セヴィニエ夫人の手紙 (サン=シールで観劇) | アルプスの谷 1641

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1641年、マレドという街で何が起こり、その事件に関係した人々が、その後、どのような運命を辿ったのか。-その記録

 
 
 少し間を飛ばしますが、先に前回記事の最後にあった、マントノン夫人主催
 
の劇 (悲劇作家 ラシーヌの「エステル」)をセヴィニエ夫人が見に行ったお話
 
です。 
 
以下、注です。 
 

「知恵の書」
 
『知恵の書』 は、カトリック教会と正教会は旧約聖書に含めるが、プロテス
 
タントでは含まず、ユダヤ教でも外典として扱っている書物のうちひとつ。 
 
『ソロモンの知恵』 とも言われ、内容分析からアレクサンドリアで紀元前
 
一世紀ごろ記されたと考えられている。 (wikiより)
 
 

「アティス」
 
 ジャン・バティスト・リュリによるバロックオペラ。 
 
「奇怪な神話に基づき、類稀なる美青年アティスがその美しさゆえ多くの
 
女性の誘惑と嫉妬にふりまわされ、ついには死に至る」という悲劇ですが、
 
セヴィニエ夫人が 「とても楽しい」 と書いているのは、その流麗な音楽の
 
ことを言っているのでしょうか。 

 
 
1689 年 2 月 21 日 (月) パリにて  娘フランソワーズへ
 
 
 先日、サン=シールに行ってまいりましたが、予想を超える出来栄えの、
 
素晴らしい舞台でした。 その日は土曜日で、クーランジュ夫人、バニョル夫人、
 
テチュ神父とご一緒いたしました。 私たちのために席が用意されていて、係官
 
の言うには、マントノン夫人がクーランジュ夫人の席を自分の隣に指定してい
 
たとのことでした。 これは大変、名誉なことです。 私は係官に 「マダム、ご
 
自分の席をお選びしださい」 と言われたので、バニョル夫人と一緒に二列目
 
に座りました。 クーランジュ夫人の後ろです。 ベルフォン元帥がいらっしゃ
 
って、私の隣の席をお選びになりました。 元帥の前はオーヴェルニュ夫人、
 
コワラン夫人、シュリー夫人です。 私と元帥は神経を集中してこの悲劇に聞
 
き入り、批評し、囁き声で賞賛を贈り、高く評価しました。 前述のご婦人た
 
ちは、そのような鑑賞眼をお持ちではないようでしたが。 この演劇が如何に
 
素晴らしいものであったか、手紙で貴女にお伝えすることは困難です。 舞台
 
では表現するのは容易ではない主題を扱いながら、音楽と詩が緊密に結び付
 
き、演技と歌唱は完璧、これ以上は望むこともできない、他では真似のでき
 
ない舞台でした。 王を始めとする登場人物は、演者となる少女のために作ら
 
れたかのようでした。 誰もが心を奪われ、この素晴らしい舞台を最後まで見
 
ることだけを考えていました。 すべての場面が単純明快、無垢にして荘厳、
 
心の琴線に触れるものです。 聖書の物語に忠実に従い、崇拝の念を起こさせ
 
ます。 歌唱が、聖書の詩編や「知恵の書」からとられた言葉にぴったりと寄
 
り添い、主題を完璧にとらえるのです。 あまりの美しさに涙を堪えることが
 
できませんでした。 劇に与えられた賞賛の尺度は、品位と集中です。 私も
 
元帥も魅了され、元帥などは席を立って陛下の許に行き、どれほど感激したか
 
をお伝えしたほどです。 そして「私の隣のご婦人はエステルを語るに相応しい
 
審美眼をお持ちです」 と仰いました。 すると陛下が私たちの席までやってき
 
て、こちらに振り向くと、こう仰せになりました。 
 
「マダム、大層、この劇をお気に入られたと伺いましたが」
 
 私は慌てることなくお答えしました。 
 
「陛下、すっかり魅了されてしまいました。 言葉では表わせないほどです」
 
「ラシーヌの才能は素晴らしいですね」
 
「その通りにございます、陛下、ラシーヌは優れた劇作家です。 しかし、
 
こちらの若い淑女の皆様も本当に才気に溢れていらっしゃいます。 他のこと
 
をすべてを忘れたかのように、全身全霊をもって劇に没入しておりました」
 
「ええ、全くその通りです」
 
 陛下はそう言って通り過ぎられました。 嫉妬の的になった私をその場に残
 
して。 事実上、私は唯一の新参者だったので、周囲の騒々しさや思惑から離
 
れた私からの嘘偽りの無い賞賛を聞き、陛下は嬉しかったのでしょう。 コンデ
 
公御夫妻も私の所に立ち寄られて、言葉を掛けてくださいました。 マントノン
 
夫人はさっと席を立ち、陛下と共に去ってしまわれました。 皆様とお話ができ
 
たのは幸運でした。 私たちは松明の明かりで (ヴェルサイユ宮殿に) 戻りま
 
した。 私はクーランジュ夫人と夕食を共にしましたが、陛下が夫人にとても
 
気さくに話しかけてくださいましたので、夫人はとても幸せそうでした。 
 
(兄の) シュバリエとは夜に会いました。 特に考えも無く、隠す必要も無かったので、
 
以前お話したかもしれない或る種の人々とは違って、私はその日の夜のちょ
 
っとした幸運について率直に話ました。 彼はとても喜んでくれました。 それ
 
だけです。 後になって、それが私の愚かな虚栄心だとか、小市民的なうぬぼ
 
れだとか、そんなことを考える事も無かったでしょう。 貴女から聞いてみて
 
くださいな。 
 
 モー氏は長いこと貴女のことを話しておりました。 コンデ公も同様です。 
 
貴女がその場にいなかったのが残念です。 しかし、どうすることもできませ
 
んよね、同時に複数の場所に存在することなど不可能なのですから。 昨夜、
 
貴女はマルセーユでオペラをご観覧になったと伺いました。 「アティス」 は
 
「とても楽しい」 だけでなく、とても魅力的なオペラですから、退屈を感じ
 
ることもありませんでしたよね。 贅沢に過ごすなら、エクスよりマルセーユ
 
の方が良いことでしょう。