もうブログを書かなさすぎて、文章の書き方すら忘れてそうな気がいたします

しづくですみなさまご機嫌いかがでしょうか。


えっ前に書いたのってもう昨年の10月のが最後!???

そうか…できるだけ楽しいことばっかり書きたいなぁって思ってたから

ネガティブなことを避けて避けているうちに、書けなくなっちゃったんだな。

今日はもう、書きます!

愚痴ります!

誰かが読んでくれてもくれなくても、

自分のデトックスのために書きます!

例の本(あとで出てきます)にも、

「誰かに会って話すことがおっくうだったら書いてもいいですよ」って

書いてあったしな!

「誰に読まれても困らないようなブログ、人の悪口は書かないブログ」をモットーにしてきたけど、今日はもう、許せ!!!!!



というわけで、

昨年の6月下旬に夫氏が過呼吸を起こしてぶっ倒れ、半年ほど休職。

思い返せばあれ以降、わたしの本当の心の平穏が訪れたことはありません。

鬱と診断され、常に気分の波があり、

わたしはそれに影響を受けないように日常生活を保つので精一杯。

何度も「もうムリだ」って思ったし、

良くなっている感がなくて

永遠に光の見えないトンネルを歩いているようでした。

そりゃあ一日、二日は平穏な日もあったかもしれないけど。

「いつまた真っ暗な部屋で夫氏がうずくまっているかもしれない」と思うと

しんどいとき困ったとき最も助けてほしいはずの人になんにも相談できない、

不安な顔を家に帰って見せられない、

ささいな言葉にも気を遣う、という状態は

心細くもあり、けっこうな負荷でもありました。



それからも、いろんなことが立て続けに起こったんだよなぁ。

夫氏がいよいよ職場復帰、となった二日後に飼い猫2匹のうちの1匹が脱走。

以降2ヶ月ほどは、雪の日も風の日も捜索に追われました。

(現在もまだ見つかっておらず、チラシや掲示板にも手がかりはありません)

プロの猫探偵さんに入っていただいたり、自分たちでできることは思いつくかぎり全部やり

何度も泣いたり期待したり落胆したりの繰り返し。

今もまだあきらめてはいません。


二月の終わり頃からは花粉シーズンスタートで苦しみ抜き、

仕事場では「なんだかすごくいやなこと言われた事件」が(わたしの中だけで)勃発。

四月には風邪のようなよくわからない体調不良に見舞われ

その後無事だったほうの飼い猫が膀胱炎になったり、

それが落ち着いたと思ったら一日に何度も嘔吐したりするなど

動物病院に通う日々が続き

極めつけが、先日の実家の火事。

大まかな出来事を並べただけでもこれ。

なに!???祟られとるんか!!!?????



火事そのものは、幸いにもけが人は出ず

我が家もベランダの窓が割れた程度で済みました。

団地で、斜め下の部屋から出火したんですよね…

真隣の部屋やその上がぼーぼー燃えてる映像が、

「こんなことになってるけど、しづくのお母さん大丈夫!?」と

近所に住む友人から送られてきたときには

動悸が収まりませんでした。

時刻は18時前。

いつも早朝に起きて夕方には寝床に入る母が

いつもどおりに寝ていたら、

そのまま煙にまかれて死んでいたことも考えられました。

しかも携帯電源切っているし。

(いつもいつも電源は入れといてって言ってるのに!!!)

なんとか現場にたどり着いて

避難していた人たちの中から母を見つけたときには心から安堵しましたが

消防車10台以上が来ていて、煙がすごいし、まだまだ全然火も消えていない状況で

家に入れるようになるまでにどのくらいかかるのか、まったく予想もできない状態でした。

ので、わたしの家に連れ帰り、ひとまず一晩過ごすことに。


夜遅くにようやく火はおさまったようなのですが、

翌日の被害状況確認で警察と消防の方から

「こんなトコ住んでたらあかんよ、お母さん。

こんなにモノ置いてたら熱だけですぐ燃え移るし

お風呂も湯舟ずっと入ってはらへんでしょ。

ハッキリ言ってゴミ屋敷やよ、娘さんこの状態知ってはる?」

と怒られる始末。

知ってますよ、それが耐えられなくて一人暮らし始めたんだもの。

そもそも同居してた頃に一度、

母の留守を狙って冷蔵庫の賞味期限の切れた(年レベルで…)モノたちを

ぜーんぶ処分して、ドロドロになってたところも掃除したら、

「なんで勝手に捨てるん!」と激怒され

「は!!???あんなもの使えるわけないでしょ!!???」

「とにかくもう触らんといて!」

「わかったわ、もう二度とせぇへんわ!!!」

と大喧嘩になり

あの家でわたしが出来ることは何もなかったんです。


それ以降も何度か「片づけようよ、いらないもの捨てようよ」と説得して

やりかけては中断、リバウンド、を繰り返してきた末路が今。

親が亡くなって気持ちの整理ができていない、

相続放棄の問題がいまだに解決していない、

腰の腰椎すべり症で動けない、

便秘症がひどくてこれが解決しないと何も判断できない、

これが今の母の「できない理由」です。

でも、何もないときだって何もしてこなかったじゃない?

(ていうか、あの家に住んでてどんな体調不良が治ると思う???)



今回のことで「軽トラ借りてきてゴミ処理センターに直接持ち込もう」

と夫氏が提案してくれているにも関わらず、

「今すぐに要る要らない判断できないから!

とにかく元の家に帰って落ち着いて便秘がどうにかなるまでなにもできない!

来てもらっても困る!」

と言い出したので

怒りを抑えて黙るしかできませんでしたわ…


あのさ、それさ、あなたに何かあったとき

全部わたしが責任かぶることになるの、わかってないよね?

