セヴィニエ夫人の手紙 (フーケ裁判) (1) | アルプスの谷 1641

アルプスの谷 1641

1641年、マレドという街で何が起こり、その事件に関係した人々が、その後、どのような運命を辿ったのか。-その記録

 
 
 気持ちを取り直して元のテーマに戻ります。
 
 
 セヴィニエ夫人は十七世紀の突撃レポーターであると言いましたが、単なる
 
私信の枠を越え、社会情勢や事件を取材して発信し、人々に何が起こっている
 
かを知らしめる役割を果たしました。 その面目躍如と言うべき事件が、 「財務
 
卿ニコラ・フーケの公金横領」 事件です。
 
 フーケは、資産家の娘との結婚、若妻の死による遺産相続、大富豪の娘との
 
再婚、を経て、自身が大富豪となっただけでなく、その間に枢機卿マザランの
 
取り立てもあって財務卿に就任、さらに、パリ高等法院の検事長の官職をも
 
手に入れていました。 当時のフランスでは官職を金で買うことができたのです。
 
 フーケは才能を発揮して、崩壊しかけていたフランスの財政を建て直しまし
 
たが、その過程で巨万の富を懐にしていました。 その仕組みはこうです。
 
 
 ① 戦費の調達などのため国債を発行。 利率は財務卿の自分が勝手に決める。
 
 ② 大富豪なので、自分が発行した国債を自分で買い取る。
 
 ③ 国民に重税を課して、フランスの財政を健全化する。
 
 ④ 国債を償還、利息で丸儲け。
 
 ⑤ 自分が検事総長なので、誰の横槍も入らない。
 
 
 しかし、忘れてならないのは、彼のやったことは当時の法律に照らしてい
 
えば、特に違法なことをしていたわけではないということです。 こうした行
 
いはフーケの独創ではなく、枢機卿マザランもやっていたことで、それをよ
 
り上手にやったというだけなのです。
 
 
 国王をも凌ぐ絶大な富を背景に、フーケは権力の絶頂に達します。
 
 フーケ家の紋章にはリスがあしらわれていますが、そこには 「このリスは
 
いかなる所へも登ることができる」 という寓意が込められています。
 
 フーケはまた豊かな芸術的才能の持ち主でもありました。 フーケのサロン
 
には、セヴィニエ夫人を含む当時の一流の文人、芸術家が集まり、その庇護
 
を受けました。
 
 その集大成ともいうべきものが、ヴォー・ル・ヴィコント城です。

 

 


 

 フーケは建築家ル・ヴォー、画家ル・ブラン、造園家ル・ノートルを集め
 
て、居城の造営に当りました。 しかし、その造営は、彼等の芸術的才能とい
 
うよりも、フーケのアイデアと審美眼に貫かれたものでした。
 
 さて、ヴォー・ル・ヴィコント城の造営に当った三人組の名前、どこかで
 
聞いたことはありませんか? そうです。 この三人組は、後にヴェルサイユ
 
宮殿を造営するにあたり、ルイ十四世が引き抜いた三人組です。
 
 このヴォー・ル・ヴィコント城は、ヴェルサイユ宮殿のモデルとなってい
 
るのです。
 
 
 ヴェルサイユ宮殿は規模こそ大きいものの、その外観は実に単調で面白
 
味に欠けているのに対して、変化に富んだヴォー・ル・ヴィコント城の外観
 
は確かに芸術的価値が高いように思われます。 庭園に至っては、殆ど模倣と
 
しか思えません。
 
 
 1661年 8月 17日、ヴォー・ル・ヴィコント城の庭園で盛大な夜会が開かれ
 
ました。
 
 噴水の水が宙を舞い、花火が夜空を彩り、豪華な料理が振る舞われ、モリ
 
エールの劇が上演されました。
 
 しかし、フーケは富と権勢をひけらかす相手を間違えました。
 
 
 その夜会に招かれたルイ十四世の様子を、歴史家ジュール・ミシュレは
 
 「 (嫉妬に駆られた) 王は憤懣やるかたない様子だった」 と書いています。
 
 
 「フランスに二人の王はいらない」
 
 ルイはフーケの逮捕を決断します。
 
 かくして、フーケは夜会の三週間後、アレクサンドル・デュマの小説
 
 「三銃士」 の主人公となったダルタニャンによって逮捕されました。
 
 「それが陛下の御意志なら」
 
 フーケは一切り抵抗をせず連行されました。 フーケは裁判後、終身刑と
 
され、ピニュロールの城砦に送られ、1680 年に獄死しました。
 
 
 フーケの裁判は三年に及び、その間、フーケを恩人と慕う文人たちによっ
 
て減刑の嘆願が行われています。 勿論、その中にはセヴィニエ夫人も含ま
 
れていたに違いありません。 法的根拠の薄弱な、この逮捕劇をセヴィニエ夫
 
人は不当だと感じていたようで、フーケに心を寄せながら、は裁判の様子を

 

克明に手紙に記しました。 それは一級の歴史的証拠文書として、現代におい

 

てもその重みはいささかも失われてはいません。
  
 

 前置きがえらく長くなってしまったので、実際の手紙は次週に譲りたいと
 
思います。