1957年5月10日~1979年2月2日。イギリスロンドン。
セックス・ピストルズの2代目ベーシスト。加入当時は全くベースが弾けず
その後もまともに弾けるようになったかは疑わしい。それにも拘らず
そのパンクロックを地で行く生き方から彼を「パンクの精神」と呼び
崇拝する人間はイギリス国内外問わず数多い。
代表作:The Great Rock'n'roll Swindle
ブログURLから解るように。個人的には一番スキな人です。
実は彼本人が一番のセックスピストルズの熱狂的なファン。
ピストルズの記者会見中に記者が邪魔でピストルズが見えないと言い
その記者を殴ったりと当時から目立った存在でした。
元々ヴォーカルのジョニー・ロットンの友人だったシドは、初代ベーシストの
グレン・マトロックの脱退後、バンドのマネージャーであった
マルコム・マクラレンの誘いによりセックス・ピストルズに加入します。
後期のピストルズにおいてロットンと人気を二分するスターとなりました。
ピストルズ解散後は「マイ・ウェイ」や「カモン・エブリバディ」などの
パンクバージョンなどを収録したソロアルバムをリリースするします。が。
以前から溺れていた麻薬により錯乱し。恋人のナンシー・スパンゲンを刺殺。
ちなみにシドが麻薬におぼれたのもナンシーが常習者だった為です。
警察には逮捕されるものの釈放され。その後もスキャンダラスな行動をし
麻薬中毒になりナンシー殺害から約3ヶ月後に
「最愛の人が待ってる。今ならその人に追いつけるんだ。」と遺書を残し死亡。
同書に「ナンシーの隣りで眠らせて。」と残しますが
ナンシーの両親に拒絶された為、願いは叶いません。
シドの母親がシドの墓を掘り起こして彼の遺灰をナンシーの墓に撒きました。
後にシド・アンド・ナンシーで映画化されましたね。
シド役のゲイリー・オールドマンを観て腰が抜ける思いをした人は多いはず。
映画のラストはノンフィクションでありながらも
観客の判断に委ねるものとなってますね。
監督は多分、自分の持つシド像で終了させたかったと思います。
シドをテーマに作品を作ったんですから。書ききりたいのは人情でしょう。
だけど。観る者のシド像を尊敬し、観客の判断に委ねたのでは?
・・・深読みしすぎですかね。
なんにせよ破滅的な愛の行方をいい意味で観客に丸投げした
アレックスコックスの手腕に脱帽です。
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