1941年5月6日。ボスニア・ヘルツェゴビナ出身。


2003年よりJリーグ・ジェフユナイテッド市原の監督。


基本方針のうち、肉体面では「走力」精神面では「哲学」の二面的アプローチで


降格危機・低迷から脱したジェフ市原をさらに改革。


「賢く走る」「危険なサッカー(チャンスを作るには)」がキーワード。


2006年7月21日に日本代表監督に正式に就任。






選手としての経歴




1960年 サラエボのゼレズニチャル・サラエボでプロデビュー。ポジションはフォワード。


190cmの長身ながら繊細なボールタッチを持つパスの名手として知られていた。


1964年東京オリンピックのユーゴスラビア代表として来日。日本との順位決定戦で2ゴール。


1968年ユーゴスラビア代表として第3回欧州選手権イタリア大会に出場する。


1970年28歳でフランスのRCストラスブールに移籍する。


1978年ストラスブールを最後に現役を引退。


選手生活は12年間で85得点。その12年間でイエローカードを提示されることは一度もなかった。






監督としての経歴




1978年ゼレズニチャルでコーチの仕事を始める。


1986年ユーゴスラビア代表監督に就任。


1990年FIFAワールドカップイタリア大会でベスト8。


1992年-1993年ギリシャのパナシナイコスの指揮を執る。


1993年-2002年オーストリアのグラーツの指揮を執る。UEFAチャンピオンズリーグに3度出場。


2003年ジェフユナイテッド市原監督に就任。


2005年ジェフユナイテッド市原・千葉にてJリーグヤマザキナビスコカップ優勝。




前任のジーコ監督の方針が「選手自身が考えるサッカー」でしたね。


これは神様と言われた程のジーコだからこその考え。


普通の選手に創造性を求めていたらチームが機能しないと思うのは


僕だけではないと思います。


結果としてドイツワールドカップは0勝1分けの予選敗退。


一部を除いた選手達の不振ばかりが目立った感じでしたね。




今回指揮を取るオシム監督はどうなんでしょうね。




少なくとも長い間の低迷と資金・選手層に乏しいジェフにおいて


2003年1stステージ3位・2ndステージ2位・年間通算成績3位とクラブ最高の成績を記録。


2004年2ndステージでは2位。年間通算成績は4位の成績を記録。


2005年ヤマザキナビスコカップ優勝でチーム初のタイトル。


強豪チームにのしあげた手腕は確かなものがあると思います。




どの様な選手構成。システム構成をするのか。


低迷している日本代表を救うメシアとなるのか。


新生オシムジャパンからしばらくは目が離せませんね。



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木村 元彦
オシムの言葉―フィールドの向こうに人生が見える

日活
ジェフユナイテッド市原・千葉 2005シーズンレビュー