「立入禁止区域 双葉」映画本(2) たまには僕の私生活など | 福島県原発被災地区の復興に向けて

「立入禁止区域 双葉」映画本(2) たまには僕の私生活など

 重度知的障害者施設で働いている

 今年の4月以降、僕の生活も変わった。

 まず、5年間なりわいにしてきた警備員の仕事を、派遣先の契約が切れたのを機会に退職した。まあ、潮時だったのだ。失業中に『フクシマ漂流』を書いたことは(1)に書いた。パソコンを二台並べて、片方で映像を見ながら片方に文字を打ち込んでいった。写真の選別や編集などもぜんぶ自分でした。言っておくけど、ワードで写真を構成するのってけっこう大変なんだよ。

 書き終えると怒涛のように疲労感が襲った。根を詰めて書いていたぶん、消耗も激しかった。体質が変わったのか、胃が肉を受けつけなくなった。食べるとすぐ腹を下す。好きだったシャケの皮も同様。年相応に衰えたのだけかもしれない。目もしょぼしょぼする。風邪をひきやすくなった。微熱が続く。死にたくねえ、と洩らす。

 以前なら失業するとこれ幸いとばかり旅に出たものだったが、それは未婚だった時のこと。結婚してしまうと失業生活をエンジョイもできない。

 このご時世、50歳を過ぎた僕を雇ってくれる職場がそうそう見つかるはずがない。ぼちぼち探そうかとハローワークに足を運んだら、意外なことに一回目の求人票がヒットしてしまった。おかげで失業生活は二カ月ともたなかった。

 5月下旬に新しい仕事が始まった。K市の重度知的障害者訓練所の臨時職員。週4日勤務、残業なしという条件が僕の希望にぴったりだった。(金で買ってでも時間は欲しいのだ)。多摩川沿いの道を原付バイクでビュンビュン飛ばし、橋を渡り川向うの施設に通う日々が始まった。

 施設の利用者のほぼ全員が自閉症者。重度なので他人とのコミュニケーションがとれない人ばかりだ。言葉を使えない。でも何かを訴えようとはしてる。それをどう表現すればいいかわからない。だからパニックを起こす。いつ突発的な行動に走るかわからないので片時も目を離せない。理解不能な行動も、本人にとっては意味がある。だから、対処法を間違えるとパニックの引き金になりかねない。仕事中は気が休まる時もない。ゆっくり食事もできない。いや、お食事タイムこそ神経を使う。

 彼らの味覚は僕らの味覚とかなり違う。味はわからないまま、食物が喉を通る時の触覚的な不快感をこらえながら、「食べ物を胃袋に捨てる」ように食べる。いいですか、食べ物を胃袋に捨てるんですよ。

彼らは外界の刺激にひどく敏感で、ふつうの人ならなんでもない刺激でも傷つく。いわば、因幡の白ウサギみたいに剥き出しの感受性で生きている。彼らのとる一見奇妙な行動も、不安に満ちた外界から自分を守るための手段なのだ。

 さて僕は白ウサギに対して適切な処置をとれる大黒様になれるだろうか。僕の職場は小さな小さな世界だけど、ひとりひとりに本気で向き合おうとするとその世界は恐ろしく深い。

 楽だろうと思って始めた仕事だが、毎日帰宅するとぐったり疲れた。いままで経験したことのない異様な疲労感だった。

 しかしまあ、続けられるだけ続けてみたいと思う。一般的な常識が通用しない世界ではあるけれど、突き詰めていけば必ず普遍に行きつくはずだし、そこから新たな人間観が生まれるはずだと信じている。

 印刷所へ「フクシマ漂流」を受け取りに行く

 5月末から僕はそんなふうに日常を送り、その一方で『フクシマ漂流』の出版に向けて活動していたわけだが、(1)にも書いたとおり難航し、敗色が濃くなると溜め息ばかり吐いた。しかし結果的に自費とはいえ本にできたのだから、良しとする。妥協ではない。いわば敗者復活戦だ。

 だいたいにおいて僕は敗者復活戦の連続のような人生をずっと歩んできたので弱者の闘い方は心得ている。努力の報われることの少ない世の中でも、努力の結果に不服を言わないこと、これがひとつ。もうひとつは、自分から負けを認めないこと。このふたつさえ守れば、たとえ勝てないにしても、少なくとも努力は続けられる。

 昨日は(1)をアップしてから印刷所のある水道橋へと電車を乗り継いで急ぎ向かった。

 印刷と製本を頼んだ株式会社コーヤマという印刷所は、ホームページによればコミケに出品するような自費出版本をスピーディーかつ安価にパパパッと作ってくれる会社のようで、きっと親切だろうなという印象を受けたから選んだのだったが、実際に親切だった。

 印刷所とはいってもオンデマンド印刷というのはつまりコピーなのでインクの匂いはしない。こじんまりとした室内にパソコンが数台と印刷機兼製本機が一台(しか見えなかったが、あるいは二台)あって、カシャカシャと軽い音を立てている。『銀河鉄道の夜』みたいに、貧しいアルバイト少年が一個一個鉛の活字を拾っているわけではない。データさえ完璧なら最速一日で本ができてしまう時代なのだ。

 約束の時間より早めに着いたら、仕上がったばかりの本を社員がダンボール箱に詰めていたところで、作業が終わるのを待っていたら、「ここ暑いんで。少し冷やしましょうか」と声をかけてくれた。節電で冷房を抑えているらしい。「いえ、おかまいなく」と断ったのだけれど、しばらくしたら室内が冷えてきた。いい会社だ。

 定刻ぴったりに製品を受け取り、代金を支払う。しばらくすると社長さんが領収書を持って挨拶に来た。社長さんは職人っぽい雰囲気を漂わせた人。『フクシマ漂流』に目を通しているらしく「大変でしたねえ」と気さくに声をかけてくる。僕の出身地や実家の現状などを訊ねた後で、

 「原発再開なんてとんでもない話ですよ」「この近所の奥さんたちも何人か代々木のデモに参加してるんですよ」「まあ、私にできることがあったら何でも言ってください」というような話をした。

 電気料金値上がりがもろに響く、しかも競争の厳しい業界の中小企業なのに原発反対の意見だったのは意外だった。庶民は強いのだ。

 さて、100部作ったうち50部をクロネコヤマトで京都の上映会場に送り、40部を僕の自宅に送るよう手配する。残り10部をバッグに入れて電車に乗る。

 新宿駅でJRから京王線に乗り換える。車内で佐藤監督にマナー違反の電話。「無事に受け取りました。これから待ち合わせ場所に向かいます」と、これだけ聞くと怪しい会話。密売人か、俺は。

 佐藤監督との待ち合わせ場所は明大前駅のホーム。佐藤監督はこの日、深夜バスで京都に出発する。忙しいのだ。雑踏の中での受け渡しというのも、なんだか密売人みたい。

 佐藤監督はパラパラと本をめくり、「おお。いいじゃねえか」とひと言。

「俺の知り合に出版コーディネーターがいるからそいつに渡しておく。それと、電子書籍に詳しいのもいるからな、その線も考えよう。二本立てでいくぞ」

 短時間で今後の戦略をひとくさりして去って行った。

 それにしても、若者だらけのホームにあってもひときわ目立つ派手派手なカラー・センス。いつも思うのだが、佐藤監督の服装はとてもカタギには見えない。


リンク

「立入禁止区域 双葉」映画本(1)『フクシマ漂流』自費だけど出版