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あんまり嬉しくさせないでほしい

今週末、親友の結婚式に出席した

学生時代の親友
新郎新婦共に同じ学生時代の軽音部の親友

式は和式の素晴らしいものだった

二次会は僕の第二の家と呼べるスタジオ付きのバー

そりゃバンドが集まれば必然とライブパーティーだ

皆二人の為に素敵な言葉で素敵な音を奏でまくる

僕は終始冷やかしてばかりですがね

その式中、何か違和感を感じた

その違和感は直ぐに判った

皆、僕を下の名で呼んでる

そういえば久々だ 下の名で呼ばれるのは

今の生活じゃまず会社名で呼ばれるか苗字だ

こんな当たり前が嬉しく思えた

そして改めて皆が僕の一番大切な財産と気付かされた

もし、第三者が皆を不幸に導くなら、僕はそれを絶対に許さない

皆の幸せの為なら、なんだって頑張る

そんな気持ちにさせられたや

あんまり幸せにさせないでほしい

判るでしょ?

21世紀の春とバイク

僕は彼女を始めてタンデムに乗せた

今迄で一番彼女との空間がなくなった

バイクを北にゆっくりと走らせ、平安神宮から岡崎公園、桜の周りを回った

疎水近くにバイクを止めた

彼女はご機嫌だった

僕も良い気分だった

何を話したかは覚えていない

話したい、いや聞きたい事がいっぱいあった

だけど聞けなかった
僕は非力なバンドマン、地位も金もないガキだ
彼女はそれに比べ、こうなる事を全て予期し、全てを受け入れ、そして前向きだった

彼女は「じゃあ行くね」とさっと一声残し予告もなくバスに乗った

あまりに突然の出来事だった

僕はさよならも言う事さえできなかった

バイクは隣にあった
直ぐに追い付ける
でもそれさえできなかった 何故かは自分が一番理解していた

数年が過ぎた

僕は二十代半ばになってた

周りが就職、結婚
又一人、一人と友が幸せに大人になっていった

僕の背中には相変わらずベースがあった

四条烏丸のMOJOで定期的にブッキングをこなしてたある日、少ない客の様子をスタート前のステージから眺めてた時、僕は心から驚いた
彼女がいた

その日のステージはアガッた 始めてのステージ位アガッた

ライブが終わり、普段ならハコとのミーティングの段取りをするのだが、その日はまっすぐハコの外に出た

彼女はいた 隣には優しそうな男性がいた

「まだ頑張ってるんだね」彼女は微笑んでた
「たまたまタウン紙で見たの」

あぁ、確かレーベルのオムニバスに参加した時の記事に予定が載ってたんだった

彼女はもう結婚をしていた 来年には子供も生まれると

彼女は大人から母になろうとしてた

「じゃあ」

彼女は又さっと一声を置いて僕の前から消えた

その年末、彼女から一通の手紙がきた

「生まれました」

彼女と彼女のかけがえのない新たな命が写された写真つきで

それを最後に彼女は一切連絡はない
僕も連絡はしていない

彼女が母になった
でも僕の背中にはまだベースがあった

ただその年の春
僕はバイクを手放した

そんな昔を思い出す光景に今日出会えた

貴方は今も幸せに過ごしてますか?

今、僕の背中には
ベースはもうない

20世紀の春とバイク

1999年

今から調度10年前の、春の一日を思い出した

きっかけは今日、タンデムに彼女を乗せたバイクがゆっくりと岡崎公園を走っている光景を見て

まんま10年前の自分を見ている様でした

彼女に会ったのは1998年の夏、京都の「イズント」というクラブ

当時エセパンクスの僕は茶坊主

彼女は一人でドリンクカウンターで困っていた

どうやらシステムが判らないらしい

僕は何気なく様子を見ていたがドリンクを諦めた彼女を見て思わず「どれ?」と声をかけた

彼女は「アイスティー」と

僕はアイスティーと自分のハイネケンをオーダーした

「ありがとう」

うるさい店内の中、その一言がしっかり聞こえた

彼女は絵に書いたお嬢様
なんでも二十歳になったから思い切っての夜遊びだそうだ

それからたわいもない話をした

時間はかからなかった

僕は凄いスピードでひかれた

その日彼女を始発の京阪四条迄送った

しかもグミチョコをしながら

楽しかった

お互いPHS

照れながら番号交換をした

週末はそれから彼女との時間になった

スタジオ帰りにベースを背負ってバイクで彼女を駅迄迎えに行く

彼女は今迄一度もバイクに乗った事もなく、パンクも知らない人だった

僕は正直バイクには乗せたくなかった

やっぱ危険だしね

でも頼みこまれ次のバイトの給料は新たなメットとスタジオ代に消えた

それから秋がきて、冬がきた

結局僕は一度も彼女をタンデムに乗せる事はなかった

その季節の中、僕はパンクスからいわゆる唄物のバンドに変わっていた

僕と彼女は付き合っていた訳でない

僕は臆病だから好きの一言がどうしても言えなかった

春がきた

彼女がいった

「最後にバイクに乗って桜がみたい」

その「最後」という言葉は全てを意味していた

彼女は学校の卒業と同時に婚約するという事だった

正に僕には想像できない家庭で生まれ、その伝統に従って彼女は生きてきたのだった

僕はガキだった

彼女は大人だった