ヴェルサイユ行きには、サン・モーリス侯爵
の馬車で一緒に行くことを勧められたのだが、
マリアンヌを連れて行くことになったので自分
で辻馬車を雇ったと言うと、「そうか」と気の
無い返事をしただけだった。職業柄、何でも知
りたがる侯爵のことなので、いろいろ詮索され
ると思って、前もってあれこれ返答を考えてい
ただけに、何だか拍子抜けした。
パリの中心部からヴェルサイユまで、馬車を
使えば三時間足らずで行くことができる。しか
し、その道中は楽しいだけではなかった。パリ
市街から一歩外に出ると、地面を這い回るかの
ような農民たちや、朽ちかけた農家の姿が嫌で
も目についた。長引く戦争や、対外的に権威を
誇示するような国家事業が、すっかり農村を疲
弊させていたのだ。既に何年にも亘り、国家予
算の三分の一を注ぎ込んでいたヴェルサイユ宮
殿建設は、その最たるものだった。
馬車は途中、ヴェルサイユの方から来た別の
馬車に道を譲ったが、御者が意味ありげな一瞥
を投げかけてきたので、何かと思ってその馬車
を見ると、荷台にかけられた布の下から、鉛色
をした人間の手足が何本も突き出していた。そ
の死体がどこから運ばれて来たのか、説明は要
らない。そもそも宮殿造営には不向きな湿地帯
に、周囲の諫(いさ)めも聞かず、狂気とも思え
る大宮殿の建設が行われている。突貫工事の進
む建築現場では死傷者が続出、さながら野戦病
院のようだと聞いていた。犠牲となった工夫た
ちの死体は、人目に付かないよう早朝にヴェル
サイユから運び出されるのが常だった。
最初は楽しそうにしていたマリアンヌも陰鬱
な光景に、やがて横を向いたまま黙ってしまっ
た。
それでも宮殿が近づくにつれ周囲の雰囲気も
変わり始める。わずか十五年前、ここが何も無
い荒涼とした湿地帯であったとはとても信じら
れなかった。宮殿の門前には既に街が広がりつ
つある。土産物、布織物、香水、葡萄酒、そし
て売春婦たち。軒を連ねる差し掛け小屋は商魂
を剥き出しにして売り込みに余念が無い。
驚くべきことだが、ヴェルサイユ宮殿は万人
に対して門戸を開いており、然るべき服装をし
ていれば、どんな者でも宮殿に入ることができ
た。男であれば帯剣、帽子が必要とされたが、
門前にはそのための貸衣装屋まであった。
宮殿は一六七四年に第一期の工事が終わって
いたが、全宮廷を移すにはまだ手狭だというこ
とから、早くも拡張工事が始まっていた。
アポロンを中心としたギリシャ神像を散りば
めた宮殿は、フランス宮廷という一つの宇宙を
形成している。その中心が太陽王ルイ十四世で
あり、その行動は非人間的なまでに様式化され、
時刻を見れば、国王がどこで何をしているのか
分かり、国王を見掛ければ時刻が分かるという。
食事に至っては、数百人の人間が取り巻き見守
る中で行われ、一杯の葡萄酒を飲むのにも、侍
従数人掛かりが振り付けされたような決まった
手順を経て、国王の口まで運ばれた。
宮殿は勿論のこと、ヴェルサイユの庭もまた
非現実的な場所だった。もう冬だというのに季
節外れの花が咲き乱れているのは、千人の庭師
が温室で育てた花々を毎日並べているからだ。
巨大な噴水の先に直線となって伸びる運河には、
ゴンドラが行き交い、ここでは樹木さえも、国
王の意思に従うかのように、その形を幾何学的
に変えていた。
マリアンヌと宮殿内を暫く歩いたが、国王と
の謁見の時間が近づくと、宮殿内が息苦しかっ
たのか、「私は庭を散歩してるから、後で見付
けてくださいね」と言って、庭の方へ歩いてい
ってしまった。
サン・モーリス侯爵とは王の間に通じる回廊
で落ち合った。
その時、侯爵と一緒に話をしていたのが、ラ
・レニーだった。パリの初代警視総監という肩
書きに相応しく、堂々とした恰幅、力強い鼻や
顎の線が印象的だった。
侯爵は私をラ・レニーに紹介してくれた。ど
この若造とも分からない私に、ラ・レニーは気
さくに言葉を掛けてくれた。
「モーリス殿から話は聞いています。ヴァナン
の件では貴方の力をお借りしますよ。国王の許
可が出たら、パリに帰って詳しく話をしましょ
う」
一度、言葉を発すると、その印象は思いのほ
か人当たりが良く、深い教養を感じさせる。後
で知ったことだが、ラ・レニーは古典文学に造
詣が深く、パリでも有数の個人蔵書家であると
いう意外な一面を持ってていた。
やがて、回廊を埋めていた人々が、まるで海
が割れるかのように両側に退き、沈黙して中央
を向いた。
国王ルイ十四世が回廊に入ってきたのだ。
威厳を感じさせるというよりも、威厳を表現
していると言った方が相応しいかもしれない。
様式化された一挙手一投足は、若い頃はダンス
の名手でもあったという話を想起させた。ブル
ボン家の紋章フルール・ド・リスを散りばめた
マントル、詰め物をした衣装と王笏は、その存
在が地上における神の代理であることを表現し
ていた。
国王の歩みに合わせて男たちは頭を下げ、女
たちはスカートを持ち上げて会釈をする。国王
からの恩寵を意味する一瞥を受けたいがために、
国王の歩みが自分たちの前に差し掛かる時、熱
い期待が陽炎のように立ちのぼり、何事も無く
通り過ぎれば冷たい失望となって人々の上に落
ち掛かる。運良く国王から声でも掛けられよう
ものなら喜びに我を忘れ、その周囲の者は嫉妬
で顔が青ざめる。言葉を掛けられるにしても
「余はこの者は知らぬ」と言われたなら、それ
は社会的な死を意味していた。
フランスの宮廷にいることは世界の中心にい
ることだった。そこでは洗練が極められ、文化
の最先端を誇る。しかし、そこでは何者も幸福
になることは無い。虚栄、猜疑、嫉妬、恐怖が
渦巻く世界。それがフランス宮廷だった。