上田晋也
1970年5月7日。熊本県出身。
有田哲平
1971年2月3日。熊本県出身。
熊本県で屈指の名門進学校である熊本県立済々黌高等学校時代、
同じラグビー部に所属した事がきっかけで出会う。
高校卒業後別々の大学に進学するも、上田が有田を誘い共にお笑い芸人への道を選ぶ。
ちなみに大学には上田が有田の退学届けを出した。
1991年コンビを結成しデビュー。当時のコンビ名は“海砂利水魚”。
落語「寿限無」に登場する言葉であるが、命名のきっかけは伊豆にある飲食店の店名から。
コント山口君と竹田君の付き人として芸歴をスタート。
以来、ライブ活動中心に下積み経験を送る。
ちなみにデビュー当時は上田がボケ担当、有田がツッコミ担当だった。
「タモリのボキャブラ天国」では2人の人相の悪さを指摘されて“邪悪なお兄さん”と言う
キャッチフレーズがつき人気が上昇。
Take2、×-GUN、U-turnと共に「笑わせろ!」で手作りのギャグで実力をつけた。
有田は河村隆一のマネやnwoの活動を先頭にたって行うなど
たくさんいるボキャブラーのなかで頭角を現した。
1994年ごろからテレビ番組に出演するようになっていった。
その後、「ボキャブラ天国」の終了とともに一時期テレビでの活動が衰退したこともあった。
2000年に「新・ウンナンの気分は上々。」におけるグループ名の改名対決でさまぁ~ずに敗北。
2人と同郷の出身者である内村光良により、半強制的に“くりぃむしちゅー”への改名を命じられる。
名前の由来は有田の好物であるクリームシチューから。
また、同番組では対決企画が3回行われたが仮に1回戦で海砂利水魚が負けた場合
コンビ名を“ザ☆トライ”とさせられるところであった。
当初“くりぃむしちゅー”は半年間の期間限定ということであったが
前のコンビ名“海砂利水魚”よりはまだマシか、という理由で現在もそのまま使用している。
師匠であるコント山口君と竹田君にもこのことを告げている。
転機となったのは2003年。上田がテレビ番組「虎の門」の1コーナー「うんちく王決定戦」で優勝。
一躍脚光を浴びる。以降上田は“うんちく王”の称号とともに、うんちく芸と呼ばれる芸風で
数々の執筆やテレビ番組・ラジオ・CM出演と大活躍。
2006年7月13日、ゴールデンタイムでの初の冠番組
「くりぃむしちゅーのたりらリでイキます!!」が放送開始。
久本雅美、篠原涼子とともに2006年8月26日から8月27日にかけて放送される
「24時間テレビ29」のチャリティパーソナリティに抜擢された。
有田は上田の人気を僻みつつも、「ロンドンハーツ」で女性に逆ナンパされる企画で
素のおもしろさが茶の間に伝わり。好評につきスペシャル番組で取り上げられるなど
ことあるごとに何度も行われたため笑いのほか同情や認知度が高まった。
また趣味の格闘技好きを活かしCSチャンネル「サムライTV」でレギュラー番組を担当し
アントニオ猪木、高田延彦、佐々木健介、長州力ら格闘家のものまねでマニアを喜ばせる。
また深田恭子との交際がフライデーされて話題を呼んだ(これは上田曰く売名行為らしい)。
教養の深さとトークの上手さを買われ、徐々にコンビでの番組出演の機会も増加。
再度訪れたお笑いブームの波にも乗り。
2004年には多数のレギュラー番組を抱える人気お笑いコンビとなった。
よく有田は上田のピン活動を「こそピン」といい妬んでいる。
また上田のおしゃれイズムのイズム発言も嫌っている。
代表番組:くりぃむしちゅーのたりらリラ~ン
観ていてもお互いをスキなのがよく解る微笑ましいコンビですね。
個人的に言えば質は違いますがダウンタウンと比べても遜色ないくらいレベルが高いかと。
ここにアンタッチャブルやおぎやはぎが絡んで来るとわくわくしますよ。
今最も勢いがある中堅芸人ではないでしょうか。
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