もしここが火元になってしまって、誰かを殺めてしまったら?

家に誰も入れられない(今回の被害状況確認は、土足で、荷物やゴミをのぼりながら

なんとか奥までたどり着いてもらった次第)ような家にしたのは母なのに

困ったときに誰にも助けを求められないような

薄い表面の人間関係しか築いてこなかったのは母なのに。

そのしわ寄せ、結局全部わたしに来てるやん?

(保険という保険に入ったことのない母、もちろん生命保険も火災保険も入っていません)



尊敬する部分も、感謝してる部分も、いっぱいあるし

昔からずっとこうだったわけじゃないとも思う。

けど、がんばる方向性が全然違うって思うし、

幸せになることを放棄して、できない理由並べて言い訳ばっかりして

「今はそれどころじゃないねん」を口癖にして

それ、全部、自分で選んできた道でしょうが!???

って、ずっとイライラしてしまう。

ここ最近は、会うだけでイライラしてしまってたから

病院への送迎もたまに夫氏が代わってくれたりして。


あと、今回わたしの今の家に泊めたときに聞いた話でドン引きしてしまったのですが

いまだに田舎の家の様子を見にときどき行ってるんですって…

そんなお金の余裕あるんです?????

じぃちゃんやばぁちゃんが元気だった頃、いくら誘っても一緒に帰ろうとしなかったくせに

なにを今さらなんだよ!???

過去ばっかり見て、今この瞬間を生きることを辞めてしまってる

セルフネグレクトとはまさにこの人のこと。



上記のような愚痴をラインで聞いてくれる、わたしの腹違いの姉が

「しづくちゃんにはこの本を処方するわ」と

アマゾンさんで注文してその日のうちに送ってくれたのが、これ。



寝る前の時間で3日にわけて読んだんですが、

もー、これが、すごい。

対処法云々というよりも、自分の心の奥底に眠らせてあった感情にダイビングする感じ。


あぁ、そうだったのか

わたしはこんなことを我慢してきたのか

そういえばこんなことがつらかったなぁ、いやだったなぁ

それらは過去に起きたことで、今の自分が感じていることではないよ、

もう大人になったんだから、そんなことにおびえなくて大丈夫なんだよ

ってこの本はていねいに教えてくれます。


自分で言えば、

離婚したことを何年も黙っていられたことがやっぱりずーっと引っかかっていて

「あれはいやだったんだよ」とずいぶん前に母に伝えることはできたし

それについて謝ってももらったし

べつにそれを今さら責めてどうこうしても取り戻せはしないし

ただただ健康保険証に『母子』と書かれていて病院代がタダだったことで

気づいてしまった小学生のわたしがかわいそうだったな、ということが

いつまでも残っているだけ。


離婚のことはもちろん、

父方のおばあちゃんが亡くなっていたことも、だいぶ経ってから

「そういえば入院してたおばあちゃんどうしてるの?」って聞いてはじめて

「実は亡くなったんよ」と教えられたし、

(以前ブログに書いたかもしれません、「しづくちゃんは強い子だからさみしくても我慢してね」という呪いをかけたあのおばあちゃんです)



父は再婚して自分の下に弟が二人いるということも

姉の口から聞いて知って少なからずショックを受けたし。

「お母さんは自分になんにも話してくれない」

「大人は隠し事ばっかりして、汚い」

って10歳の子どもに思わせてしまうのって、だいぶ重罪じゃないです?か???


しっかりしてるね、って昔からよく言われるけど

しっかりしてなきゃとても生きてこられなかった、

必要に駆られてこうなってしまった、だけの話なんです。

親を困らせないようにいい子でいなきゃ、というのは重い重い呪いです。


物心つく頃から長期で田舎の家に預けられることが多く

学校の夏休み、冬休み、春休みは全日田舎、という生活は

それはそれで得難い経験をいっぱいさせてもらったし、

楽しいこともいっぱいあったけれど

わたしはいつもさみしかったように思う。

大阪に帰る日が近づいてくるにつれて嬉しかったし

「もう、じぃちゃんトコの子になりゃええがな」って言われても

一度もそうしたいと思わなかった。

母から電話があると嬉しかったし、

一度だけ、父と母が迎えに来てくれたときに

人生で初めてのうれし泣きをしたことを今でもハッキリ覚えているくらいには

親を恋しがっていたのに。

だって小学校入ったばっかりぐらいで40日親から引き離されるって

まぁまぁ辛くない???


母と二人になってからもすれ違いの多い生活で

「ウチは放任主義だから」と強がってはみたものの

甘え方がわからないまま大人になってしまったのはそういう過去が原因だったんだなぁと。


そういうようなことをつらつらと思い出しては、どわーっと泣いて。


辛かったこと、辛かったって言っていいんだなって

この本を読んで思いました。


ので、まずは職場で仲良くしてくれてるお姉さんがまさに今

お母さんとの関係で悩んでいるとのことだったので

「これ!読んで!」

と押し付けてきました。

ほかにも届いてほしい人がいっぱいいるし、

ついったーにも書いたけど、わだかまりがない人にもぜひ読んでほしい。

過去の自分に手当をする気持ちになれるよ。



人間って、どうしたって過去を土台にして生きているんだから

振り切ろうとしたってムリなものはムリなんですよ。

だったらそれを痛くないようにしてあげて、

対処法を見つけて付き合っていくしかないじゃない。


問題はまだ山積みだけど、ちょっとずつほどいてやっていきます。

長いブログ、いつも読んでくれている人はありがとうございます。

それではまた。