プリンセスプリンセスの「M」が沁みるんだよ。
昨夜のカレー、明日のパン/木皿 泉

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「昨夜のカレー、明日のパン」第3話
「私はたぶん幸せだ。何をやっても自由で、誰かに怒られることもない。でも、時々これでいいのかと不安になる」
「やっぱり無理だよ。私がお客さんの相手なんか。もう嫌なんだよね。誰かの足引っ張るの。みんなに『大丈夫? 大丈夫?』とか気を使われたりとか、もうたくさん。誘ってくれたのにごめんね。はぁーあたし、とことんダメになっちゃったみたいだわ」
「そっか。やっぱり前の仕事、手放せないのか? CAでバリバリやってた自分が忘れられないんだろ。や、だから『次再起する時はそれ以上になってなきゃダメだ』って思ってるんだろ。いや、あの、お、おれも、おれもそうだったから。だけどさ、誰も見てないんじゃないかな。おれたちのことなんか。いや、みんな忙しくて人のことなんか気にしてないって! 好かれようとか上手くやろうとか、いいんだよ、そういうの。うん。そういうのもういいんだよ。おれはもういい。自分ができることだけを精一杯毎日やっていく。そうやって生きていく。そういうのなさけないか?」
「思いついたことはすぐに取り掛からないと気が済まない性格だって、一樹が言ってたけど、ほんとだったんだね。だってあの雪だるまをあっと言う間に空に飛ばしちゃうんだからね」
「かずちゃん、そんな話してたんですか?」
「してた。飛行機雲を見て、あれは(CAの)宝が空を切り裂いた跡だって。宝の乗った飛行機がファスナーの先端で、ぐいぐい空をわけて進んでいくんだ。あの飛行機雲は宝が先頭を切ってできた跡だって」
「名前宝だよね。宝だ。あははは。いい名前だよね」
「そうでしょうか」
「お父さんお母さんの宝物だったんだろうね」
「うーん、そういうのちょっと重荷でした」
「そうか、そうだよね。でも、重いの背負わないと生きてる甲斐っていの、そういうの味わえないんだよね。かと言って、押しつぶされちゃうぐらい重いの背負うのも元も子もないんだけどね」
「私みたいな者でもなにか背負えるんでしょうか」
「まずは背負ってみる。ダメだったらすぐおろしちゃえ。おれはね、そうやって生きてきた」
「おろしていいんだ」
「だって自分の荷物でしょ。おろしていいの」
「あたしが命より大事にしてるテレビのリモコン知りません?」
「テレビ? そんな下世話なもん、知りませんよ」
「何卒何卒今日一日でいいのです。晴れてください。あとはずっと雨でもいいのです」
「なんでまだ持ってるの。死んじゃった人の骨。持ってるよね」
「今日は持ってない」
「やっぱり持ってるんだ」
「ここに来る時は持って来ない」
「それって死んでないじゃん。生きてんのとおんなじじゃん。ここに持って来れないってことはそういうことだよね。死んだ旦那に悪いからって。はー」
「ごめん」
「一樹は死んでないって言ったけど、そんなことないよ。だってご飯食べないし」
「すみません。実は婚約者が死んだっていう話、嘘でした」
「は。嘘?」
「最後の最後にふられたんです。別の女の人に子供ができたって言って。どこかで幸せに暮らしてます。テツの旦那さん、死んだんですか?」
「テツコさん、言ってなかったんだ」
「あたし、最低。死んだなんて、あんな嘘」
「え。目の前から消えちゃったんでしょう。だったら死んだのもおんなじですよ」
「そういうもんですか」
「私ぐらいの歳になるともう二度と会えない友人もいて、そいつらにとっちゃ、私が生きてても死んでても同じようなもんでしょう」
「私を棄てた男も死んだことにしていいんですか?」
「いいです。そういうことにしましょう。山で遭難した、それでいいんじゃないですか」
「そうか。死んじゃいましたか。じゃあしょうがないですよね」
「背中に乗ってください。私が背負って降ります」
「ええ、いやいや、そりゃ無理、絶対無理」
「大丈夫です!」
「荷物だってあるし」
「置いていきましょう!」
「いやや絶対無理だって!」
「私たちバチが当たるわけいかないです! だってそうでしょう! どう考えてもバチ当たるのは向こうなんです! 山に残るのは私を棄てたあの人で、私たちはちゃんと無事に戻らなきゃだめなんです!」
「私が山登りをするのは誰かと生き死にを共にしたかっただけなのかもしれません。会社の同僚とか、家族とか、友だちとかいるけど、そうじゃなくて。迷惑かけたり、かけられたり、でも、死ぬまでその人とやっていくしかないっていうような。私、そんな関係つかみ損ねちゃったんですよ」
「じゃあ僕が今迷惑かけてるのも悪いことじゃないの」
「はい、私、今までにないぐらい『生きてる』って感じしてます」
「ごめんね」
「なにが?」
「このまま(エレベーターが)開かなかったら、おれと一緒に最後になるわけじゃない。それはテツコさんからしたら不本意なのかなって」
「そんなことないよ! 一番いいかも」
「世界で?」
「いや、会社で」
「あ、会社ね」
「ま、一緒に死ぬなんて状況、普通ないと思うけどね」
「誰かと一緒に生きるってことも大変だよ。結婚ってさ、っていうか人間関係? おれが思っているよりずっと大変なんだなって。つながりっていうの? 死んだら終わりってものじゃないじゃん。おれ完全に舐めてたな。誰かと一緒に生きるってことはそういうこともちゃんと覚悟して、その人のことを全部背負うってことなんだよな」
「あーあ、明日からまた会社か」
「生き死にがまた始まるってことです。ここだけじやない。あそこにもあるんじゃないですか。同じ電車に乗り合わせて事故に遭うとか。私たちは全然知らない人と生死を共にしてるんじゃないかな」
「そうか。私既に誰かと生死を共にしてるのか。じゃあ、あいつともってことですか?」
「師匠をふった男ですか」
「あんなやつと私、共に生きてるんですか」
「許せませんか」
「許せないです。でも、見えないところに捨てても、地球上からなくなるわけじゃないですもんね。わかりました! 私、もう会わないけど、私をふったあの男と共に生きていきます」
「じゃあ僕もそうするか」
「誰と共に生きるんです?」
「死んだ奥さんと」
「私は笑いながら、こんなことをしながら、歳を取っていくんだと思った。でもそれはそんなに悪い感じではない」
「お前じゃなきゃダメなんだよ。ギリギリのやつじゃなきゃダメなんだよ。九回裏ツーアウトのやつだけが、こう、ほんとのパワー出せるんだよ」
「小田!」
「あ?」
「後ろ見て! 後ろ。(白線で道ができている)お前が走んねえ限り、道は出来ねえんだよ! でもって、世界はお前が道つけてくれるの待ってんだよー!」
「この時ムムムは誰かに思い切り迷惑をかけてみようと思ったそうだ。そうやって、誰かと一緒に生きてみようと思ったそうだ」
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