とてもいいお天気で暖かくて、こんな日はフルーツ入りのゼリーとか

ちょっと冷たいスイーツが欲しくなりますねしづくですみなさまこんにちはー!!



さて、ゆうべはPLAYINGの水曜日の稽古だったんですが、

その途中で、


演長のお知り合いの方の具合が良くないという話を、聞いて、

ぶわっと、つられ泣きしてしまいました。



その、演長のお知り合いの方は、まだ、そうと決まったわけではなくて、でも、もしかしたら、

っていう状況で。


わたしは、その話を聞いて、

今年の元旦に亡くしたある人のことを、思い出さずにはいられなくて。



わたしが亡くしたその人は、

知らせを受けたときにはもう

「あと一ヶ月、もつかどうか。でも本人は病状を知らないから、元気づけてあげて」

という状態で。


そのときは、ほんとうに、鈍器で頭を殴られたような衝撃でした。







今日は、そのときのわたしのmixiの日記をこちらに転載します。


とても長くなると思いますが、お付き合いいただけると嬉しいです。




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2013.11.22



昨日、とてもとても悲しい知らせが届いて、
一夜明けた今も、まだ全然気持ちの整理がつかなくて、
ずっと、そのことばっかり考えています。



今はもうお店を閉めてしまったんだけれども、
わたしが住んでいる町に
ダイニングバーLAHAINAというお店がありました。

恰幅のいいマスター(パパ)と、美人で天然でかわいいママ、
その息子の優しいケン兄と、明るいコウちゃん(マネージャー)と、
天才料理人の、チーフ。

こじんまりした、カウンター数席とテーブル5台のお店で
わたしは高校の吹奏楽部でお世話になっていた監督に連れて行ってもらったのがきっかけで、パパやママと仲良くなって、
そのうち一人でも行くようになり、お友達も何人も連れていきました。

お酒一滴も飲めないわたしが、そこに仕事帰りに毎日のように通っていたのは
行けば誰かが「お帰りー」と、迎えてくれたからです。
従業員とお客、っていうんじゃなくて、本当に、みんなが家族みたいな感じでした。
カウンターに座れば、常連客どうしが勝手に喋るし、
そのうち、みんな知り合いっていう状態。


5月のゴールデンウィーク明けに宮古島に旅行に行ったり、
8月には四国の無人島に遊びに行ったり、
忘年会だ、新年会だ、花見でバーベキューだ、と言って
何かにつけて飲んで騒ぐのが大好きな人たちの集まり(笑)

クリスマスにはそこでミニコンサート的にクラリネットを吹かせてもらったり、
毎月の定休日のポスターを書かせてもらったり、
ほんの1、2ヶ月だけど小遣いかせぎにバイトの真似事をさせてもらったり、
パパの還暦祝いでは常連女性客10人くらいでフラダンスを披露させてもらったり
(その練習はお店の2Fで、けっこう本格的にやっていた)
「しづくはパパの隠し子NO.2」といわれるほど、可愛がってもらっていたんです。
パパはいつも、「しづくが結婚するときには、お父さんのかわりにバージンロードを一緒に歩いてやるからな」って言ってくれていて、
恋愛の悩み相談をしたときはママが一緒に悩んでくれて、
ラハイナは、本当に、わたしの家でした。


わたしが、お酒も飲まないのにここに通っていた大きな理由のもう一つが、
チーフの作ってくれるご飯でした。
お酒のアテはもちろん、「ダイニングバー」というだけあって、
ちゃんとしっかりご飯も食べられるお店だったんですよ。

そこで、初めて、わたし、
『ご飯の上に乗っているオムレツを割って食べるオムライス』という、
おしゃれなものに、出会ったんですよ。

もともとオムライス好きなんですよ、まぁ、たいがいの女子がそうであるように。(笑)

「そのたまご、半分に割ってみ」
と、パパに言われて、スプーンで切れ目を入れて、ひらいたときの
あのふわとろ感!!!

