花粉のシーズンであるとともに、
3月はいろいろなことを思い出す季節ですしづくですみなさまこんにちは。

一番は、大好きなよめのひーちゃんのお誕生日。
出会ってくれて20数年、(というかもうそろそろ30年近くになる)
「あの頃の自分たちに、"40になっても一緒にいるよ"って言っても
たぶんピンとこないんやろうな」
なんて話をしていますが。
わたし自身の曇りなき幸せのためには
ひーちゃんが幸せであってくれることが絶対条件のひとつなのだよなぁと
しみじみ思います。
長い年月の中で、取り巻く環境や関わる人たちの顔ぶれは少しずつ変わっても、
わたしとひーちゃんはたぶんそんなに変わらない。
これまでも、これからも、ずっと。


そして、もうひとつは、震災のこと。
ようやく、なのか
もう、なのか
まだ、なのか
とらえ方は人それぞれかと思いますが
あれから12年なのですね。

この時期になるとニュース記事で流れてくる
被災者の方のお話。
読んではあの日を思い返し、自分をそこに重ねてみて
自分だったらどうするだろう、
と想像するけれど
やっぱり想像は想像でしかなくて。
最近は、南海トラフを想定したドラマを見て
「改めて備えを見直さないといけないね」
という話をしたところです。
明日が当たり前に来ると思って生きていられる毎日は
実はとても幸せだということを
噛みしめなければ。


実際に3.11を体験した方の話や
ああいうドラマを見ると
やっぱりすごく怖い。

怖いと、思うようになりました。

なんだろうな、
一人暮らしだった頃は、もうちょっと冷静に受け止めていた気がする。
離れて暮らす家族や友達のことはもちろん心配だけれども、
自分自身についても「だめなときはだめだと思うし」って
変に割り切れていたような。
日々を丁寧に生きている自信もそれなりにあったり、
それほど後悔も残らないだろうな、って。


でも、いざ結婚してみて
「もしこの人をうしなったらどうしよう」
って思うと
すごく怖い。
今さら一人で生きていけるんだろうか?
え、無理じゃない?
立ち直れる気がしない、その先 生きていける気がしない、
その場ですぐ追いかけてしまうんじゃない?
って思うようになりました。

わたしは自分がすごくしっかりしてる人だと思っていたし
そうあろうとしてきたし
誰かに依存して生きていくんじゃなくて
自分ひとりでも全然ちゃんと立っていられる
って信じてきたけど。
おつき合い期間含めてまだ4年も経たないような人に、
すっかり骨を抜かれてしまった。
諦め慣れていたはずなのになぁ。


震災のことだけじゃなくて、
近頃なんだか身の回りで緊急搬送されただの
初期の癌で入院してるだのということが多発しているので
「んんんんなにがなんでも、夫氏を健康体にしてみせるぞ…!」
という思いを新たにしたのであります。
幸い、ピーク時から10kgほど落とすことに成功して
「最近、ベルト長いねん」
と言い出したので、妻はしめしめと思っています。

もともとの食生活が耳を疑うような内容だったので
とりあえずコーラの2Lボトルの箱買いはやめていただいて
(外食したときに2~3杯飲むくらいまではOKとしています)
ポテトチップスを一袋一気に一人であけることもやめていただいて
食事のときは噛む回数を増やして早食いにならないようにしていただいて…
と、できることからちょっとずつ進めていくだけでも
なかなかの成果。
しづくさんの『だいたい10品目ぐらい弁当』を毎日食べることで
夫氏が作ってくれる夕食にも良い影響が出ている様子。

ご両親も早くに亡くなったし、
たぶん長寿の家系ではないのだと思う。
そりゃ生きている限りどちらかが先に逝くことになるだろうけど
できるだけ長く、仲良く元気に一緒に生きて行きたいから。


…そういう人が自分にできてみて初めて
大切な家族を亡くした遺族の方の悲しみを
ほんの少しだけ想像することができて。
そうしたら、どんな言葉も見つからなくて。
あの日に取り残されたまま今でも苦しみを抱えていらっしゃる方も
きっとたくさんいて。
震災だけじゃない、
事故や病気や事件や、いろんな理由で人は死んでしまう。
それらのことが、決して、他人事ではないのだよなぁ。

12年前のあの日に向かって、
祈ることしかできない。
失われた命が戻ることはなくとも、
どうか魂が安らかにありますように。
今を生きる人たちの心が少しでも癒され、
「生きていてよかった」と思える瞬間がありますように。
一日早いですが、ここに祈りを捧げます。