尊敬する佐々部清監督が旅立たれた。62歳。まだ信じられない。
 
10年以上前、地方の映画祭で初めてお目にかかり、その後も縁あって何度かお話ししたり、メールをする機会をいただいた。
 
会えばいつも変わらず、心を込めたあいさつをしてくださった監督。長年にわたり、ブログを読んでくださっていたようで、時折コメント等をいただくこともあった。
 
北海道一周の旅日記を綴った時(過去のブログ。削除済み)には、助監督として参加された映画『鉄道員』の思い出を。
 
映画『ホタル』のロケ地、韓国の安東を旅した時の日記には、安東マウルで高倉健さんがアリランを歌うシーンを撮影した時のエピソードなどを。
 
韓国移住し、息子が生まれた時も「おめでとう!しっかりお母ちゃん、してくださいね」と...。 
 
そんなマメさと律儀さ、そして優しさは、監督の映画の隅々に表現されていて、派手さはなくとも深く心に染みる、時を経て何度も見返したくなる作品ばかりがこの世に残されている。
 
もう一度、監督に会ってお礼が言いたかった。映画の話、韓国の話がしたかった。
 
佐々部清監督、出会ってくださってありがとうございました。監督の作品は永遠です。
 
【佐々部清監督作品】
『陽はまた昇る』
『チルソクの夏』
『半落ち』
『四日間の奇蹟』
『カーテンコール』
『出口のない海』
『夕凪の街 桜の国』
『結婚しようよ』
『三本木農業高校、馬術部』
『日輪の遺産』
『ツレがうつになりまして。』
『六月燈の三姉妹』
『東京難民』
『群青色の、とおり道』
『種まく旅人 夢のつぎ木』
『八重子のハミング』
『ゾウを撫でる』
『この道』
 

 

 

 

 
 
10年前、韓国語を学び始めた時に、知人から韓国のKBSで放送されている「ユ・ヒヨルのスケッチブック」という歌番組の録画を見せてもらった。
 
その時ゲストで登場していた歌手パク・ジニョンは、確かデビュー間もないガールズグループmissAの「Bad girl,Good girl」の歌詞をどうやって書いたかについて話していた。
 
その創作裏話の内容や語り方、ユーモアセンス、その後披露した歌とダンスのパワーが圧倒的で、「かっこいい」というより「人として尊敬」。私はたったの数分でパク・ジニョンに魅せられた。
 
彼は当時38歳。現役歌手でありながら、音楽事務所「JYPエンターテイメント」の創始者でもあり、ピや2PM、ワンダーガールズなど数々のアーティストを育てていた。
 
さらっと書いているけれど、想像してみてほしい。歌手を辞めて若者を育てるのではなく、新たな才能を見出し育てながら、自らも歌って踊り、第一線に立ち続けるのだ。
 
トップに立つ人が誰よりも努力し、輝く姿を後輩たちに見せている。これはただ者ではないと思った。
 
その数か月後、私はある放送局で仕事を始め、そこで運良く韓国大好きな人たちに出会った。それが縁で、来日したパク・ジニョンを客席から見られるという機会をいただき、自動翻訳機で訳して書いた手紙まで手渡してもらえるという、奇跡のようなことがおこった。
 
そして2012年。韓国に語学留学して間もない頃、パク・ジニョン主演の映画が公開された。香港出身の友人と一緒に映画館へ行き、舞台挨拶を運良く2度見られることになった。
 
2度目の挨拶の時、パク・ジニョンにかけよるファンたちの後に続き、「日本から来ました」と言ってとっさに語学堂のノートを差し出すと、パク・ジニョンは「名前は何ですか?」と尋ねてくれた。サイン後に握手をした手は、とても大きかった。
関連の過去記事はこちら→
 
その年の12月31日。私は初めてパク・ジニョンのコンサートを観にオリンピックホールへ向かった。19禁のコンサートの名は「나쁜 JAZZ BAR(悪いジャズバー)」。当時は貧乏留学生だったので、一番安いチケットを買って3階席の隅っこから舞台に釘付けになった。
 
初めて見た彼の公演は、最初から最後まで全力疾走。ハードなダンスの後に、のびやかなバラードを歌い上げる。その体力と情熱に脱帽した。「エンターテイナーってこういう人のことを言うんだ」と。彼は「80歳になっても舞台に立っていたい」と言った。
関連の過去記事はこちら→
 