カレー風味で、ちょっとピリ辛で、めちゃくちゃ美味しいの!!
あの感激が忘れられなくて、何度も注文したなぁ。
その後、「ケチャップオムライス」も裏メニューとして登場して、
同じくらい好きで、よくチーフに作ってもらいました。
「ここのオムライスが美味しいんだよ」って、しづくに誘われて行ったお友達も多いはず。


もちろん他にもいっぱい好きなメニューがあって、
豚キムチの卵とじは、今でも自分で作るほど好きなんです。


バイトの真似事させてもらってたときは、カウンターの中でまかない食べたなぁ。


季節ごとの特別メニューがあったり、
わたしが「白いごはん欲しくなるわー^^」って言ったらご飯もつけて
スペシャル定食にしてくれたり。
(お味噌汁がついたときもあって、常連さんすら「え、あのしづくちゃんが食べてるやつ何!?」っていう笑)

そしてわたしは、チーフとはカラオケ友達でもあって
深夜1時にお店が終わってから「よっしゃしづく、歌いに行こうか」っていうノリ笑

チーフはわたしの歌をすごく気に入ってくれていて、
「アレ歌って、コレ歌って、今度これ練習しといて」と、リクエストしてくれて
「あー、もう、しづくの歌最高やわー」って、いつも褒めてくれるんです。
誰よりも流行の曲を知っていて、乃木坂とか、EXILEとか歌うんですよ(笑)
50代も真ん中に来たおっさんが(笑)

PLAYINGの舞台も、何回か見に来てくれています。
ついこないだの、10月の栂公演も。

BxDropの活動が決まったときも、たぶん一番喜んでくれたんじゃないかなぁ。
ライブにも、何度も足を運んでくれてて。

仕事帰りにカラオケの約束をして、
「ご飯食べんとそのままおいでな、チーフが何か用意しといたるから」
って、手作りのカツサンドを持ってきてくれて、
「やっぱ、チーフの作るもの美味しいわー^^」って言いながら食べたのが、
ほんの、ここ1年くらいの、話。




数年前から、入退院を繰り返していたことは、知ってました。

最初は糖尿で、ずいぶん痛かったのにギリギリまで我慢しちゃってたみたいで
「今すぐ入院しないと、足切らなきゃいけなくなるよ」って言われたって
笑って言ってた。

でも、そのあともカラオケ行ったり舞台やライブ見に来てくれたり
すごく、元気そうだったから。


昨日、知らせを受けたときも、全然、信じられなくて。

なんかの、まちがいじゃないの、って頭の中ぐるぐるして。



今年の初め頃に癌が見つかって、
ここまでもったのも、奇跡的なくらい、なんだって。
年内いっぱいくらいが、限界だろうって。


だから、今はまだ元気だけど、
できれば、近いうちに、顔見に来てあげて、って。

でも、本人は自分の病状を知らないから、
元気付けてあげて、って。



わたし、ちゃんと泣かずに会えるのかな。
笑って話して、
「じゃーねー、また来るわー」
って、軽い調子で、言えるかな。

こんなに近しい誰かを亡くしたこと、わたしまだ一度もなかったんだ。






わたしが、チーフを喜ばせてあげられること、何か、って、
考えたときに、

とにかく歌うことしか、思いつかなくて、
昨日の歌錬のときに、BLACKTAILさんに、ムチャを承知で、
「出来るかぎりこれを早くやりたいんです」って、
チーフがいっつもいっつも「しづくー、アレ歌って」って言ってた曲のCDを
おしつけておきました。
YOUTUBEとかにアップできれば、病院にいても、きっと見られますよね?







