羽生結弦の頭の中って…脳みその皺の多さって…どうなってんの???
…というのがEchoes of Life初演を前に届いたストーリーブックの偽りない読後感でした。
語彙、文体、プロット、創意。全てこちらが予期していたレベルを遥かに上回り(ウエメセ失礼)、文章は予想以上に饒舌で、思考の深さと広がりは止まることを知らないという印象。これまでのインタビューの話しぶりからすればもちろん全然不思議はないのですが。
それにしても、これを三次元に立ち上げねばなかった演出チームの苦労や如何に。そこには前2作を見事なショーへと変貌させたチームに絶大な信頼があったでしょう。さらには、ファンダムの解釈力にも信を置かれているような!
といっても、私のように彼の世界の土台となる諸々の表現媒体(ゲーム、アニメ、J POP等々)に馴染みがないと、前もって公式からネタバレしてもらってさえ散りばめられたオマージュに全然ピンと来ないわけですが。
そんなわけで、個人的にはEchoes of Lifeを純粋に小説としても楽しめるのはとりわけ嬉しかったです。この分野ならば自分もスッと入り込んでいけるので。
冒頭の感想のほかに強く感じたのは、アイスストーリー3作目にして完全なフィクションが出現したな、という点です。
過去作ではGIFTはもちろんRE_PRAYにも、勝利にこだわったりどんどん強くなっていったりと、彼のアスリート人生を想わせなくもない部分がありました。でも今回は、テーマ自体は彼の関心領域から生まれていても、主人公は羽生結弦本人からはっきりと独立しています。
VGHという遺伝子を操作された造られしものである設定自体が、普遍的な「命」への問いという哲学を掘り下げるにあたって特定個人に限定されない優れた手法ではないでしょうか。
案内人、VGH127、リーダー(かの者)、兵士たち、日記の主といった、血肉を備えた脇役たちの存在は、ストーリーのフィクション性獲得に大いに貢献しています。彼らはもはや月や太陽でもゲームのキャラでもありません。
彼らがストーリー世界の説得力に欠かせないキャラクターだとはいえ、ワンマンショーである以上、主役以外をどんな形で登場させるかという部分はなかなかの工夫が必要だったはず。この点を演出は、案内人は主役の姿と声をアレンジしての一人二役、VGH127はアニメーション、リーダー(かの者)は案内人の昔語りとして、日記の主は日記というオブジェで表現、さらに兵士はおびただしい数の木彫りの人形というシュールな姿に変えて解決しています。この1点だけでもMIKIKO先生の尋常でない手腕が伺えますよね。
ファンダムでは案内人の人気が上昇中のよう(笑)。案内人の声のチョイスも興味深いですよね。ペルソナ3ではもっとアニメ的に誇張された案内人の声を、VGH257に似通った落ち着いた若い男性の声にしました。難しいチョイスだったそうですが、あの声質に至った理由、いつか明かされるかな?ペルソナ、とか言っておきながらどこまでオマージュされているのか分からないのですが、口調に関しては絵に描いたような執事調なのが単純に面白いと思いました。
案内人に導かれ、課題を与えられながら気付きを得て行く過程には、門外漢なりにゲームの影響を感じると同時に、大きなくくりで成長物語的・教養小説的であるとも思いました。
自分が気になるのはリーダー(かの者)です。人間側のリーダーなのか、リーダーとして造られたVGHなのか。なぜ良い資質を持っていながら裸の王様に成り下がり、その挙句にどういうことになったのか…等々、リーダーの物語もなかなか壮大な物語になるポテンシャルがあります。
VGH257がリーダーだったのか、という点については、自分はとりあえずそうは解釈していません。
「同志よ。我が同志たちよ。」
ムービー中でそう叫ぶ声がリーダーのそれならば、その声だけは、本人の声にエフェクトをかけた案内人とは違ってはっきりと別人の、プロの声優(エンドロールに名前のある謎のあの方?)の仕事に聞こえますし。
ともあれVGH127や日記の主を含め、脇役視点でスピンオフのストーリーが読みたくなるほどに想像力を掻き立てられます。
最終的に出版されたストーリーは削りに削ったということなので、原案では彼らにもより豊かな肉付けがあったはず。興味をそそられますねえ。
以上。