前回、新宿ロフトの話をしたが、
他に想いがあるライブハウスは無いのか?
千葉のLOOK
下北沢デイジーバー
新宿アンティノック
が思い浮かぶ。
その他、高円寺、西成、十三
など独自な箱が思い出深い。
だが1つ選べと言われたら
10代の衝動になったのが、
千葉の市川の本八幡にあった
ジャガーカフェ
当時の本八幡はライブハウス
ルート14が有名で、
千葉や東京の不良パンクやハードコアが
屯していたり、
右翼やスペクターが乗り込んで来たり、
スリルがあるライブハウスであった。
逆にジャガーカフェは、割と健全で、
勿論、俺みたいなハードコアバンドも
受け入れてくれるが、ポップバンドから
ビート系まで出演していた。
それもオーナーの村上牧彦社長の
人柄であり、人望であった。
村上社長は、実業家の顔と、
自身もアーティストをやっていて、
ジャガーと言う名義でメジャーデビュー
もしていて、ご自身でテレビ番組の枠を
買取り、番組までやっていた。
ジャガー星から来たジャガー人で
あり、本人は人間では無いと言っていた。
キースジャガーというストレートな
名前であった。
財を築いてから音楽で成功した
事から友人のみうらじゅん氏は
成り上がりで無く、上がり成り
とジャガーさんを例えた。
当時、爆風スランプのベースが抜けて、
サポートでジャガーさんが弾いた時は、
応援にまで行った程だ。
一度、化粧をしていない素顔の
ジャガーさんに本八幡の街で会い、
ジャガーさん!と挨拶したが、
違います!
と言われて逃げられ事もあった。
やはりジャガーに変身する前の
村上牧彦社長は他人であるのか。
当時、自分はまだ15歳だったが、
ライブ終了後は、出前を取ってくれて、
中華や蕎麦をご馳走になったり、
銚子港と言う居酒屋に連れて行って
貰ったりした。
まだ当時は千葉にしか無かった、
激安イタリアンのサイゼリアの
1号店が本八幡にあり
たらふく食べさせてくれた。
初めて飲む甘酸っぱいワインの味
今でもフラッシュバッグする。
飯が食えない若者の面倒をたくさん
見ていた優しいジャガーさんでもある。
あのXのメンバーも
ジャガーさんに世話になり
日本を代表するバンドとなった。
その中に、飯が食えないバンドで
GLAYと言うバンドも居た。
当時、あのイカ天に出て間奏が出来ず、
伸び悩んでいた。
勿論、90年代に天下を取ったあのGLAYだ。
彼達は北海道から上京して来ていた。
向こうのほうが歳も上だし、キャリアも
あったが、俺は当時突っ張って、
あんな化粧した様なバンドとは
口聞くか!
と話さなかった。
でも彼等は自分達と違い、向上心が
あり、何が何でも有名になるぞ!
と言う意識が凄くて、
後にオリコン1位になった時は、
素直に自分も嬉しかった。
そんな感じで、ジャガーさんと
ジャガーカフェは俺の青春の
1ページであった。
メディアでは2021年10月に
ジャガー星に還ったと報道。
80歳は越している。
ジャガーさんに会えないなら
村上牧彦社長に会いに行きたい。
たまに市川は今でも行くから
すれ違っているかも知れない。
その時は
ジャガーさんですか?
違います。
とまた言われるであろう。
今日のナンバー
名曲
泣いてしまう。
ジャガーでファイト市川