あと、元気なうちに あのオムライスのレシピ、書いてもらいたいなぁ。
なんとか自然に頼めないかなぁ。
作り方は、カウンターの中にいた時横目でチラチラ見てたんだけどなぁ。

本当に美味しいんだ、あのオムライス。

もうあれが食べられなくなるなんて、信じられない。

ライブの客席にもう、あの一番喜んでくれる人がいなくなるなんて、信じられない。










それでも、わたしは、しっかり生きていかなくちゃいけないんだよね。
ちゃんと前を向いて、楽しく、笑いながら、生きていかなくちゃ。
これからもきっとこんな事はいくらでも起きる。
みんな、生まれた瞬間から死に向かって一歩ずつ一歩ずつ近づいていってるんだもの。

好きな人、大切な人が、増えれば増えただけ、
別れる回数も、増える。痛さも、増える。
でも、それが辛いからって、人とのかかわりを減らすのはあまりにも寂しい。

「あれもしてあげればよかった、これもしてあげればよかった」
を、ひとつでも減らすこと、それが今わたしに出来る事。だよね?










めいっぱい、いろんなことを書きましたが、
おかげでずいぶん気持ちが落ち着きました。
読んでくださった方、どうもありがとう。

週明け、笑顔の準備をして、お見舞いに行ってこようと思います。


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2013.11.26



そして、昨日、月曜日は、
チーフに会いに行ってきました。

想像していたよりは、ずっと元気そうで
話も普通に出来たし、
他の人たち(もちろん店の常連客だったので知り合いである)も3人いたので
気楽にしゃべることが出来ました。

なんていうか、全然、実感がわかないくらい。
いつもの、あの、店でだべっていた時と変わらない、
「賑やかしに来たでー」っていう雰囲気で、なんだかわたしがほっとしちゃった。


そして前回書いた、チーフの大好きな曲を、
なんと、BLACKTAILセンセイが1日で仕上げてきてくれて、
土曜日のライブ前のスタジオ練の時に、録画までしてくれて
もうYOUTUBEに上げる(限定公開)ところまで、して、くださったの、ですよ!
この仕事の迅速さ!!
かゆいところに手が届くサポート力!!
ほんとうにありがたい。
頼んでから、丸2日のうちに、実現しちゃいましたよ。。

だもんで、そのURLを持って、会いに行くことができました。

「チーフがいっつもカラオケでリクエストしてくれる、伊藤由奈のあの曲、
こんどライブであろうと思って練習してて、
今YOUTUBEにアップしてもらってん。
URL送るね、これでいつでも見れるやろ^^」

って。

したら、
「ほんまかー、うれしいなぁ」
って、すごく喜んでくれて。


また、間をおかずに会いに行こうと思います、何度でも。
会いに行く度、弱っていく姿を見ることになっても、目をそむけたりしない。

センセ、本当にありがとう。


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2013.12.27


さて、そんな中ではありますが、
先月お話ししていたチーフの病院へ、あのあと、何度かお見舞いに通っています。
こないだで4回目、かな?

ちょっと声が出にくくなってきてて、たまに聞き取り辛いこともあるんですが、
「ちょっと無理にでも喋らな、もっと声出にくくなるからなー」
と言って、笑顔で、頑張って話をしてくれます。


「ご飯は食べれてる?」って聞くと
「うん、食べてるで。おかゆさんばっかりやけどなー」
「退院したらまた快気祝いでご飯食べに行こな」
「そやなー、なにがええかなぁ」

とかね。

「もう今年はライブないんか」
「うん、今年は全部終わったけど、また来年も何個か決まってるで」
「そうか、その頃には歩けるようになっとかなあかんな」
「そやでー、はよ治してやー」

とかね。

会いに行くたび、

大部屋から個室に入って、
指からなんかコードつけられてて、
鼻に酸素のチューブがついて、って、
なんだかだんだん重装備になってはいくけれど、

まだ普通に話もできるし、
顔色も悪くないし、
ほんとうに、この人がもうすぐ死ぬ、のかな、
なんかの間違いじゃないのかな、
って、思うことが、ある。


一日中寝たり起きたりするせいで、
時々、今日がいつで今が昼なのか夜なのか、
あの人が来てくれたのは何日だったのかが曖昧になることはあるそうだ。


「YOUTUBEのやつ、見てくれた?」って聞いたら
「まだやねん」とだけ言っていたのだけど、
たぶん、治ったら、また、ライブに足を運んで、
生で聞けるのを楽しみにしてくれているのだと、思う。


