1988 シカゴ・ホワイトソックス:先発投手編 | 助っ人先生のブログ

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お久しぶりです(最近そればっかやな、、、汗)、ホワイトソックス編も半分まで来ました。投手陣もあまり高い人がいないおかげでまずまずの揃いを見せています。スルメな人材が多く語るのが楽しい。

 

 

いきなりシーズンをシカゴで終えなかった人から。二転三転するキャリアを持つデーブ・ラポイントがエース。結局ホワイトソックスには前年の中盤戦から88年の中盤戦までの1年強しかいませんでしたが、16勝14敗と健闘。88年だけなら10勝で、通年なら14勝。キャリアベストを記録しました。ルーツを忘れがちですがもともとはミルウォーキーの若手で、映画「メジャーリーグ」のピート・ブコビッチやローリー・フィンガースとのトレードでセントルイスに送られたひとりでした。カーディナルス送りになった若手の中に元近鉄のグリーンもいます。ともに82年優勝に貢献して注目を集めました。結局88年がピークで、その後ヤンキースのローテーションで地味に二年務め、最後はフィリーズで結果を出せずメジャーから姿を消しました。

 

 

二人目は三年ぶりの好ペースでチームトップの13勝をあげた大ベテランのジェリー・ロイス。この年に200勝を達成。仕方のないことですが既に先発完投できる状態ではなく、完投2試合に留まりました。この年のホワイトソックスはリリーフに頼る傾向が強く、チームトップでも3完投。「活躍してくれればラッキー」というキャリア晩年だったこともあり、実績の割に格安。素晴らしい掘り出し物となりました。

 

 

88年の掘り出し物2号、メリィドォ・ペレェス。忘れられがちですが後年ヤクルトで投げる87年ホワイトソックスのエース格、フロイド・バニスターとのトレードでKCから加入した一人です。メジャーで一年を通じてプレーするのははじめてながら、一人でKCのバニスターと同じ12勝をマークして新人王投票6位に食い込みました。好調な日と不調な日の差が激しかったせいで当時のファンの印象に強く残っていたりするハラハラ投手。

 

 

この年ハラハラ二号機となってしまったジャック・マクダウェル。上々の試運転となった87年から一転、防御率はそこそこだったものの5負け越しに沈む。様々な怪我も重なったそうで、89年には調整のために一次5軍まで後退。その後7年連続2ケタ勝利。

 

 

トリビア的働き者のロング。先発と中継ぎの兼任で8勝、174イニングを消化して4・5番手としての役割を全うした。

 

 

同じく便利屋稼業のホートン。前年のエース格、デレオンとのトレードでランス・「1ドッグ」・ジョンスンとともにセントルイスから加入。中継ぎ陣トップの52試合に登板しましたが防御率はキャリアワースト。チームではそれなりの高給取りだったこともあり、シーズン終盤にドジャースの若手・ヒリーガスとトレードされる。するとWSでの出番はなかったもののメッツとのNL決勝で4戦、4回3分の1を無失点と健闘。ただその後は80年代のセントルイスやシカゴでの登板過多の影響かさらに精彩を欠くようになり、91年には一軍での出番が遂にゼロ。その年限りで引退。

 

トータルで見るとこじんまりとではありますがよくまとまった先発投手陣ですね。開幕時点にロイスとペレスが未知数だったことを考えると健闘しました。まあ未知数な二選手がローテーション入りしている事自体、やりくりの厳しさを物語っているとも言えますが。6先発以上ではあとは前述した終盤戦移籍組のヒリーガスとリリーフ兼任のビティガ―が未収集。打撃陣に比べるとほぼ固定メンバーで一年戦えたことは上出来でしょう。