あれから7年。
韓国に留学していたのは夢だったのかなと思うくらい、パク・ジニョンのことを思い出せなくなるくらい、日本で自分の道を築こうと一生懸命だった日々。
 
そして、思いもよらなかった国際結婚、韓国移住を経て、今日やっと行くことができた。今年デビュー25周年を迎えたパク•ジニョン(J.Y.Park)のコンサートへ。自身の曲も含め、ピ(RAIN)や2PM、ワンダーガールズやTWICE まで、パク•ジニョンが作曲提供して1位になった曲を50曲歌って踊る、がテーマの3時間だった。
 
今回は張り込んでVIP席のチケットを申し込んだ。オリンピックホールは広すぎず狭すぎず、アーティストとの一体感を得られるホールだ。今回は前から数列目。想像以上に近かった。
 
 
3時間の公演中、休憩なんてない。ずーーと歌って踊っているのに、声はのびやかでダンスもきれっきれ。抜群のピアノ、そしてトークも満載。生き方そのものが、最高のエンターテイナーだ。
 
スペシャルゲストは、なんとピ!意外にも、2人でこうしてコンサートで歌うのは初めてなんだとか。
 
「みなさん2019年、大変だったでしょ?毎年、いいことばかりじゃないですよね。でも諦めないでください。諦めずに生きていれば、いつか良いことがある」とパク・ジニョン。
 
台本を見て話すでもなく、自分の声を確認するためのイヤホンもつけず、観客と合唱し、対話する。
 
 「良い曲はバラードにして歌ってもいい感じに聞こえるんですよ」と、ピアノ弾き語りで披露したTWICEのダンスミュージックには、涙がこぼれそうになった。なぜその曲が生まれたかの裏話を話してくれたから余計に。
 
▲弾き語りするパク•ジニョン(公演中撮影フリー?だったので1枚だけ掲載させてもらいます)
 
興味のない人には全く暑苦しい文章だけど...音楽だけでなく文章や絵、料理など「表現すること」に関心がある人は、彼の音楽や生き方から学べることが本当に多いと思う。
 
エンターテイメントを事業として成立させつつ、さらに良い音楽を作りたいという純粋さを持ち続けている、稀有なアーティストだと改めて感じた。
 
毎年公演し続け、60才には還暦公演をするらしい。今日は1人で行ったけど、いつか必ず息子を連れて、あの最高のエンターテイナーの舞台を見せてあげるんだ。
 
パク・ジニョンが好きだから韓国留学しようと思ったわけではなかったが、「韓国にこんなすごいアーティストがいるんだ!いつかコンサートに行ってみたい。彼の話す言葉を聞きとれるようになりたい」と思った気持ちが、韓国への気持ちを支え続けてくれたことに間違いはない。
 
テレビの向こうにいた尊敬すべきアーティストに、少しずつ、少しずつ近づいて10年。私はこれから毎年、何があってもパク・ジニョンのコンサートに行こうと誓った。
 
音楽が好きでよかった。韓国語を学んできてよかった。パク・ジニョンというアーティストに出会えてよかった。そして、韓国語をもっと学びたいと純粋に思ったあの時の気持ちを思い出させてもらえてうれしかった。
 
パク・ジニョンがいつかこう言っていた。
「真心を込めれば、音楽は国境をこえる」のだと。
 
멋진 공연을 보여주셔서 정말 감사했습니다!

韓国はもうすぐ秋夕(チュソク)の4連休。

数日前からラジオでは、このチュソクに向けてすでに憂鬱になっている既婚女性たちを励まし、ねぎらうDJさんの言葉が何度も聞こえてくる。

 

どうして憂鬱になるかというと…

夫の実家へ行っていろいろと働かねばならない女性たちが多いのだ。例えば、ソウル在住でも夫の実家が遠く離れた地方にあると、「民族大移動」と称される高速道路の大渋滞に巻き込まれながら、何時間もかけて行くことになる。しかも、泊りがけで。

 

両手には大きな箱に入った果物や魚、肉やハム、油や調味料などの土産物を抱え、場合によっては義両親へのお小遣いまでも用意して。

 

 

チュソクとは、旧暦の8月15日(今年は9月13日)に家族・親戚が集い、朝早くから先祖の霊に食膳を備えて茶礼(チャレ)という儀式を行った後、お墓参りに行くのが一般的だ。

 

 

チュソクの前には、お墓の草刈り「벌초(伐草/ポルチョ)」を行う家も多く、うちも2週間前に夫の実家の裏山にあるお墓へ、草刈りに行ってきた。

 

 

