一つ下の記事の続きである。
「俺は自死すべきか?それとも生きるべきか?」
結論から言うと、死ぬべきではないだろう。
理由は至ってシンプル。
そんな事をしても周囲に迷惑を掛けるだけで、
誰も救われないからだ。
仮に俺が死んだとして、あの子にそれが伝わったとする。
となると、「死ぬ程までに追い詰めてしまった。私のせいだ」
ときっと自分を責めるだろう。
別れを告げるメールに於いて、俺はあの子に酷く罵られたが、
それは誰がどう見ても、俺の自業自得である。
あの子がたかだかメールに於いて、
「復讐」に近い様な念を込めて、俺を罵倒しても、
俺はまるであの子に、反発する気にはなれない。
する資格が無い。
むしろ、自分のやった事の重さを再認識し、
愕然とするばかりだ。
本来は動物と音楽を愛する優しい子なのだ。
そのような罵倒をさせるまでに、
追い込んだのは、他でも無い。
俺だ。
誰がどう見ても、自業自得としか言い様が無いのである。
つまり、自業自得である以上、
俺以外の誰かに自責の念を与える行為など言語道断。
その誰かがあの子であるならばなおさら。
死ねない。
さらに、身内にも多大なダメージを与える事は明白。
それこそ精神を病んでもおかしくない。
これ以上の親不孝も無い。
さらにさらに、自死したとすると、
当然その醜い死体を処理するものが必要となる。
綺麗な死体なぞ稀である。
死体を綺麗に残せる自死の方法など、
在るのだろうか?
参考までに、死体のおぞましさを生々しく語る
二つのサイトリンクを下記に貼っておく。
http://www.jukai-deep.netfirms.com/
http://blog.goo.ne.jp/clean110/
結局、誰にも迷惑を掛けず、綺麗に自決する事なぞ
まず不可能と言って良い。
それにどうしようもない俺は死を意識しつつも、
やはり、死に対する根強い恐怖心は拭えない。
死にたい、などといいつつも
所詮が小心者の一時の感情。
死にたい。
死にたい。
死ねない。
なんだかんだと言いつつ、死ねない。
情けない・・・・・
慙愧に刻まれつつ、這って生きるしかないのだ。
死ねば自身はひょっとして楽になるかもだが、
周囲に被害を攪拌させるだけ。
最悪だ。
唯一受けられる罰が、苦しみ生きる事だけなのだろう。
救いの無い話だ。
しかし仕方の無い話だ。
それでも、自ら死ぬ時が有るとすれば、
あの子が先に自決した時。
または、あの子から「死んで下さい」と告げられた時だろう・・・
前者の場合は罪の呵責が俺に齎す負荷はきっと限界を超える。
「ただただ死にたい。死んで償いたい。楽になりたい。」
きっとそれしか考えられなくなり、
「死だけが救い」
そんな思考停止と同時に自らの生命活動も停止させそうな気がする。
後者の場合は、つけなければならぬけじめである。
幾許かでもあの子から償う機会を与えてもらえるケースである。
まず在り得ないのだが、万が一が在ったなら有り難く受け取る他無し。
とはいえ、これら二つはあくまで例外。
まだまだきっと俺の醜い余生は終わらない。
ならば、「以後どう生きるのか?」
後日纏まったところで続きを書こうと思う・・・・・・