カヴァッリ家には異端が入りこんでいたのだ
ろうか?
私には異端の血が流れているのだろうか?
敬虔なカトリックであったと言いながら、祖
父に掛けられた突然の異端嫌疑、祖母と異端ヴ
ァルド派との不可思議な接点、恐らくはヴァル
ドとして死んだ父の妹アンナ。――呪われた一
族の末裔として、いつ何時、自分に悲劇が襲い
掛かってくるのか、時に恐怖で眠れない夜を過
ごさなければならなかった。
私は祖父が異端として告発される前年に生ま
れている。母は私が物心付かない内に亡くなっ
たと父は言うが、家の中には母の肖像画が一枚
あることを除けば、およそ母の遺品と言えるよ
うなものは何ひとつ無かった。母が、まるで自
分の意思で部屋を引き払ったかのように。
今となれば母の気持ちも理解できる。一族に
異端の嫌疑が掛かったとなれば、自分の命だっ
て危うい。母にはカヴァッリ家に留まる義理な
ど無かったのだろう。自分がもと来た所に帰り
たいと思うのは当然なのかもしれない。カトリ
ック教徒なら離婚は許されないが、祖父が異端
として有罪となったからには、結婚を無効とす
ることも容易い(たやすい)はずだ。
母のことで父を問い質したことはない。そう
した所で父は言葉を濁しただけだろう。父の性
格からして、母が家を去ると言っても引き留め
はしなかったと思う。父は試練を自分一人で背
負っていこうとする人だった。そんな父に恨み
がましいことを言う気にはなれなかった。
それにしても母は私を連れていくことは考え
なかったのだろうか。
幼い私を父の元に残して去っていくことに何
も感じるものは無かったのだろうか。
――それは私に異端の血が流れてるからなの
か。
肖像画の中の母は、静まりかえった部屋でひ
とり絵を見上げる私を微笑みを浮かべて見返し
ていた。あどけなさの残る顔は屈託が無く、編
んだ髪と花の髪飾りに華やいでいた。
私の母親でいることは貴方には荷の重いこと
だったのですか?
心の中で問いかけると、私にだって自分の人
生を楽しむ権利がある、悪戯な笑いを含んだ声
が返ってきそうだった。
父と母の間でどのような遣り取りがあったの
かは分からない。
しかし、それがどのようなものであったにせ
よ、父が長男である私を手放すことだけは首を
縦に振らなかったことは間違いが無い。父は離
散したカヴァッリ家の再興を信じていたからだ。
幸いなことに財産のかなりの部分は残っていた
ので、乳母や下働きといった最低限の使用人を
雇うことができた。家庭教師も雇われ、私には
熱心な教育が施された。本人から言わせて貰え
ば、この辺りは痛し痒しといった所ではあった
けれど。
だからこそ私のパリ行きを最も喜んだのは父
だった。父一人子一人で長い間暮らしてきたの
だから、父にとっては寂しいことだったかもし
れないが、それでも、息子がサヴォイア家に直
接仕える機会を得たのは望外の喜びだったのだ
ろう。
カヴァッリ家を潜伏生活から救い出すべく尽
力してくれたのは、不思議に聞こえるかもしれ
ないが、カトリックの修道士、ドミニコ会のフ
ェルナンド士だった。
士はカヴァッリ家と外の世界を繋ぐ唯一の接
点だった。
本人の性格による所もあるのだろうが、神へ
の祈りに生きるよりも、行動することを選んだ
人であった。七十近い歳になってもなお、バチ
カンの使者として精力的に旅を重ね、プロテス
タントたちには一定の理解を示しつつも、カト
リック教会でなければできないことがあるとい
う強い信念を抱いていた。
フェルナンド士は祖父に掛けられた異端の嫌
疑を信じてはいなかった。そればかりか、士は
エミリオという異端審問官を直接知っており、
マレドにその男を送り込んだのが士その人であ
ったらしい。らしいというのは、私たちにとっ
て機敏に触れる問題であったために、このこと
について、まともに話す機会は一度も持てなか
ったからだ。しかし、カヴァッリ家を襲った悲
劇に対する責任の一端が自分にあると感じてい
たことは間違いない。そのため、我々を何かと
気に掛けてくれたばかりか、私を外交官補佐と
してパリに送ることをサヴォイア家に強く進言
してくれたのだ。私がサヴォイア公に認められ、
再びカヴァッリ家が名門として甦ることを信じ
て。
私をパリに送りだすに当たって、父やフェル
ナンド士、それにフェルナンド士にとっては重
要な相談相手であるダミアーノ士も加わって、
現在のフランスやサヴォイアを取り巻く情勢、
パリで起こったの毒殺事件、ヴェルサイユのこ
となど、多岐に亘(わた)る問題について幾晩に
も渡る議論が重ねられた。
このダミアーノ士という方がまたらしからぬ
人で、修道士というよりも学者のように見えた。
真実は信仰によっても曲げることはできないと
いうのが口癖で、こと天文学にはかけては、大
きな声では言えないが、その考えをおおっぴら
にしたら、彼自身が異端審問に掛けられそうな
勢いだった。