尊敬できる人物を見つける事ができた僕は、自分が思っている以上に幸運なんだと実感。

普通の家庭で育てば、父の背中を見て育ったりもあり得ると思う。でも、僕は実の親を人生の手本にしたいと思った事は1度たりとも無い。
部分的に、総体的に見ると感謝や過去の過ちで迷惑かけたと素直に思う事もゼロではないけど、僕はあんな夫婦にだけはなりたくない。その結果が、両親よりも程度の低い生活になろうとも、あんな夫婦生活を送るぐらいならホームレスも捨てたもんじゃないって思ってる。
中学に上がるまで、夫が妻を殴る蹴るを繰り返す光景はどこの家庭でもある普通の事だと思っていた。ガキの頃からイカれた日常が日常だった。
僕は、血縁に勝るものは無いって意見には同意できない。血が繫がってなかろうが、一緒に過ごした時間は血よりも濃いって事もあるから。
毎日雨が降ってる様な雰囲気の実家の生活は、自尊心や自己肯定観がズタボロになるような生活だった。
勿論、僕も迷惑をかけたし、他人に頭を下げさせる様な事もしてきた。僕は少なくとも自分の非は非と認めるだけの強さはある。ケジメを付けてこそ男だろ?
けど、いつまで経っても両親は僕をガキ扱いし、干渉し、義務ばかり押し付けられ、権利を主張すると即、両親は僕を病院へ連れて行くか、逆らえば病院から屈強な男を呼び、ベッドに押し付けられ麻酔剤を打たれフラフラしながら病院へ連れて行かれ、尿検査をさせられる。やつ等の言い分は、僕が感情的になるときは薬物を使っているとの事らしい。そんな事言われたら、単なる意見や意思を問答無用で断捨離。
で、尿検査の結果は当然ながら陰性。ここまでされて結果陰性でも、謝罪の1つも無い。
育ててやったと恩着せがましく言われた事もゼロじゃない。でも、それこそアンタらの義務だろ?
感謝もあるけど、心の底からではない。

さて、長い前置きは終わり。
今回は世界一イケてるラッパー、エミネムを語らせてください。

エミネムと聞いてピンと来る人はきっと僕とそう年は違いは無いと思う。若い人たちでエミネムを語れる人はなかなかいないんじゃないかな?
非常に勿体ない。

エミネムの凄さを語る時に絶対に出る偉業の1つに、【白人ラッパー】での成功がある。
どうゆう事かと言うと、エミネムがメジャーシーンに突如現れた時にアメリカの誰もが
『白人がラップ?勘違い野郎?ヴァニラ・アイスの再来?』
と、批判的な意見が大多数を占めていたとゆう。
ちなみに、ヴァニラ・アイスはエミネムより先にメジャーシーンに現れた白人ラッパーで、リリックは『俺はワルでっせ〜』な内容でスキルは全然みたいだけれども、白人から支持を得た。しかし、すぐにバケの皮が剥がれる。リリックの大半が嘘で塗りたくられたフェイク野郎だと。この男が白人がラップする事をより難しくしたとエミネムは語っている。ヴァニラ・アイス、フェイクの代名詞にまでなったのは逆に凄いけど。

しかし、ラップ界のレジェンドの一人、ドレーに見出され、ドレーは全力でエミネムをプッシュアップした。
そして、ドレーのプロデュースでリリースした【MY NAME IS】でいきなりチャート2位を取り、世間を驚かせた。
ドレーがプロデュースした事も大きな要因だけれど、何よりエミネム自身の実力が無ければ成功は無かったか、1発屋扱いされてるだろう。
1つに 【白人】が【ラップ】しての部分が衝撃を与え
2つに ヴァニラ・アイスと歴然たる差がある【スキルフルなライム】
3つに 【今までに無かった新しい主張】
これだけの要因が絡み合い、曲はスマッシュヒット。あまりの毒舌ぶりにラジオでの放送用にリリックを緩くしたバージョンもリリースした位。
NWAの【ファック ザ ポリス】が子守唄に感じる位の毒舌。
【マイ ネーム イズ】のPVも話題になった。当時のアメリカ大統領クリントンが、秘書の女性にオーラル・セックスを強要し、しゃぶらせ世間は炎上。それをパロって、クリントンに扮するエミネムを秘書らしき女性にしゃぶらせたと連想させるシーンが波紋を呼んだ。
1999年メジャーレーベルからリリースしたメジャーデビューアルバム
【  スリム・シェイディLP  】発売。
チャートも英・米ともに堂々初登場1位。1000万枚を超える売上。
ドレーのプロデュースしたアルバムだけど、曲目はほとんどエミネムが個人で配ってたEP収録曲を使っている。ドレーは2、3曲トラックを作っただけ。つまり、ほとんどエミネムの実力による結果。
翌年、メジャーでの二枚目のアルバム
【マーシャル・マザーズ LP】発売。
英米ともにチャートを制覇。
より過激な内容に世間はエミネムを無視する事が出来なくなる。ヒップホップに興味の無い様な人達をも振り向かせた。例えばPUNK野郎どもや、大会社の役員なんてしてるようなブルジョワやインテリ野郎どもまでエミネムに興味を持ち始める。
アメリカ音楽界の最高の栄誉である、グラミー賞にノミネートされた頃から、世間は、特におかたい親世代の連中や女性の権利を守る団体、同性愛者擁護団体、様々な考えの人間達からエミネム反対運動が巻き起こる。もはやエミネムは社会現象となっていた。
さらに世間を驚かせたのは、グラミー賞の舞台で当時のエミネム最大のヒット曲【Stan】を同性愛者で英国の大音楽家、エルトン・ジョンと共演すると発表した事だった。

 

             続く