画などの仕事に制約が生じることは否めない。

そのすべてに自分自身で折り合いをつけていくしかない。


昨年から、心理学の勉強を本格的に始めた。
いずれは資格を取り、メンタルケアやコーチングの仕事にも挑戦したい。


“生きづらさを感じている人々の力になりたい”

それこそが、アイドルの役割だと思うから。



ジャニーズwebで、
病気をしてから、大好きなダイビングが出来ないことを時々話してくれます。
大好きなことを奪われた気持ち、
大好きなことを出来ない苛立ちなど、
リアルに正直にストレートな言葉で。

でも嘆き悲しむだけじゃなく、
新しいことを見つけて、
それに挑戦していく前向きな姿も見せてくれています。

そんな安田くんの姿を見て、
自分もパワーをもらえるし、
愚痴を言ってるばかりではいられないと思う。

やはり、人間って生まれてきた以上、
人の為に、世の中の為に役に立てるようになりたい。

そんな風に考えたら、心の中がパーっと晴れわたった気分になった。

今日も1日頑張ろうー!って
単純に思えくる٩(ˊᗜˋ*)و




安田くん、
生きてくれてありがとう!

神様に、“生きなさい”と
言われたと思います。

これは、安田くんにしか出来ないことで、

宿命ではないかと思います。

命が、続く限り、
生と死を語り続けてほしいと
思います。


アイドルとして、
生と死を伝えるにはどうしたらいいか考えた安田くんは、写真集を出しました。


極寒の北海道で、マイナス10度の中。
厳しい自然環境の中で、
朽ち果てていく命と、
そこから再生していく命を表現。
馬とふれあうシーンでは、
その温かさにハッとした。
生きているから温かい。
息を吸うことも当たり前ではないと再認識した。

撮影は、2020年2月。

写真集は絶賛発売中です。






新聞の5回の連載を泣きながら拝読させていただいて、
今これを書きながらも、涙があふれてきて止まりません。゚( ゚இ‸இ゚+)゚。




安田くん
貴重なお話を、ありがとうございました
m(__)m