1988 Seattle Mariners特集 (先発内野手編) | 助っ人先生のブログ

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問題児キニョネズ

 

今まで一種類も確保できずにいたレイ・キニョネズ遊撃手を入手しましたので、88マリナーズの先発内野手達をまたも突発的にご紹介させて頂きます。彼は高いポテンシャルで知られたレッドソックス下部組織出身のプエルトリカンでオマール・ヴィスケールが台頭する前の正遊撃手でした。ただ野球に対する情熱に疑問を持たれることが多く、やる気の無さがパフォーマンスにも現れることしばしば。打撃センスには定評があったもののそれが一年続かない。89年ピッツバーグでジェイ・ベルとの競争に敗れるとあっという間にプロから姿を消すことに。治安の悪い界隈の生まれで、存命のOBながらマリナーズ勢ではかなりのタフサイナーとして知られる。

 

堅実さがウリのブラッドリー

 

80年代半ばから90年代初頭にかけて強肩でパンチ力のあるデーブ・ヴァリィと共にマリナーズの本塁を守ったスコット・ブラッドリー捕手。先発マスク数も彼が80、ヴァリィが76と互角。最終的には肩とパンチ力の差が明暗を分けた。

 

元近鉄アルヴィン・デーヴィス

 

元近鉄といってもマリファナ栽培マンじゃない方のデービス。全盛期はやや迫力に欠けたがなかなかのフィネスヒッター。後年指名打者での起用が増えたが、大学出身らしく一塁守備にも定評があった。ケン・グリフィー・Jrがチームの顔になる前のチームリーダー。

 

スポーツニュース等でおなじみ

 

二塁は野球解説などでお馴染みのレイノルズ。攻守に技ありの戦巧者。俊足だが盗塁死が多い。

 

デービスと並ぶ内野陣・打のキーマン

 

ラストは三塁手のプレスリー。前述のデービスと並ぶ80年代中期の主砲。ただ87年にラビットが終わると攻守ともに不安が。しかも人件費の高騰とエドガー・マルティネスの台頭で整理対象になってしまう。アトランタではそこそこ活躍しNL移籍は成功したかに見えたが、91年半端なパワーヒッターの墓場、サンディエゴに移ったのがとどめの一撃に。92年もテキサスの二軍でプレーしたが一軍に上がれずそのまま引退。メジャーやマイナーでのコーチ歴は長く、台湾の中信で打撃コーチを務めたこともあった。