セヴィニエ夫人の手紙 (パリの毒薬事件) (3) | アルプスの谷 1641

アルプスの谷 1641

1641年、マレドという街で何が起こり、その事件に関係した人々が、その後、どのような運命を辿ったのか。-その記録

 

 
 
 今回も言い回しが微妙な上、人間関係が複雑で、ただ読んでいては、さっ
 
ぱり理解できない内容なので、(いろいろな意味で頭の痛くなるような) 人物
 
関係について整理したいと思います。 
 
 

リュクサンブール
 
Francois-Henri de Montmorency, duc de Luxembourg 
 
 リュクサンブールは名家の女相続人との結婚によって公爵の称号を手にした。 
 
数々の殊勲を立てた軍人でもあるが、魔術師ルサージュに接触して自分の妻
 
を含む複数の人間の殺害を画策。 裁判で有罪となり、バスティーユの監獄に
 
収監される。 (後に宮廷に復帰)
 
 

トゥングリ夫人
 
 王妃付侍女。 リュクサンブールの義理の妹にあたるが、リュクサンブール
 
とは不倫関係にあった。 
 
 

リュクサンブールの妻、マドレーヌ・ド・クレルモン=トネール
 
 夫に殺されかけたリュクサンブール公爵夫人は、著述家プリミ・ヴィスコ
 
ンティの言葉を借りれば、「当時の最大のブス」 であった。 サン・シモンは、
 
「公爵夫人というよりも、露店の下品な女主人のようだ」 と言っている。 こ
 
のためか、夫のリュクサンブールは妻に愛情を持たず、義理の妹の方に気が
 
あった。 もっとも、人々は妹のトゥングリ夫人も、姉よりはブスが少しまし
 
な程度で、大した違いはないという評価であった。 
 
 因みに、リュクサンブールは歪んだ姿形をしていて、「戦争で片足を失っ
 
たとしても、誰もそれに気が付かないだろう」と言われていた。 
 
 
メケルプーグ夫人やバルティラについては素性が分かりません。 
 
 
 "神聖なる秘跡の娘たち (daughters of blessed sacrament)" とはカトリ
 
ック教会のサークルのようなものと思われます。 どう訳せばいいのか分から
 
ないので、そのまま直訳しました。 
 

 

(前回、手紙の続き)
 

 
 リュクサンブール氏はすっかり壊れてしまいました。 あの方はもはや男で
 
はなく、男の真似をした女でもありません。 女性ですらない、ただの小さな
 
老女です。 
 
「窓を閉めてくれ、火を入れてくれ、チョコレートをくれ、あの本をくれ、
 
もう神のことなんかどうでもいい、向こうも俺のことなんかどうでもいい
 
んだ」
 
 死人のような顔色をして、ベスマウス氏とその委員たちにこうした振る舞
 
いを見せたのです。 バスティーユに行くしかないのであれば、このような態
 
度は慎むべきです。 陛下は寛大にも、リュクサンブール氏が収監されるまで、
 
充分な機会を与えてくださいました。 自分に不利な布告が出されたことをリ
 
ュクサンブール氏が知るまで、二週間もの時があったのです。 どのような考
 
えを持っていたとしても、人は神の御意志に還らなければなりません。 リュ
 
クサンブール氏が弱々しく見えたとしても、あのような振る舞いは正当化で
 
きまません。 
 
 私は間違いをお伝えしました。 メケルプーグ夫人はリュクサンブール氏と
 
会っていません。 サンジェルマンからリュクサンブール氏と一緒に戻ってき
 
たトゥングリ夫人は、メケルプーグ夫人にいささかの警告をすることさえ思
 
い付きませんでした。 リュクサンブール氏も同様です。 その上、トゥングリ
 
夫人は、リュクサンブール氏は自分以外は知らないと完全に思い込んでいて、
 
誰であれ他の者をリュクサンブール氏から遠ざけていたのです。 メケルプー
 
グ夫人は "神聖なる秘跡の娘たち (daughters of blessed sacrament)" を
 
退会したのですが、私はそこで夫人と会うことができました。 夫人はとても
 
悩んでいて、トゥングリ夫人については辛辣な批判をしています。 夫人は
 
自分のご兄弟の不運は全てトゥングリ夫人のせいだと言っています。 私は
 
メケルプーグ夫人に、貴女からの敬意の言葉と、夫人が抱えている問題に
 
ついて貴女がとても心配していると伝えました。 夫人は貴女の心遣いに何度
 
も感謝の言葉を口にしていました。   
 
 目下の所、パリでは人々は自由にしていますが、そのことについて考えよ
 
うとする者はいません。 スービーズ大公妃や、気の毒なバルティラの苦悩に
 
ついては忘れてしまったようです。 本当に、これから何が起こるのか、私に
 
は分からないのです。