捜査「可視化」のDVD、信用性を争う事態に (アサヒ・コム)
世の中に「ドキュメンタリー」と名のつく映像は多いが、
「編集」がある限り、厳密な意味でドキュメンタリーな映像など、存在しない。
膨大な撮影素材の中から、どの部分を切り取って、どういう順番でつなぐか。
インタビューがいい例だが、
切り取る部分を変えれば、当然中身も変わってくる。
そして、カットの順番を変えれば、意味を真逆にすることだってできる。
「編集」には必ず、制作者の「意図」が入るのだ。
「自白を強要する行き過ぎ捜査を減らすために、ビデオ撮影を導入する」
というニュースを以前読んだ時に、素人考えだなぁ、、と思った。
長い取調べ時間ずっと撮影したとしても、そのままでは使えない。
無言の部分もあるだろうし、関係ない話をしている時もあるだろう。
証拠として提出するのは、その中の一部分でしかない。
その「一部分」は誰が選ぶのか。
良くも悪くも、映像は「虚」を創り出すこと。
使い方によって、それは善にも悪にもなる。