セヴィニエ夫人の手紙 (名誉革命の進展) | アルプスの谷 1641

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1641年、マレドという街で何が起こり、その事件に関係した人々が、その後、どのような運命を辿ったのか。-その記録

  

 
 名誉革命の進展が手紙で触れられています。 

 

 (名誉革命については 前々回記事 と併せてご覧ください)
 
 1月3日の手紙では、王妃と王子の後を追って、国王がフランスに亡命し
 
ようとして失敗したこと。 1月5日の手紙では、その後の再亡命は、オラニ
 
エ公によって黙認されていたことが分かります。 
 
 
 以下、注です。 
 
 
聖王ルイの生涯 (La Vie de Saint Louis)
 
   歴史家 ジャン・ド・ジョアンヴィル著
 
 
第二王朝
 
  カペー朝のこと
 
 
メズレ (Mezeray)
 
  歴史家。 
 
 
フィリップ六世 (Philippe VI de Valois)
 
  ヴァロワ朝の初代フランス王、カペー朝フィリップ三世の孫。 
 

 ジャン二世 (King-Jean)
 
   フランス王、フィリップ六世の息子
 
 
フランソワ=ティモレオン・ド・ショワジ (Abbe de Choisy)
 
  聖職者、歴史家。 
 
  ネットで画像を見ると、女性の肖像が出てくるので、聖職者なのに女
 
  性? と戸惑いますが、実は女装趣味の男性だそうです。 
 

 
 
(前回 1689年 1月 3日 の手紙より後半部より抜粋)
 

 
 英国王は猟師に変装して脱出を図りましたが、捕らえられたとのことです。 
 
国王は今、ホワイトホールにいます。 起居している時には、衛兵たちとその
 
隊長、付き添いの貴族に囲まれ、敬意こそ払われていますが、厳重な監視下
 
にあります。 オラニエ公は公園の反対側にあるセント・ジェームズ宮殿にい
 
ます。 もうすぐ議会が開かれるますが、神のお導きがありますように! 
 
(既にフランスに亡命している) 英国王妃は水曜にはサンジェルマンに、我が
 
陛下や支援者たちの近くへとお越しになられます。 
 
 
 

1689年 1月 5日 (水) パリにて、娘フランソワーズへ
 
 
 「聖王ルイの生涯」を読んでいた流れで、メズレを読んでいます。 第二王朝
 
の最後の王たちについて調べ、(第二王朝と)フィリップ六世とジャン二世を
 
結び付けたいと思っています。 フランソワ=ティモレオン・ド・ショワジが
 
大変面白い歴史書を書いているのですが、その主要な部分がこれらの王に関
 
する記述なのです。 私たちは貴女の息子の頭に過去の出来事を叩き込みたい
 
と思っていますが、それは後に取っておきましょう。 今は、現在起こってい
 
ることの総てについて考えるべきことが沢山あるのですから。 
 
 今日の新聞で、英国王がロンドンから逃亡したのはご存じでしょう。 明ら
 
かにオラニエ公がそれを黙認したのです。 政治家たちは、英国王がフランス
 
にいることの是非を盛んに論じています。 ある者はこれを是として、その理由
 
を次のように説明します。 英国王はフランスにいれば安全であり、王妃や皇子
 
と引き離されることもない、首を刎ねられる心配もないと。 また、ある者は非
 
と言います。 オラニエ公をそのままにしておいては、謀反の必要も無く、オラ
 
ニエ公はそのまま国王となってしまうからと。 確かなことは、すぐにも英国は
 
フランスに宣戦布告するであろうことです。 先にフランスがに宣戦布告する
 
べきなのかもしれません。 もしフランスがイタリアやドイツで和平を結ぶこと
 
ができれば、私たちは対英蘭戦争に全面的な兵力を充てることができます。 
 
そのようになってくれることを願っています。 四方を敵に囲まれて戦ってい
 
たのでは、国力が保ちません。 ペンの走るがままに任せていたら、お話がこ
 
のような所まで来てしまいました。 しかし、話さなければならない重要な
 
出来事があまりに多いのです。