「退院したら、またカラオケ行こな。しづくの歌はいつ聞いても最高や。
どこに出してもいける。
そのうち、どっかからスカウト来て、プロになるんとちゃうか」
とかって、ベタ褒めしてくれた。

(いくらなんでも、そりゃ言い過ぎやで(笑))




かなわないと、わかっている約束を、
つないで、つないで。

それが、明日の希望に、なるように。


わたしも、まだ泣かない。







…そんな風に、日々、暮らしています。

なんでもない日常の、
楽しいことも、嬉しいことも、切ないことも、
全部取りこぼしのないように拾って。


ぜんぜん、ふさぎ込んではいないので
心配しないでください。

しづくは元気です。



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2014.01.04


先月からぼちぼちお知らせしていた、ダイニングバーLAHAINAのチーフが、
元日に旅立ちました。


1ヶ月かけて覚悟していたつもりだったし、
知らせを受けた時も「あぁ、そうなんだな」って、冷静に受け止めたし、
お通夜の日も朝からお買い物に繰り出してそのあとテニミュ見に行ったり(笑)して、
普通にしてたんですが、

ふっと、優しいメールやtwitterのリプをもらった時があって、
その瞬間、文字通り堰を切ったように、涙がぼろぼろ出てきて、
早朝4時にトイレに駆け込んでげろげろ吐いたことも含めて、
あーやっぱりダメージ受けてんだなーと。


お通夜には少し遅れて行ったんですがお焼香のときに、棺が開けてあって
「顔見てあげて」
って言われて、
いやもう、遺影の前に立っただけでどーしよーもなくて。

棺の中で眠ってる顔をみたら、

クリスマスに、最後に会いに行った時に
「チーフ、髪切ったんや」
「そやねん、可愛いやろ(笑)」
「うん、可愛い(笑)」
なんて会話をしたなー、って思い出して。

あの時とそう変わらなく思えるのに、
もう眠りから覚めることはないんだなぁ、と思って。



わざわざ元日を選んで逝くなんて、ほんと、らしい、っていうか。

飲んで騒ぐのが好きな仲間のために、
「俺の命日の元日は毎年みんなでどんちゃん騒ぎしてくれよな」
って、そういうことだよね。

お店を閉めてからなんとなく疎遠だった常連客や従業員ファミリーを
こうして集めてくれて、
毎年集まる口実を作って逝くなんて。
なんて粋な人だろうと思うよね。




今日の告別式の最後の最後、棺の中をお花でいっぱいにして
好きだった(あれたぶんお酒とアイス←ガリガリ君(笑))ものも一緒に入れて
見送ったんですが
まるで、いい夢でも見てるみたいでした。


正月は外泊許可もらって家に帰るねん、って言ってたから、
今頃やっとおうちに帰れてホっとしているだろうと思います。




告別式が終わって、着替えて即、PLAYINGの幹部会に駆けつけたんですが
そこで演長がかけてくれた言葉が

「きっと、いいところに行ったんだよ。だって、あっち行った人は誰ひとりこっちに帰ってこないんだもん。よほどいいところなんだろうね」

って。

それを聞いて、わたし、とっても安心しました。







さて、これからは、
あっちにも聞こえるように歌わなくちゃ。

約束したもんね。









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今読み返しても、泣く。


今そばにいてくれている誰がこうなっても、同じように悲しい。



人ひとりが生きて死ぬっていうのは、こういうことなんだ。




明日は、当たり前に来るわけじゃない。


「今度でいいや」「いつか言おう」は、二度と来ない日のことかもしれない。




「あと一ヶ月しか生きられません」って言われたら、

あなたは、何をしますか。