夫の家では、義両親の家に夫の弟家族、妹家族が集まるだけで、他の親戚はやってこないし、お供えものの食膳もほとんどお義母さんが準備してくれているので、私たちが行って手伝うのはチヂミを焼いたり、お膳を拭いて並べたりするくらい。

 

みんな乳飲み子や未就学児を育てているので、大変だろうからと、これまでお義母さんが一人で頑張ってくれていたそうだ。

 

ただ、お義父さんの誕生日がチュソクの数日前なので、誕生日を祝う意味も込めて、おかずを1~2品作っていくと喜ばれる。

でも、これも強制ではなく、「できそうだったら持ってきてね」という感じ。

 

なので、まだ全然マシな方だと思うのだが、集う親戚が多い家だと、「どれだけ用意すればいいんですか」という量のチヂミを一日中焼き続けて油まみれになったり、「どれだけ洗えばいいんですか」という量のお皿をひたすら洗い続け、服がびしょびしょになったり。

 

日本のお盆と正月が一気に来たような雰囲気でもあるので、ここぞとばかりに朝からお酒を飲みまくっている夫や舅や親戚のおじさんがいる場合もある。

 

夫は自分の実家だから、お酒に酔って寝転んで休めても、妻はそうはいかない。

義両親や親戚に気を遣いながら、食器を洗ったり、手伝いをしたり、子どもがいれば、いつもと同じようにお世話もしなきゃならない。

自分のご飯を食べることも、トイレへ行くタイミングも難しい。

 

うちは今10か月で離乳食+ミルクを与えている。なので、おむつや哺乳瓶などいつもの荷物に加え、離乳食も何食分かまとめて用意していかなきゃならない(連休中は離乳食の出前も休み)。親戚が集えば子どもたちもたくさんいるから、お風呂を入れたり寝かしつけたりするのもどうなることか…。

 

しかも、息子は最近歩き始めたばかりで、きのうは初めて床の上で派手にこけ、口の中が血だらけになってしまった。私はパニック、息子は大泣きで、もうなんだか張りつめていた糸がぷつっと切れてしまった。

 

幸い大事には至らなかったものの、今日はその疲れがどっと出たのか、チュソクブルー(チュソクの前に憂鬱になっちゃうこと。勝手に名づけ)に。息子が寝た隙にブログでガス抜き中なのであります。(吐き出す場所がここしかない。寂しい…)

 

…とまあ、多くの韓国在住既婚女性たちにとって「身も心も休まって嬉しい」という連休とは程遠い名節「チュソク」がまもなくやってくる。

 

注)ここまで書いたチュソクの話は、私が経験したことと、人から聞いたりラジオで耳にしたりした経験談をまとめたもので、そのおうちによって過ごし方は全然違う。チュソクの連休に海外旅行へ行くとか、故郷がないので各自家で普通に休日を過ごす、なんて家もある。

 

 

で、やっと本題に入るのだが、このチュソクのように韓国の家族・親戚が集う時、毎回困っていることがある。それは호칭(ホチン/呼称)の問題。

 

韓国の家族の呼び名は、家族の中の自分の立場によって全く変わってしまう。細かく書き出すときりがないので、まずは長男と結婚した私の場合を書いてみたい。

コネスト参照。間違った記述があったらごめんなさい

 

義父 →시아버지(シアボジ) 

私が呼ぶ時は 아버님(アボニㇺ)

 

義母 →시어머니(シオモニ)

私が呼ぶ時は 어머님(オモニㇺ)

 

義弟 →시동생(シドンセン)    

私が呼ぶ時は 서방님(ソバンニム)

※義弟が未婚なら 도련님(トリョンニム)

 

義弟の妻 →동서(トンソ)

私が呼ぶ時は 동서(トンソ)

 

義妹 →시누이(シヌイ)    

私が呼ぶ時は 고모(コモ)

※義妹が未婚なら 아가씨(アガシ)

 

義妹の夫 →시매부(シメブ)

○서방(○ソバン) または 고모부(コモブ)

※〇にはキム、チェ、など姓が入る

 

ここまでは、私が夫の家族を呼ぶ時の話。

次に、義弟や義妹たちが私たち夫婦のことを呼ぶ時についてまとめてみると…

 

【夫を呼ぶ時】

義弟から見て、夫は「兄/형(ヒョン)」

呼ぶ時は 형(ヒョン)

 

義弟の妻から見て、夫は「お義兄さん/아주버니(アジュボニ) 」

呼ぶ時は 아주버님(アジュボニム)

 

