一六七三年、父セルジュと母アンジェラは結
婚しました。
父はカトリック教会に祭壇の前に母を立たせ
るようなことはせず、母もまた父に改宗を迫る
ことはありませんでした。それはただ、カトリ
ック教徒の夫とヴァルドの妻が届けを役所に出
しただけのひっそりとした結婚となりました。
カトリック側からもヴァルド側からも祝福され
ることはありませんでしたが、公然と非難する
者もいれば、意外にも応援してくれる人々も少
なからずいたといいます。いずれにしても総て
は覚悟の上のこと、二人はそれで幸せだったの
です。
そして同年、母は双子の男の子を出産しまし
た。
私ラウロと兄のマルチェロです。
当時、父方の祖母は既に亡くなっていたこと
もあって、母は出産まで祖母アンナのもとに留
まりましたが、その後は父の家で暮らすように
なりました。もっとも、祖母の家も父の家もそ
れほど離れていたわけではありませんから、母
も私たち兄弟もしょっちゅう二つの家を行った
り来たりで、どっちが自分の本当の家だか、よ
く分からないような有様だったのですが。
孫の威力は絶大で、カトリック教徒と結婚し
た娘のことで意気消沈していた祖母は、何もか
も忘れて孫に夢中になりました。私も兄も、祖
母の膝の上に座って、祖母が語る、遠い谷の物
語に大喜びで聞き入ったものです。
「その谷では満月の夜、樹の枝に座った妖精が
道行く人に黄金色の糸を投げ掛けるんだよ。
その糸に触れた人には幸運が訪れるんだ……」
孫の信仰をどうするのか、父母と祖母との間
では一つの約束が交わされていました。すなわ
ち、孫たちには自分の信仰を自分で選ばせると
の取り決めをしたのです。母はあまり信仰につ
いて語ろうとはしませんでしたが、私たち兄弟
は、父の美術を通してカトリックに触れ、祖母
の物語を通してヴァルドを理解するようになっ
ていました。
もっとも私たちが幼い頃は、カトリックだと
かプロテスタントだとか、教義の違いが分かる
はずもなく、ただ、北国育ちのしかつめ顔した
プロテスタントと、南国生まれの陽気なカトリ
ックぐらいの区別しかありません。自分として
は、どちらかと言えば、年中お祭りをやって騒
いでいるカトリックに心惹かれていたくらいで
す。何と言っても、プロテスタントのカルヴァ
ン派は厳格で、クリスマスのお祝いさえするこ
とはありませんでしたから。ジュネーブと言え
ばカルヴァン派のお膝元です。プロテスタント
同盟の保護下にあったヴァルド派もまた、カル
ヴァン派の影響を強く受けていたのです。
ジュネーブの街中は人々の国籍も言語もてん
でばらばら、その上、カトリックとプロテスタ
ントがそれぞれ好き勝手に動き回っていました
から、それはそれは混沌としていました。私た
ち兄弟は、そんな街の中を何か面白いものはな
いか捜しながら、縦横無尽に駆け回ったもので
す。取り分け楽しかったのは、十一月のエスカ
ラード祭です。ジュネーブがサヴォイア公国か
ら独立したことを祝うこの時だけは、ジュネー
ブの街が一丸となってお祭りに没頭しました。
エスカラード祭とは、ジュネーブ奪還のため、
時のサヴォイア公カルロ・エマヌエーレ一世が
軍隊を差し向けた際、城壁に梯子(エスカラー
ド)を掛けて侵入しようとした所を市民のおば
さんに見つかり、上から大鍋のスープをぶちま
けられて逃げ帰ったという逸話が基になってい
ます。
私たちはパレードの後について街中を練り歩
き、道化師たちの演じる間の抜けたサヴォイア
兵を見て、お腹が痛くなるまで笑ったものです。
しかし、誰に取ってもそうだと思いますが、
子供時代の楽しみや特権は、成長に従って失わ
れたり、暗い影が差したりするものです。友人
はカトリックの側にもヴァルドの側にもいまし
たが、長じるにつれ、友人たちは、洗礼を受け
ず決まった信仰を持たない私たち兄弟を疑いの
目で見るようになっていきました。