【読書案内 11】 十七世紀の突撃リポーター?「セヴィニェ夫人手紙抄」を読む | アルプスの谷 1641

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1641年、マレドという街で何が起こり、その事件に関係した人々が、その後、どのような運命を辿ったのか。-その記録

 

 
 
 日本では、少なくとも欧米の主要な著書くらいは日本語で読めると思って
 
いる方は少なくないと思います。 かく言う私がそうでした。 今回、ルイ十四世
 
治世期のフランスに関する本に当っていて思ったことは、フランス語が分か
 
らないと読めない本が意外にあるということです。 例えばですが、サン・シモン
 
の 「回顧録」 も、アンリ・クレマンの 「サンソン家回想録」 も、日本語では
 
読むことができません。 
 
 話が横道に逸れますが、もっと絶望的な例を挙げると、岩波が出した
 
 「紫禁城の黄昏」 は、自分たちの (反日左翼的な) 意見と合わないからと
 
いう理由で、内容を勝手に改ざんしているものもあったりして、こうなると
 
もう出して貰わない方がましと思ったりします。 
 
 
 今回、紹介したい本は、その岩波文庫から出ている 「セヴィニェ夫人手紙抄」 です。 

 

セヴィニェ夫人手紙抄 (岩波文庫)

 


 
 著者のセヴィニェ夫人については、以前、当ブログ記事
娘離れできない 母親の肖像」 

 

を参照していただきたいと思いますが、セヴィニェ夫人の手紙は
 
フランス文学史に不朽の名を刻む名作であるにも関わらず、翻訳はこれしか
 
ありません。 (フランス語の勉強の教材として出ている本があるようですが、
 
これは除く)  しかも、その内容というか、編集方針については、大いに異義
 
ありです。 
 
  「セヴィニェ夫人手紙抄」 を読むと、何がセヴィニェ夫人の手紙をこんな
 
に有名にしたのか、翻訳者と編集者は全く理解していないと感じます。 結果、
 
夫人とその娘との微笑ましい文通を集めたような本となっています。 勿論、
 
母親と娘の心温まる交流は、本の魅力のひとつに違いありません。 知らない
 
人が読めば、セヴィニェ夫人は心優しい家庭的な、よくあるエッセイストだと
 
思うことでしょう。 
 
 しかし、夫人がそんな陳腐なエッセイストでないことは、前の記事を読んで
 
貰えば分ります。 夫人は、言ってみれば、十七世紀フランスの芸能突撃リポーター。 
 
あらゆる出来事を自分の目で見て、詳細なレポートを娘に書き送りました。 
 
それは手紙という形式を取っていますが、その手紙が回覧されているのは、
 
勿論、承知の上。 あのマントノン夫人はセヴィニェ夫人を嫌って、 「何か
 
ちょっとした噂話があると、翌日には南フランスにまで広がっている」 と
 
愚痴をこぼすほどの影響力があったのです。 
 
 その話題の広さたるやお昼のワイドショーも真っ青。 財相フーケの汚職事件、
 
ベルサイユに君臨するモンテスパン夫人、毒殺魔ブランヴィリエ侯爵夫人や
 
魔女ラ・ヴォワザンの死刑執行を自分の目で見て書いているのです。 
 
 残念なことですが、翻訳者と編集者は何か誤解をしていたのか、或いは、
 
それでは売れないと考えたのか知りませんが、ともかく薄っぺらで毒にも薬
 
にもならない日本語版が出来上がりました。 本の後書き等で、続編の出版に
 
ついて言及されていますが、続編は結局作られなかったようです。 多分、
 
この本に違和感を覚えた者は自分だけでは無かったのでしょう。 ともかく、
 
セヴィニェ夫人の手紙がこんな形でしか日本語で読めないのは、返すがえすも
 
残念なことです。 英語版があるので、このブログで全文を翻訳して載せたろか、
 
と本気で考えたりします。 
 
 
 この本も現在は中古にプレミアが付いている状態です。 
 
 内容の点で異義ありですし、訳も古くて読みにくいので、何もそんなに
 
高いお金を出すことはないと思いますが、日本語で読むにはこれしかないの
 
で興味があれば手に入れてみてください。 当たり障りの無いことを書いてい
 
ても、そこはセヴィニェ夫人。 十七世紀を生きた夫人の生き生きとした精神

 

の息吹を直に感じることができると思います。