セヴィニエ夫人の手紙 (モンテスパン夫人) (5) | アルプスの谷 1641

アルプスの谷 1641

1641年、マレドという街で何が起こり、その事件に関係した人々が、その後、どのような運命を辿ったのか。-その記録

 
 
 今回の手紙では、モンテスパン夫人の宿敵、マントノン夫人が出てきます。 
 
 クーランジュ夫人はセヴィニエ夫人の親類で、当時、重い病に掛かり、
 
セヴィニエ夫人が献身的に介護していました。 
 
 原文では、(なにぶん不倫の話題なので) 非常に秘密めいた、遠回しな言い
 
方がされています。 ここで言う「
愛し合う二人」とは、ルイ十四世とモンテ
 
スパン夫人のこと。 「
その妻」は、王妃マリー・テレーズを指しています。 
 
美女と賢女」とあるのは、モンテスパン夫人とマントノン夫人のこと。 
 
 宮廷を二分した女の戦いは、この時は小康状態であったようで、二人の仲
 
は一時的に、かつての親友同士の親密さに戻っているけれども、明日にはど
 
うなることか、と言っています。 
 
 後半は寵姫の絶大な権勢を示すエピソードです。 
 
 セヴィニエ夫人のユーモアが素晴らしいですね。 
 

 
1676/10/02 パリにて、娘フランソワーズへ
 
 昨日、マントノン夫人がクーランジュ夫人のお見舞いに来てくださいまし
 
た。 病気で伏せている夫人に強く心を痛め、その回復にとても喜んでいます。 
 
 
愛し合う二人は昨日一日、ずっと一緒にいました。 その妻はバリにいます。 
 
二人は一緒に食事をし、カード賭博も公には行われませんでした。 事実、宮
 
廷には喜びが戻り、嫉妬から来る張り詰めた空気も消え去りました。 
 
 その時その時で、何もかもが一瞬にして変化していきます。 マントノン夫人
 
は舟でお戻りになりました。
美女と賢女の関係は今、かつて敵対していたの
 
と同じくらい、美しいほど親密です。 すべてにおいて気分は和らいでいます。 
 
 いずれにしても、今日お知らせしたことは、明日にはもう通用しなくなっ
 
ていることでしょう。 こうした事情は実に移ろいやすいものなのです。 
 

 
1676/11/06 パリにて、娘フランソワーズへ
 
 ラングレー氏がモンテスパン夫人にドレスを献上しました。 金地の上に金
 
地が重ねられ、その全てに金糸の刺繍が施され、金糸で縁取りがされていま
 
す。 その上に、さらに一種の金の織物が被せられていますが、それは或る種
 
の金と金を組み合わせ、縫い付けたものです。 それらが想像も適わない精妙
 
な品を作り上げています。 妖精たちが秘密に作ったものに違いありません。 
 
生身の人間には出来るはずの無いものです。 どうやって作られたのかと同様、
 
それが贈られた方法も謎めいています。 
 
 モンテスパン夫人の仕立人は、夫人から注文を受けたのですが、馬鹿げた
 
寸法でボディスを作ってしまったので、想像が付くと思いますが、それを身
 
につけようとして夫人が喚いたり文句言ったりで大騒ぎになりました。 震え
 
上がった仕立屋は言いました。 
 
「マダム、時間もありませぬゆえ、他のドレスが合いますか、お試しいただ
 
けないでしょうか」
 
 そしてそのドレスが披露されました。 
 
「なんて美しいのでしょう、奇跡を見るようだわ!」
 
 モンテスパン夫人はそれを身に付けてみましたが、その姿は一幅の絵画の
 
ようでした。 
 
 その時、陛下が到着し、仕立屋は付け加えました。 
 
「マダム、それは貴女のために作られたものです」
 
 その言葉でドレスが贈り物であると分かりました。 しかし、誰からの贈り
 
物なのでしょうか。 
 
「ラングレーか」 と陛下は仰いました。 
 
「ラングレーに違いありません」 とモンテスパン夫人も言いました。 「他の
 
何者にもこのような優美な品を考え出すことはできません」
 
 ラングレー、ラングレー、と、周囲の者も繰り返しましたが、やがて全
 
員による、ラングレーだ! ラングレーだ! という一致した響きへと高ま
 
っていきました。 
 
 ですから、我が娘よ、私も流行に乗り遅れないように、唱和します。 
 
 ラングレーだ!