シゲがTwitter文学賞で1位を取りました。
作品は『チュベローズで待ってる』。
今更かもしれませんが、本当に最近シゲのことを好きになった私にとっては、今更知ったことで。

そして、自分の中だけに留めておくこともできなくて。
きちんと向き合わないといけないことだと思ったので、少し書いてみようと思います。
あくまで、個人的な考え方です。
誰を批判も否定もするつもりはありません。
ただ、きっと同じように悩んで考えている人もいると思うから。
シゲのことが大好きな1ファンとして、考えてみました。

この賞の存在自体、元々知りませんでした。
シゲが1位を取ったことも、Myojo の『GIRL FRIENDS』を読んで初めて知りました。
賞は2018/3/3に発表されたから、受賞もまだ私がシゲを知らなかった時。

最初Myojoで知った時は、純粋にすごい!
小さい賞かも知れないけど、シゲが欲しい賞というちゃんとした『称号』がもらえた!
シゲが認められたんだ!!
と、思っていました。

けど、賞のことをちゃんと調べてみると、そんな単純な話じゃなかった。
賞の成り立ちや意義については、公式な所で確認してみてください。
ざくっと言うと、本好きな一般ユーザーが、1票だけを投票して、本当に面白い本を決めよう、というもの。
国内・海外それぞれでランキングが決められ、
国内の総投票数は932票という、こじんまりとしたものです。

その中で、シゲの投票数323票。

2位は、79票。

圧倒的過ぎて、不自然ささえ感じる。

きっと誰もが、一瞬頭をよぎってしまうと思う。
ジャニーズであり、NEWSであり、アイドルの加藤シゲアキへの1票だと。
作家加藤シゲアキへの1票ではないんじゃないかと。

事実、あるファンからの『投票呼びかけ』の発信があり、それが『拡散』され、読んでないけど票入れました。という人まで続出したそう。

このファンが悪いわけではないと思う。
きっと、シゲの事が大好きで、同じぐらいシゲの本が大好きだったと思うから。
けれどこの時代、『発信』される力が、どんなに大きな影響を及ぼすかを知らないといけない。
純粋な気持ちが、知らないうちに違う方向に進んで、悪意へと変わってしまう恐れもある。

特にジャニーズなどのアイドルファンにとって、賞やランキングはすごく大事。
大好きな人のために、いろんなものを捧げて、それを生き甲斐としている人もたくさんいる。
あるアイドルの総選挙だってそう。
1位を取らせてあげたい。
その想いだけで、大好きな気持ちだけで、人は時にとんでもないことをする。
CDの大量廃棄だって、一時期問題になっていた。
けど元は、どれも大好き、っていう気持ちだけ。

だから、どんな影響があるのか。
どんなことが起こるのか。
それはきっと、『発信』された時に、もうほとんどわかってたんじゃないだろうか。

わかった上での『発信』かもしれない。
それなら、そうやって投票された票に、シゲは本当に喜ぶのだろうか?
シゲのことが大好きなら、それこそ火を見るより明らかだ。

『発信』が行われたあと、組織票について、Twitter事務局側とファンの間で一悶着もあったらしい。
そんな事態を収めるために、とうとうシゲのブログから、シゲ自信の言葉で、ファンへのメッセージがあった。

僕に対する票は全て無効にして欲しいと思うほど、
拙著に票が入ることをおこがましく感じます」

こんな事を、言わせてしまっている。
Myojoの記事でも、シゲはこう言っている。

「結局、ツイッター文学賞で1位を取らせてもらって、それも失礼な話だと思ったんで」

最初読んだ時は、いつものシゲで自分を下げてるだけなのかと思ったけど。
経緯を知ると、「取らせてもらって」という言葉に、そう思わせてしまったことに、ファンとしての至らなさを感じる。

組織票事態が悪だとは思わない。
それが求められていることも絶対にある。

ただ、今回は、、、。

作家としての加藤シゲアキは、いつも孤独に作品と向かい合っている。
それは、NEWSのためでもあり、アイドルで在るためにも繋がることだけど。
でもシゲは、アイドルの作家として認められたいわけじゃない。
二足のわらじを履いて、苦しくて、辛くても。
一作家として誇れるものを作るために、頑張っている。
だからこそ、作家として認められる『賞』を欲しいと言っている。
その気持ちは、ジャニーズとしても認められたい気持ちと同じはず。
今回は、同列のその気持ちに対して、ジャニーズとしてだけのファンが、作家の世界に同じベクトルで向かってしまった。
そんな悲しいすれ違いがあったのではないかと思う。
そして作家の加藤シゲアキにとっては、とても辛い思いをさせる結果になってしまったのではないか。
うまく言えないけど、サッカーの試合では大声で歌って応援するけど、将棋の試合でも同じように大声で歌って応援してしまったような。
どちらも大好きで、応援したい気持ちには変わりないけど、将棋の試合では大声を出す人はいない。
じっと対局を見守って、一手一手に息を呑むような応援の仕方をすると思う。
そして少なくとも、将棋の基本ルールは知っているはず。
戦略や戦術は知らなくても。

少し矛盾しているように聞こえるかもしれないけど。
自分がもしこの賞を知っていて、シゲの作品を知ってたら投票していたと思う。
だって、大好きだから。
シゲのことも。シゲの作品も。

作品のことを好きなこと。
その作品を書いている作者のことを好きなこと。
これは、切っても切り離すことはできないと思う。
なんだってそう。
歌だって。映画だって。絵だって。
身近な所だって、どんなお店でも同じ髪型にしてもらえるけど、髪を切ってもらう人が好きだから、このお店を選ぶ。
そんなことは日常茶飯事だと思う。

だから、加藤シゲアキがアイドルなことも、武器の1つだと思っているから。
自分は、票を入れたんだと思う。きっと。

でも、作品を読まないで票を入れることは絶対しない。
作品を読んで、面白くなかった、けど入れるなんてことも絶対しない。
評論家でもないけど、詳しくも何もないけど、加藤シゲアキという作家に対して、純粋に面白いと思うから、票を入れる。
その筋は、きちんと通さないといけないと思う。
それが礼儀であり、在るべき姿だと思う。
投票する上で組織票がだめとも、前提条件も何も書いてないけど、でも、それは基本的なルールなんじゃないかとも思う。

本当に本好きな人にとっては、それでもごめんだ、なんて人もいるかもしれないけど。
でも、何をきっかけに本を取るかは、人によって違う。
それがたまたま、アイドルの加藤シゲアキだったから。
それだけのことだとも思う。

まぁ、もっといろんな本や作家を知って、とか。
せめて候補の中の何冊以上は読んで、とか。
そういう人が投票しないと、本に対して失礼なのかもしれないけど。
けどTwitterという開かれた世界で行う投票なのであれば、メディアに多く出ている本、というのも一つの要素になってしまう気がするし。

ともあれ、今回の受賞は、シゲにとってどうだったのかな。
今後のビハインドにならないといいなと、切に思う。
そして自分も、シゲの本と、きちんと向き合いたいなって思う。
シゲは決して神様じゃないから。
シゲの行動、言葉、表現、何もかもが完璧で、正しいわけじゃないから。
シゲというフィルターを通して、曇ってしまわないように。
自分自信、シゲのファンとして誇れるように、成長していきたい。
そしてシゲが、いつの日か作家としてもっともっと自信を持って、誇ってくれる日が早く来ることを、祈ってる。