- 歴史物語 朝鮮半島 (朝日選書)/姜 在彦

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最後は、
『朝鮮の歴史は1920年8月22日をもって日本史のなかに組み込まれ、地図のうえから消え去った。本書はその韓国併合の日をもって擱筆したい。
それにつづく日本の植民地支配については、朝日文庫の拙著「日本による朝鮮支配の40年」を参照していただければ幸いである。』
ヒィ~~~~~~~~
衝撃的な終わり方。
これで終わりになんて出来ないけど、
さすがに少し疲れたので、朝鮮半島の歴史はいったん終了。
ここから先は、いずれ改めて読むことにする。
『併合』について、
『韓国ガ全然廃滅ニ帰シテ帝国ノ領土ノ一部トナルノ意ヲ明カニスルト同時ニ、
其語調ノ余リ過激ナラザル文字ヲ選マント欲シ、うんぬん、うんぬん・・・』
と、外務省政治局長が書き記している。
韓国を日本の支配下におくに於いてあまり過激な言葉にならないように考えたが、
見合う言葉がないので『併合』という造語を作った。ということを述べている。
コトバを緩衝剤にはしたが、
併合条約第一条が
『韓国皇帝殿下ハ韓国全部ニ関スル一切ノ統治権ヲ完全且永久ニ日本国皇帝殿下ニ譲与ス。』
なんでこんなことになってしまったんだか・・・
日清戦争のきっかけとなった東学党の乱。
東学の思想は、人間の尊厳と平等。
それは儒教の教えと相入れないもので王朝体制を揺るがす危険な思想であった。
賄賂や不正収奪といった政府の暴政に対し、民衆の不満が暴発した。
各地で農民が立ち上がり、政府軍次々を破っていった。
慌てた朝鮮政府は、清に出兵を求めた。
そして天津条約により、清が出兵すると同時に日本も出兵した。
天津条約とは、甲甲政変により結ばれた。
甲甲政変とは、
朝鮮の近代的改革のモデルを清国式(守旧派)にするか、日本式(開化派)
にするかの対立により起こったクーデター。
日本式は、明治維新のように国を根本から変え西洋を取り入れる。
清国式は、中国の伝統を礎に国の形を変えず西洋を取り入れる。
でも、この対立の根っこには、清に対するスタンスがある。
開化派は、清国との宗属関係からの独立を主張。
守旧派は、清国との宗属関係を肯定し、時には清の権威を借りながらの内政改革を主張。
このクーデターは、開化派政権の3日天下で終わった・・・
袁世凱が率いる清軍の武力介入により新政権は壊滅した。
そして、朝鮮に拘泥するのは双方の為にならないと、日本と清との間で天津条約が結ばれた。
朝鮮に軍事介入はしない。もしする場合には双方通達すること。
これにより、東学党の乱で朝鮮政府が清へ出兵したことで、
頼まれてもいない日本まで朝鮮へ出兵することとなる。
朝鮮政府自身が、日本軍の介入のきっかけを作ってしまったのだ。
こりゃいけないと思って、
朝鮮政府は、東学党と和約を結び乱をおさめ、日清両軍の撤退を求めたが、
両国は受け入れず対峙を続け、日清戦争へ突入することとなる。
日清戦争は日本の勝利で終わり、下関条約が結ばれ、朝鮮は自主国であることを
清国に認めさせ、大韓帝国となる。
大韓帝国は、清の敗北を見て、清国式改革の限界を知り、日本式改革をとらざるえなくなる。
下関条約のあと、ロシアによる三国干渉が起きる。
これには、親日派に批判的な守旧派のロシアへの接近があり、
日本勢力の阻止という意図があったと思われる。
そして韓国と満州の利権争いから日露戦争勃発。
日本が勝利をおさめる。
日本がロシアに勝ったのは、ロシアが力をつけることを懸念する、
アメリカやイギリスの牽制もあった。
日本がロシアに勝った。
『有色人種の小国が白人の大国に勝ったという前例のない事実』
このことがひとびとに与えた影響は大きい。
日本国内では賠償金が取れなかったことで、各地で民衆の暴動が起こった。
日本軍は強いと煽られ、アメリカの仲介で辛勝した事実を国民は知らなかったことで、
アメリカ公使館などをも襲撃し、アメリカの対日、対米感情の悪化を招くこととなった。
ロシアは極東をあきらめ、西へ目を向ける。これが第一次世界大戦へとなってゆく。
あららら、日本に目がいってしまい、朝鮮半島のこと忘れていた(笑)
とりあえず、ここまで。