義妹から見て、夫は「兄/오빠(オッパ)」

呼ぶ時は 오빠(オッパ)

 

義妹の夫から見て、夫は「義兄/처남(チョナム) 」

呼ぶ時は 형님(ヒョンニム)

 

 

 

【私を呼ぶ時】

義弟から見て、私は「兄の妻/형수(ヒョンス)」

呼ぶ時は 형수님(ヒョンスニム)

 

義夫の妻から見て、私は「義兄の妻/동서(トンソ) 」

呼ぶ時は 형님(ヒョンニㇺ)

 

義妹から見て、私は「兄の妻/올케(オルケ)」

呼ぶ時は 언니(オンニ)

 

義妹の夫から見て、私は「義兄の妻/처남댁(チョナムデッ) 」

呼ぶ時は 아주머니(アジュモニ)

 

…とまあこのように、私の場合、親戚から呼ばれる名が少なくとも4つある。

最初の頃は、みんなから呼ばれる名前が全部違うので、自分が呼ばれていることに気づかなかったりしたことも。

 

 

前置きが長くなったが、私の悩みはこれだ。

私が義弟の妻を呼ぶ時、本当は동서(トンソ)と呼ばねばならないのだが、どうしても呼ぶことができないのである。

 

なぜなら、トンソは私より何歳も年上で、しかも結婚して10年以上になる先輩。

結婚前から「언니(お姉さん/オンニ)」と呼んできたので、それを今さら変えられないのだ。

 

もう一つ、義妹を呼ぶ時も、本当は고모(コモ)と呼ばないといけないのだが、これまた年上のお姉さんということで、オンニと呼んでいる。ちなみに義妹は既婚なのだが、義弟の妻(トンソ)は義妹のことを아가씨(アガシ)と呼んでいる。なぜだ?!

 

そして、義弟や義妹の夫にいたっては、呼びかけることもできないでいる。

 

私にとって、호칭(ホチン/呼称)はそれくらい馴染みのないものであり、文化の違いというか、難しさを感じるものの1つなのだ。

 

ところが昨年妊娠中に、義両親と3人で食卓を囲むことがあり、その時に一度、この호칭(ホチン/呼称)の話を強くされたことがあった。「あなたは長男の嫁なんだから、次男の嫁のことをオンニと呼んではいけない。トンソと呼びなさい」と。

 

「年上のお姉さんにトンソとは呼びにくいので、〇〇オンマではダメですか?お義母さん昔、それでもいいって言いましたよね?」と聞くと、「それはダメ」と。

〇〇オンマ…韓国では子を持つ親を呼ぶ時、第一子の名前の後に「オンマ(ママという意味)」をつけて呼ぶことが多い

 

困り果てた挙句、私がとることにした方法は、名前を呼ばずにいきなり話しかける。

または、義両親の前でどうしても名前を呼ばないといけない時は「〇〇オンマ」と呼ぶ(めっちゃ小さい声で)。

 

そして、義両親がいないときは、今まで通り「オンニ」と呼んでいる。

一応、義弟の妻と義妹には、「オンニ」と呼び続けて良いですかと断りを入れておいた。

 

こんな悩みを持つのは私だけなんだろうか…。みんな素直に年上のお姉さんに「トンソ」って呼べるんだろうかと思い、韓国人の友達に聞いてみたところ、「それは呼びづらいよ!呼びにくいよ」との反応が。

 

例えば家族以外の人に、「トンソが~」と話せば、「夫の兄弟の妻たちの話をしているのね」とわかってもらえるので、その時は「トンソ」と呼べばいいと思う。きっとお義母さんたちは、そういう対外的なことも視野に入れて「オンニじゃおかしいから、トンソって呼びなさい」と言ってくれているのだと思うんだけど…。

 

わかっちゃいるけど、どうしてもできない。いっそのこと、みんな下の名前で呼ぶって統一してくれた方が楽だわ~と思ってしまうなあ!

 

 

この話、いつか書いてみたいと思っていていたのだけど、やっと書けてちょっとすっきり。

同じ悩みを持っている人と話せたらな~と思うけれど、なかなかそれが叶わない状況なので、ここに書きました。

 

チュソクブルーと言ったものの、家族が元気に集って一緒にご飯をおいしく食べられるということは、なによりのことなので、今年も感謝の気持ちを思い出して数日過ごしてきます。皿洗いがんばろ。早起きも…。

 

在韓のみなさま、良いチュソクの連休をお過ごしください。

日本のみなさま、引き続き台風等に気を付けて、良い秋をお過ごしください!