「下手な鉄砲、数ちゃん当たるよ」
「安仁子、数打ちゃ当たる。数ちゃんには当たらない」
「実に孤軍奮闘なり、他人の力を借りず、優勝を得し喜びを夢想し、ただ、奮闘するのみ」
「垂乳根だね。やってんのは誰だい」
「さあ。でも湧いてますね」
「半端な芸やってると兄弟子だろうが、師匠だろうが、わざと変な間で笑ったり、咳き込んだりして邪魔すんだい」
「あーりゃ酷え。噺じゃねえ。お喋りでげす」
「でまたすぐあとに出て、当てつけみてえに同じ噺やって、場荒らされちまうんだ。それがまた絶品だから、誰も文句は言えねえ。湯飲みには白湯が入ってて、そいつを師匠は飲むわけじゃねえんだよ。ただ鼻の下にこう持ってきてな、息を吸うんだい。ある時、そいつを飲もうとしたことがあったんだい」
「それ間接キスじゃないすか」
「飲んだら師匠みてえに上手く喋れんじゃねえかと思ったんだが」
「飲んじゃだめだよ。私は肺を患ってる。前にそれ飲んで移って伏せっってるやつがいる」
「まあ悪い冗談だが、肺を患ってるってのは本当で!時々嫌な咳をな」
「六月十五日。白夜による不眠。冷水浴のやり過ぎで水道を止められる」
「前略、もしこの手紙を嘉納先生が読まれているとしたら、もう手遅れです。練習を開始して12日目、とうとう誰も部屋から出てこなくなりました」
「開けないでくれたまえ」
「なんばしよっとですか」
「吸血鬼になった気分だよ。どうかねそっちは。僕は、もう耐えがたい。練習などしちゃおれんよ。雲をつくような西洋人に混じって、木の葉のように揉まれて走る屈辱。なんたる恥ずかしさ」
「三島さん」
「らしくないと思うかね。だが、本当の僕は違う。もう限界だよ。西洋人は速い。10秒代、11秒代、当たり前。とても勝ち目はない」
「なんのなんの、三島さん! 我々は走ればよか。精一杯やりさえすればそれでよかんですよ。さあ、行って練習ばしましょ」
「そりゃあ君は走れば人が寄ってくるからね」
「え」
「見たまえ。君の記事ばっかり。金栗、金栗、ワールドレコード金栗!!」
「あ、やややや、三島さんも載っとりますよ。ほお」
「よく見てみろ写真の下!」
「Kanakuro」
「間違えてるんだ。君の記事に僕の写真が使われている! そりゃあ僕の記録は平凡だ。12秒の男だよ、所詮は。え! ミスター12秒だよ! 期待されてないんだ僕は、君と違って!」
「だったら気楽じゃなかね! 負けて当たり前。勝ったら儲け! そぎゃん考えたら少しは気楽じゃなかね」
「硬いよ便器が! 当てつけか! 爪先立ちで小便するたびに僕はなんか脚の長い西洋人に勝てるわけがないと笑われてるような気になるよ。行きたまえ。早く行きたまえ!!」
「このたびの大会は日本人にとって最初で最後のオリンピックになるでしょう」
「黎明の鐘は鳴りません」
「三島さん、我らの一歩は日本人の一歩ばい! なあ三島さん、早かろうが遅かろうが我らの一歩には意味のあるったい!」
「すまんね。短距離と長距離では練習法も違うだろう」
「なーん、大は小ば兼ねますけん。長は短ば兼ねとるすよ」
「ちょっと何言ってるかわからない」
「水のこつ、スウェーデンじゃあ、ばってんって言うとね」

