前置きとして 「取り立てて話さねばならないことでもありません」 と書いて
いますが、セヴィニエ夫人は事の重大性を分かっていないのかもしれません。
ここで語られているのは歴史的大事件、英国の名誉革命の裏話です。
英国王とはジェームズ2世、王妃とはメアリー・オブ・モデナのことです。
既に英国は娘婿のオラニエ公ウィレム3世に制圧されており、英国王として
のジェームズ2世は形ばかりで、明日をも知れぬ運命にあることが分かりま
す。 王妃と王子のフランス亡命に続き、後にジェームズ2世も亡命しようと
しますが失敗。 翌年、ロンドンを退去し、フランスに再亡命、2月 23日に、
メアリー2世とウィレム3世が正式に英国王・英国女王として即位します。
(共同統治なので、王と女王) これが世に言う 「名誉革命」 です。
(セヴィニエ夫人が、メアリーを父王殺しの悪女トゥッリアに喩えて
いるのは、前記事にある通りです)
この手紙は王妃亡命の裏にある英雄譚を伝えてくれます。
名誉革命とか、世界史の授業で聞けば無味乾燥な言葉でしかありませんが、
この手紙を読んでしまうと、以後、名誉革命という言葉を聞く度に胸が熱く
なること請け合いです。
注として、ローザン公爵についても、付記しておきます。
ローザン公爵はその波乱万丈の人生で知られています。 特に前王弟の娘
(ルイ13世の弟、ガストン公の娘、Anne, Duchess of Montpensier "La Grande
Mademoiselle") との恋愛に絡んで、ピネロロの監獄に収監されたという不
名誉な経歴があります。 「その星は息絶えて地中に埋められているかのよう
な時に」 という言葉はこれを指しているのかと思われます。 この人について
書くと、それだけで記事が二、三本必要になりそうなので、ここでは深入りは
避けたいと思います。
1688年 12月 24日 (金) パリにて、娘フランソワーズへ。
聞いてください。 取り立てて話さねばならないことでもありませんが、
ちょっと変わった出来事があるのです。 英国王妃とウェールズ公が、たった
二人の侍女だけを伴って、今この瞬間にも、フランス宮廷に姿を見せるかも
しれません。 21日の火曜、ローザン公爵に伴われて王妃の一行はカレーに
到着、陛下は自分の馬車を迎えに出しました。 ラファイエット夫人宅で、
ヴェルサイユから戻ったばかりのコートン氏が詳細を話してくださいました。
一ヶ月ほど前、ローザン公爵が英国に行く決心をしたことはご存知ですね。
公爵は時間を無駄にはしませんでした。 誰からも顧みられず、見捨てられた
英国王をそのままにしてはいられなかったのです。 先週の日曜、ついに英国
王も覚悟を決めました。 侍従たち全員を下がらせ、王妃と共に寝室に入り、
深夜、起き出すと、控えの間にいる者を中に入れるよう、召使いに命じまし
た。 その人こそ、ローザン公爵でした。 「公爵殿、王妃とわが息子を貴男
に預けます。 いかなる犠牲を払ってでも、二人をフランスに送り届けてく
ださい」 公爵は英国王の言葉に拝謝し、ご想像の通り、アヴィニョンから
連れてきた従者を同行させる許可を願いました。 その方の名はサン・ヴィ
クトル、剛胆かつ有能で知られた方です。 彼は幼い王子を自分の外套の中
に隠しました。 王子はポーツマスにいると伝えられていましたが、実は宮
殿内に隠されていたのです。 ローザン公爵は王妃を先導し、(王妃が英国王
に別れを告げる様が目に浮かぶようです) 先ほど述べたように、侍女二人
だけを連れて、通りに出て雇っていた馬車に乗り込みました。 それから小舟
に乗り換え、テームズ川を下りました。 天候が悪く川は荒れていましたが、
先に進むしかありません。 なんとか河口に出ることができた一行は、そこで
帆船に乗り換えました。 ローザン公爵はずっと船長の近くにいて、もし裏切
ったなら海に叩き落とすつもりでしたが、その船長はまさか自分が英国王妃
を乗せているとは全く気付かなかったようです。 残る心配は英仏海峡を航行
している五十隻以上のオランダ船ですが、それらはこんなちっぽけな帆船な
ど一顧だにしませんでした。 天の恵みとみすぼらしい身なりのおかげで、
一行は無事、カレーに到着しました。 そこではチャロスト氏が考え得る最大
の敬意を払って、王妃をお迎えしました。
この知らせは、昨日の正午に陛下に伝えられ、すぐさま然るべく誂えられた
王室の馬車を迎えに出し、ヴィンセンヌにお連れするよう命令が下されまし
た。 陛下、自らお出向きになり、王妃とお会いになるそうです。 お話はここ
までですが、続きはすぐに耳に入ることでしょう。
この美しい冒険譚の仕上げを飾るお話を聞きました。 ローザン公爵は
シャロスト氏に王妃と王子を無事に預けるとサン・ヴィクトルと共に英国
に戻ろうとしました。 英国王の、悲しくも残酷な運命を見届けるためです。
私はローザン公爵に感嘆を禁じ得ません。 その星は息絶えて地中に埋められ
ているかのような時に、再び輝かずにはいられないのです。 公爵は英国王に
二万ピストルものお金を送りました。 本当に立派であるばかりか、その行い
の総仕上げとして、英国に戻ろうというのです。 どう考えても、英国王と共
に滅びる運命か、或は、英国を騙した報いを受けるため、その手の中に
自ら飛びこむことに他なりません。
最愛なる我が娘よ、この出来事をどのように思うかは貴女に委ねます。
私からの特別な愛を込めた抱擁を。 貴女はそれに値する方ですから。