「アラン神父からお話は伺っていますわ。サ
ンドロさんね」
サン・ジェルマン地区にある瀟洒な館に、神
父からの紹介状を握りしめ、辻馬車から降り立
った私は言葉も態度もぎこちなく、いかにも世
慣れない不器用な若造に見えたことだろう。し
かし、サロンを主催するレナール夫人には、こ
んな人田舎者の扱いも手慣れたもの、堂に入っ
たホステスぶりで私を迎え入れてくれた。
「イタリアの方だそうね、最近のローマの話を
伺いたいわ」
「ええ、私はローマで育ちましたが、一族はサ
ヴォイアの出身なのです」
「まあ、道理でフランス語がお上手だと思っ
たわ」
レナール夫人は私の腕を取って、玄関ホール
を抜け、客間へと導いた。
年の頃から言えば、四十前後だろうか。二年
ほど前に夫を亡くしたと聞かされていたので、
勝手に未亡人の主催する陰気なサロンを想像し
て、いささか気が重くなっていたのだが、意外
にも華やいだ空気を身にまとい、黒いローブは
却って色香を強調するかのようだった。
「どうぞ、ゆっくりしていってくださいね、今
夜はトマ・コルネイユさんと一座の役者さんも
いらっしゃっているのよ、御存じかしら」
言い淀んでいると、
「パリでは名の売れた劇作家なんですよ」と言
葉を繋いでくれた。「今夜は楽しい話が聞ける
と思うわ」
煙草、ワイン、香水。サロンに入ると濃密な
空気に包まれ、目眩がするほどだった。中央の
テーブルを囲んで中年の男女六人ほどが座って
カードをしながら談笑している。暖炉を背にし
て中心に座り、役者と思しき数人に囲まれてい
る初老の男がコルネイユだとすぐに分かった。
他には壁際に四人ほどが固まり、ワイン片手に
取り留めのない会話に耽っている。
新参者の私が入っていっても、目が合うと軽
く会釈はしてくれるものの、話を止めるでもな
く、淡々としてその流れを止める者もいなかっ
た。人と交わるのが苦手な自分にしてみれば、
身の置き所が無いとはこのことで、飲み物を片
手にどうしたらいいか分からず、壁際に立って
人々の会話に耳を傾けていた。結局はそれが自
分の仕事なのだから。
「若いお客様にいらしていただいて嬉しいわ」
後ろから別の女性の声がして、驚いて振り返
った。そこに立っていたのは若い女性で、薄い
黄色地に赤い花の模様を散りばめたローブを着
たその人は、振り向いた私に、スカートを持ち
上げて軽く会釈をした。興味津々で真っ直ぐに
私を見詰める青い瞳が眩しく、私はその目をま
ともに見ることができなかった。蝋燭(ろうそ
く) の明かりだけだったから良かったようなも
のの、陽の光の下で見られたら、耳まで赤くな
っていたのを悟られたに違いない。
「姪のマリアンヌですよ」レナール夫人が彼女
の後ろから近づいてきて言った。「仲良くして
あげてくださいね」
「イタリアから新しいお客様が来ると聞いてい
たから」マリアンヌは私の袖を引っ張って、自
分の方に引き寄せてから声を低くして言った。
「私はまた、口だけは達者だけど話の退屈なお
じ様が来るものだとばっかり思ってました。お
若い方だったのは嬉しい驚きですわ。ここはお
年を召した方ばっかり集まるから。だけど貴方
は無口ですのね、イタリアの方なのに」
「私はローマ育ちですが」これを言うのは何度
目か。「一族はサヴォイアの出なんですよ。そ
れにイタリア人にだっていろいろ――」
「あら、そうなの。でもまあ似たようなもので
しょ。ところでパリは初めて?」
「ええ、そうです」
「パリのことで分からないことがあったら何で
も聞いてくださいね」
遠慮会釈のない物言いに、自分がつい乗せら
れていることに気付いてはいたものの、決して
悪い気はしなかった。
「それでは、少し教えていただきたいのですが、
先ほどから皆さんの会話を聞いていると、知ら
ない名前が出てきて良く事情が飲み込めないの
ですが、――ヴァレリーヌとかマントノンとか。
モンテスパン夫人ぐらいは知っていますが」
「まあ、それはいけませんね! 今、パリで最
も噂になっている女性たちのことを知らないな
んて」
マリアンヌはレナール夫人の方を向いて「叔
母様、叔母様!」と呼ぶ。
「大きな声を出さないで。ここは場末の酒場じ
ゃないのよ」レナール夫人はしなだれ掛かって
いた男の腕から抜け出して姪の所にやってきた
が、お楽しみの邪魔をしないでと言いたげな様
子に、私の方が戸惑った。が、マリアンヌは全
く気に留める様子も無い。
「叔母様、この方はヴェルサイユの女性たちの
ことをあまりよく御存じないみたいなの。また、
例の話を聞かせて欲しいわ、この前のように」
「まあ、そうでしたの」夫人は髪の乱れを直し
ながら笑った。そして、テーブルの方を向いて
言った。「ジョルジュさん、この前の話、もう
一度していただけるかしら。こちら、イタリア
の方で、まだあの話を聞いたことがないのよ」
期せずして部屋中から拍手が沸き起こった。
すると、テーブルから一人の男が恭しく立ち
上がった。
「あの方は?」私は小声でマリアンヌに尋ねた。
「喜劇が専門の役者さんよ、物語の朗読も上手
なの」
「レナール夫人の御用命とあれば喜んで」
そうして男は語り始めた。ヴェルサイユの女
たちの物語を。